なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(229、230)

          船越通信癸横横后 。横娃隠鞠9月27日 
  

・20日日曜日礼拝後、何時ものようにお茶をいただきながら懇談の時を持ち、この日は少人数でもありまし

たので、12時半ごろには散会しました。私もシルバーウイークの連休中でしたので、午後2時半過ぎに鶴巻に

帰らせてもらいました。

・19日発行のキリスト新聞に、北村慈郎牧師の処分撤回とひらかれた合同教会をつくる会の出した一面意見広

告(「北村慈郎牧師の処分撤回とひらかれた合同教会をつくる宣言」2015年8月31日現在2295名の賛同者の名前

と共に)が掲載されましたので、それを教会の壁に貼りました。船越教会の壁には以前に出した二つの一面意

見広告も貼ってあります。その一つは、2011年4月11日発行のキリスト新聞で、「わたしたちは免職処分に反対

します!」(「北村慈郎牧師を支援する会・関西」代表古郝荘八牧師(高石教会)と「北村慈郎牧師の免職処

分に抗議し撤回を求める会」代表瀬戸英治牧師(鶴川教会)による)です。もう一つは、2014年7月26日発行の

キリスト新聞に「日本基督教団による不当処分・北村慈郎牧師への免職の撤回を!」(「北村慈郎牧師を支援

する会、996名一同による」)です。2011年4月11日発行のキリスト新聞に出した一面意見広告は、私の裁判が

始まる前で、裁判の開始と共に発足した「北村慈郎牧師を支援する会」が出来る前です。日本基督教団におい

て私の免職処分が確定しましたのは、2010年9月21日ですから、この私の免職処分に抗議し撤回を求める会が関

西と関東に出来て、その二つの会が共同でキリスト新聞一面意見広告を出したのでした。その後関西と関東に生

まれた二つの会を統合した形で、2011年12月3日に発足集会を開き、「北村慈郎牧師を支援する会」が立ち上が

りました。この12月が来ますと丸4年になります。世話人代表を関田寛雄先生に引き受けていただいていますが、

多くの皆さんのご支援を得て、裁判を行い、日本基督教団に問いかけを続けています。現在裁判が残念ながら

門前払いになりましたので、「北村慈郎牧師の免職撤回を求め、ひらかれた合同教会をつくる会」に名称を変

更して活動を継続しています。

・「宣言」賛同者の意見広告の後には、新教コイノーニア『聖餐・戒規免職・対話~日本基督教団への問いか

け~』(仮題)の出版の準備に力を注いでいます。ほぼ原稿は集まりましたので、9月29日に編集委員会を開き、

編集作業をした上で、完成原稿にまとめて出版社にお願いしたいと思っています。20日(日)、21日(月)はそ

のために時間を使いました。

・22日(火・休)には「沖縄から米軍基地を撤去し、教団『合同のとらえなおし』をすすめる連絡会」(略称

「もとすす」)の世話人会が、午後3時から7時まで横浜駅西口の県民サポートセンターの会議室でありました。

この連絡会は2004年の教団総会会期中に立ち上げた会で、私が事務局長をして神奈川でも4年間事務局を引き受

けましたが、現在は関西で事務局を担ってもらっています。今回の世話人会には、関西(京都、大阪、兵庫)か

ら5人、山口から1人、そしてIさんと私の8人が集まりました。この連絡会の最初から代表はIさんでしたが、半

年前にあった前回の世話人会でIさんが群馬のホームに入居されることが決まりましたので、私と二人で共同代

表ということになりました。今回の世話人会では来年沖縄で2月末に開催予定の全国集会のことと、連絡会通信

第21号発行の件を中心に話し合いをしました。世話人に新しく京都と大阪から若い二人が入ってくださり、希望

の息吹が感じられて嬉しく思いました。神奈川も若い人に繋げられればと願っています。

・この日はもとすすの世話人会の後、京急上大岡駅で連れ合いと待ち合わせして、船越教会に行き、泊まりまし

た。教区の災害救援委員会が教区の諸教会伝道所107に発送する封書をメール便で送るためです。ちょうどシ

ルバーウイークで教区事務所もお休みですし、郵便局もお休みでしたので、ゆーメールで送ると遅くなり、私の

