船越通信癸横械検 。横娃隠鞠11月29日
・22日(日)は教会歴では終末主日で、一年の最後の日曜日です。29日(日)はアドベント第一主日
ですので、船越教会ではこの日礼拝後、例年のようにアドベントの準備をしました。船越教会のアドベン
トクランツに当たるものは、約10センチ四方の四角い長方形の赤いローソクを四本横に並べ、その周り
を古木と庭のカイズカイブキの枝でアレンジしたものです。それを礼拝堂正面講壇の前に机を出して、そ
の上に設置します。この日は机を出して、しまってあった備品類を出して机の前に置いて、後はこの日礼
拝には来れなかったHさんが午後4時頃に教会に来て設置してくれることになっていましましてので、Hさ
んにお任せしましました。その後、皆でお茶を飲みしばらく懇談して散会しました。私も午後3時半過ぎ
に、まだNさんが庭の手入れをしてくださっていましたが、後をお願いして連れ合いと一緒に教会を出まし
た。連れ合いはこの日の夜に、教区の災害救援実行委員会が蒔田教会であり、そちらに出ましたので、私
は鶴巻に帰り、コイノーニアの初校校正の仕事をしました。この週の前半はこの校正の仕事に時間をかけ、
初校校正を新教出版社に送ることができました。コイノーニアは『戒規か対話か 聖餐をめぐる日本基督
教団への問いかけ』という題になりました。40人近い執筆者・座談会発言者のそれぞれに初校原稿を送
り、校正をお願いしました。その返信を受けて、編集委員による校正も加えて、初校の校正を完成させま
した。第2稿からは、一部執筆者による校正もありますが、後は編集委員会にお任せしていただきました
ので、2週間要した初校の校正のようには時間はかからないのではと思っています。このコイノーニアの
発行は来年1月25日に予定しています。
・26日(木)16:30より高座渋谷教会で基地・自衛隊問題小委員会があり、私も委員の一人として
出席しました。
・この週はコイノーニア初校校正に並行して、支援会通信第15号の編集レイアウトをSさんにお願いして
いましたので、そのやりとりをして、26日の木曜日までに完成してもらいました。30日(月)と12
月1日(火)と船越教会で発送作業を予定しています。今回は支援者と教団の全教会・伝道所に送ります
ので、全体で約2700通の封書にしなければなりません。以前は横浜駅西口の県民サポートセンターで
作業をしていましたが、用紙の購入が近くのお店では出来なくなり、それらを持ち込むのが大変で、船越
教会でするようにしてもらいました。船越教会では、発送作業の前にほとんど印刷と紙折りはすませてお
きます。特に県民サポートセンタに設置されているような高級な紙折り機ではなく、船越教会にあるのは
簡易な紙折り機ですので、紙折りに時間が相当かかります。今回も、私が金曜に朝から船越教会に来て、
その作業をしました。土曜日午後からは連れ合いもその作業に加わってくれました。
・さて、以上のようにこの週は事務的な作業に追われましたが、前々から予定していたのですが、23日
午後から24日にかけて、連れ合いと箱根仙石原に一泊し、ポーラ美術館と仙石原のススキ、それに箱根
の紅葉を楽しんできました。天気予報では、余り天気はよくなさそうでしたが、24日は仙石原のススキ
を見て、バスで桃源台に着くころには、青空が広がり、大涌谷の噴火警戒で桃源台から姥子駅間だけ運転
していたロープウエイを往復乗りましたが、そのロープウエイから見える富士山が見事でした。桃源台か
ら芦ノ湖の遊覧船の海賊船に乗って元箱根に出て、元箱根から湯本までバスによって、鶴巻に帰ってきま
した。久しぶりに箱根に行きましたが、今年春に行ったときには、強羅も、桃源台も元箱根も、外国人旅
行者のツアーの人たちがちらほらといただけでしたが、それと比べますと、今回はほとんど以前の状態に
戻って、どこに行っても、多くの人がいました。
・『福音と世界』12月号を読んでいて、ジョン・ディア(カトリック司祭、平和活動家)・志村真訳
「キング牧師の大胆な非暴力」という文章に出会いました。今安倍政権が軍事力という暴力を放棄した憲
法9条に違反する集団的自衛権行使に踏み出し、日米軍事同盟をさらに強化して、米軍に追随する道に積
極的に歩み出していますが、これはまさしく暴力への道です。「キング牧師の大胆な非暴力」はそれとは
全く対照的な「非暴力」の道です。この文章から少し引用したいと思います。<暴力に直面する時の選択
肢は二つしかない、とこの世はいう。報復して戦うか、逃げるか、である。非暴力は第三の道を提供する。
すなわち、不正義に対して創造的に能動的に平和的に抵抗することである。われわれは公然と立ち上がり、
平和の神に信頼しながら、創造的な愛をもって不正義に抵抗する。非暴力はわれわれの心の中で始まるも
のである。われわれ自身の中で暴力を放棄し、その上で家庭、共同体、教会、町、国、そして世界全体に
向けて非暴力を実践していく。個人として暴力に直面した時も非暴力を実践し、かつ正義と平和を求める
国際的な草の根の非暴力運動に参加する。国内および国際的な創造的非暴力運動に関わるとき、われわれ
は世界を変革しているのである>。<キング牧師はこう述べている。「暴力の根本的な弱さは、破壊しよ
うと求めているものを生みだす下へ向いた螺旋のようなものだということである。悪を減らすかわりに、
暴力は悪を繁殖させる。・・・暴力を使えば憎む人を殺すことができるかもしれないが、憎悪を殺すこと
はできない。事実、暴力はただ憎悪を増すだけである。暴力に暴力で報いることは暴力を増し、すでに星
のない夜空に、より深い暗黒をつけ加える。暗黒が暗黒を追いだすことはできない。ただ光だけが、それ
をできるのだ。憎悪が憎悪を追いだすことはできない。ただ愛だけが、それをすることができるのであ
る」>。<平和というビジョン、戦争なき新しい世界、貧困なき、不正あき、核なき新しい世界を追い求
めるためには、われわれはキング牧師の生涯とその革命的非暴力の教えを求めなければならない。愛と共
感を種播く人とならなければならない。帝国主義アメリカに対する抵抗者、正義と平和の作り手、世界大
の変革をもたらす夢追い人とならなければならない。そのためには、キング牧師が示したと同じだけの不
動の信念をもって非暴力の旅へと出立しなければならない>。