なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(239)

            船越通信癸横械后 。横娃隠鞠12月6日    

・11月29日の日曜日は、アドベント第一主日でした。13名の礼拝出席者がありました。11月1日の

永眠者記念日礼拝の時には16名の出席者がありましたが、特にイベントと重ならない日曜日にしては多目

の出席者でした。この日はエレミヤ書8章14~23節から「エレミヤの嘆き」について説教しました。N

さんが献金当番のお祈りの中で、私の説教から「嘆き」の深い意味について感じ取ってくれたことを知って、

ホットしました。聖書を取り次ぐことは、「聖書と現実との往還」の中で、自分なりに受け取ったメッセー

ジを伝えることになりますので、そう簡単なことではありません。大げさに言えば、一回一回が真剣勝負の

ようなものです。毎日曜日ごとに説教をするのですが、よく今まで続けられているものだと思っています。

毎日曜日説教をしないで、日常を過ごすことができたら、どんなに楽だろうか、と思うこともありますが、

そうなった時、自分がどうなるのか、いささか不安な感じもあります。この問題が山積する現代の日本社会

の中で、もっと政治的・社会的活動に力を注ぐべきではないかという思いもないことはありませんが、自分

の第一義的な務めは説教にあるのではないかと思って、今までやってきました。その点はこれからも変わら

ないのではと思っています。

・29日の日曜日はWさんが美味しいアップルパイを差し入れてくれましてので、アップルパイを分かち合

ってお茶を飲み、懇談をして散会しました。その前に連れ合いは、午後日比谷野音であった辺野古新基地建

設反対の抗議行動に出かけて行きました。私は皆が帰った後に、その日16:30から神奈川教区事務所2

階で行われる教区第3回オリエンテーション(「万博問題と宣教論について」、発題K氏)の準備をしてい

ました。そこで27日(金)に教区主事に教区事務所の鍵をお願いするのを、うっかり忘れていたことに気

づきました。教区主事に電話しましたが、その電話番号では通じないので、急遽教区事務所がある蒔田教会

の教区副議長のF牧師に電話して、教区事務所の鍵を開けてもらうようにお願いしました。F牧師は快く引き

受けてくださいましたので、予定通りオリエンテーションを開催することができました。この日の発題者K氏

は、北松戸伝道所を開設し、40年以上いわゆる牧師の働きを続けていますが、日本基督教団の按手・准允

を受けた教師ではありません。教師検定試験を補教師試験から拒否していて、教団からはいわゆる信徒伝道

者として、教団年鑑の教師名簿の最後に「信徒のまま教師に準ずる働きをしている者の名簿」という欄に名

前があります。

・ちなみに私は2010年9月に免職決定と同時に教団年鑑の教師名簿から削除されています。この日のオ

リエンテーションは発題者のKさんを入れて全部で13名の参加がありました。Kさんの発題は、万博問題は

教会の宣教への根本的な問いを含むもので、現在の日常が万博のような高度消費資本社会においては、「教

会が宣教などできないと言って嘆く必要がない世界が押し寄せつつある」と結んでいます。そのところを引

用しておきます。「・・・マスメディアは巨大なイメージを世界に解き放ち、生産は消費と引き離され、消

費だけがイメージに踊らされる。大阪万博のことで言えば、要するに毎日が万博であふれている、すくなく

ともそういう領域が日に日に増え、そこいらじゅうに万博の展示館が転がっているというわけだ。人は消費

することしか実感できなくなりつつある。ということは消費は消費でなくなり、生産が生産でなくなる。電

源がきれればあっというまに暗闇、いやひとっけのない万博会場になる。教会が宣教などできないと言って

嘆く必要がない世界が押し寄せつつある。自己自身も抹消されていく世界であり、根底から問おうとしても

問いが成り立たない世界のようである」。Kさんは、東京神学大学機動隊導入問題の渦中の人で、教授会から

東京神学大学を除籍(追放)された中の一人です。私はこの問題が起こる一年前に東京神学大学を卒業して、

補教師として教会の現場にいましたので、Kさんたちと同じ状況を生きたわけではありません。けれども70

年問題を共有しているという点では、ほぼ同じ時代を生きて来た者ですので、Kさんの発題には共感するとこ

ろが多くありました。そういう意味では、若い人たちにとっては、大阪万博も万博問題も遥か過去の出来事

で、歴史を学ぶことになりますので、戦時下の教団史を学ぶように、70年問題を学ぶというスタンスにな

るのではないかと思います。日本基督教団に所属する者は、教団の成立と戦争協力の問題を避けては宣教の

働きはできないと思いますし、70年問題も同じですが、そういう歴史を捨象して、最近の教区常置委員会

における按手・准允志願者の面接では、回心を促す伝道者の働きが牧師の働きの全てであるかのような所信

表明が多くなっています。歴史の継承の難しさを思わされています。オリエンテーションが午後8時半ごろ

終わり、何時もの蒔田の中華屋さんでKさんを囲んで6名で歓談の時をもちました。この日は翌日船越教会で

支援会通信第15号の発送作業がありましたので、船越教会に帰りました。11月30日(月)には、支援

会事務局員6名、一人他の方が手伝ってくださり、私を入れて8名で発送作業を行いました。この日で約

2600通の封書がほぼ完成しました。12月1日(火)の午前中私と連れ合いで後の作業をすませ、連れ

合いは用事があり午後帰りましたが、私が一人残り午後4時頃にメール便をヤマトの人に引き渡すことがで

きました。今まで通信はほぼ4年間で15号発行し発送していますが、予定した送作業の日から遅れること

はありませんでした。これは私の生真面目さもさることながら、みなさんの熱いご協力の賜物と感謝してい

ます。1日は教区常置委員会があり、陪席者として私も出席しました。この日の常置委員会では来年6月の

教区総会に常置委員会が提案者となって、「北村慈郎牧師の免職撤回を求め、聖餐に関する論議の場を設定

する件」の教団総会議案を出すことになりました。今までは教区総会議員提案でした。これは教区が責任を

もって私の免職撤回に取り組んでいくことの現れとして考えられますので、一歩前進と私は受け止めていま

す。

・12月4日(金)は紅葉坂教会で、戦争法案のことで元自衛官の講演を聞き、5日(土)は鎌倉恩寵教会

で映画沖縄「うりすんの雨」を鑑賞しました