メール便で送ればその週のうちに諸教会・伝道所に着くからです。23日(水、祝)は朝連れ合いが用事で船越

教会を出ましたので、12時半ごろメール便を集配に来たヤマトに人に託し、私も鶴巻に帰りました。この日は代

々木公園で反原発の全国集会がありましたが、残念ながら参加できませんでした。

・ 26日(土)は午前10時半から蒔田教会で「教区の宣教を考える会」があり、私も出席しました。宣

教は社会的な活動と伝道の二分化ではない、両者の統合が可能なのかという問題です。話し合えてよかったです

が、なかなか難しいところです。


                船越通信癸横械亜 。横娃隠鞠10月4日   
 

・この日は礼拝後懇談の時を持ち、散会して皆さんが帰った後、私はこの日の午後4時から翌日にかけて寿で行

われる教区の第2回オリエンテーション委員として参加しました。今回のオリエンテーションは寿の現場研修で

した。午後4時集合で4時半ごろ参加者の自己紹介をした後、日雇労働組合のお二人に説明をお願いし、二組に

分かれて寿の町を案内してもらいました。寿の町の案内が終わった後、早目でしたが、夕食のお弁当をいただき

ました。午後6時から渡辺英俊さんに寿についての学びとして「教区が何故寿と関わったのか」という主題の発

題をしてもらいました。1時間半ほどパワーポイントを使って話してもらい、その後協議の時間を持ち、午後8

時半ごろ一応終了しました。その日だけで帰る人は帰り、その後はオプションになりますが、5人が簡易宿泊所

に泊まりますので、他の2人も加わり7人で0時半ごろまで話し合いました。話し合いというよりも、時には怒

鳴り合いになることもありましたが、お互いの思うところを率直に出して、論争を楽しみました。実はこういう

時間によって、相手の本心が分かり、お互いの違いが明らかになると共に、信頼も培われていくように思われま

す。そういう意味では大切な時間です。簡易宿泊所には夕方行って、5部屋の部屋代を払ってありましたので、

0時半過ぎにそれぞれの部屋に分かれ泊まりました。一人はなか伝に泊まり、もう一人は近くのアパートに帰り、

翌日の朝6時に労働センターの前で集合することにしました。朝の寄せ場を見るためです。簡易宿泊所の部屋は

中から鍵はかかりますが、外に出たときには、外からの鍵はありません。私の泊まった部屋は3畳で敷布団と掛

布団がカバーも敷布もなくそのままたたんで部屋の真ん中に置いてあり、入り口側の壁に物入れとテレビが設

置してありました。トイレ炊事は共同でした。これで一泊2,200円です。30日で6,600円になります

から、相当割高です。生活保護費の引き下げにより、住宅手当も、今後は上限53,000円までしか出ないと

いうことですから、これから寿で生活する生活保護者の方は、私が泊まった簡易宿泊所の部屋にも入れないとい

うことになります。朝の寄せ場では、労働センターに張り出された求人の紙は一枚でした。一日11,000円

の賃金で募集は3人だったでしょうか。寿は元々日雇い労働者の町で、朝の求人に先を争って労働者が殺到し、

求人にあぶれた労働者には手配師が仕事の斡旋をして、現場に連れて行くという光景が繰り広げられていたので

すが、そのような光景はすでに昔話になっています。朝の寄せ場を見ても、寿は圧倒的に生活保護者を中心にし

た高齢者の住人で占められた福祉の町に変貌していることが明らかです。朝の寄せ場を見学した後、近くのお店

でそれぞれうどんやそばを注文して食べて、私はしばらくして帰りました。

・29日の火曜日は午後には、なか伝支援会のコイノニア編集委員会があり、夜には紅葉坂教会で世話人会・事

務局会がありました。10月2日には寿地区センターで打ち合わせがありでかけ、そのまま船越教会に行き10

月3日の集会の資料を印刷しました。そして10月3日は午後1時から紅葉坂教会で、沖縄交流委員会と基地自

自衛隊問題小委員会の共催で沖縄から高里鈴代さん(西原教会信徒)、岩国から大川清さん(岩国教会牧師)を

講師に迎え講演会がありました。私も出席しましたが、いかに基地が人権と平和の阻害になっているかをお二人

は沖縄と岩国の現実から訴えられました。