なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(247)

            船越通信癸横苅掘 。横娃隠暁1月31日    

・24日(日)の礼拝後、いつものようにお茶を頂きながら自由懇談の時を1時間くらい持って、それぞ

れが散会しました。その後私は支援会で編集した新教コイノーニア31『戒規か対話か 聖餐をめぐる日

本基督教団への問いかけ』が完成して、25日(月)に船越教会に700部送られてきますので、支援者に発

送する準備をしました。既に21日の支援会世話人・事務局会で誰に送るか大枠は決めていましたが、個

別に誰に送るかは私が選ばなければなりませので、今回は皆さんに来てもらわずに、私が一人で発送作

業をすることにしました。21日の支援会の会でいつも準備して下さっている事務局の方から発送の為の

支援者のラベルを頂いていましたので、900名強のそのラベルから会計が用意してくれたこの3年間会費

やカンパを支援会に納入して下さっている方々約600強を選んで、コイノーニアの執筆者、座談会発言者

と共に、先ずはその方々にコイノーニアを送ることにしました。その他900強のラベルの中から、是非こ

の人には送らなければという人を100人強加えて、全体で750人くらいになりました。25日(月)のお昼

前には700部のコイノーニアが船越教会に着きましたので、24日(日)から26日(火)にかけて約600

通を、ヤマト運輸の方に取りに来てもらい発送しました。後まだ支援者の方へ送る分が約150冊あります。

それとコイノーニア発行は「対話を求めて」にありますので、教団3役・常議員30名にも送ることにして

います。その送付は31日(日)から2月1日(月)にかけて行う予定です。なお、コイノーニアは送料別

一冊1,300円で皆さんにお分けすることができますので、希望者は私の方にお申し出ください。

・26日(火)に船越教会に上記のようにいましたら、午前9時過ぎにSさんが教会に来て、ごみの処理など

の仕事をしてくださいました。また、お昼少し前にはNさんが来て、庭の木の剪定をしてくださいました。

この日午後3時過ぎに、まだNさんがお仕事をしてくれていましたので後を頼み、私は船越教会から鶴巻に

帰りました。船越教会の庭や会堂がきれいになっているのは、お二人の働きによるものと感謝していま

す。私は鶴巻に帰って、連れ合いが24日から性差別問題全国連絡会で札幌に行っていて、この日の帰り

も夜になりますので、一人で鶴巻温泉弘法の里湯につかって、コイノーニア発送作業の疲れを癒しました。

・28日(木)は連れ合いが関わっているNPOに急用ができましたので、私が国会前の辺野古新基地反対の

座り込みに行きました。新年になってからはじめての参加です。去年参加していた時に、私たちの座り込

みのそばで練馬からきているという女性の方で、一人で安保法制反対、「戦争させない、9条壊すな」を

掲げて立っていた人がいましたが、その方がいなかったので、聞きましたら、この座り込みのところに右

翼が押し寄せて来たことがあったそうですが、それ以来その方は来なくなったということです。熱心な方

でしたのに・・・。昨年の夏ごろからでしょうか、この国会前の座り込みには沖縄出身の方がずっと来て

いて、彼が大きな声で歌を歌うことがあります。他の方は一緒に歌いますが、私はなかなか一緒に歌えま

せん。その歌の中に『沖縄を帰せ』があります。歌詞は「固き土を破りて 民族の怒りに燃える島、沖縄

よ/我等と我等の祖先が 血と汗をもて 守り育てた 沖縄よ/我等は叫ぶ沖縄よ 我等のものさ沖縄だ

/沖縄を帰返せ 【返せ】 沖縄を(に)返せ」です。これは一つですが、他にもいくつかあります。

『ふるさと沖縄』(ふるさと)、詩 加本和美 「(1)青く澄みし 辺野古の/海がいだく 命を/守り

ぬかん 島人の/心結ぶ ふるさと (2)島の歴史 たどらば/今もいくさ 終わらぬ/基地の島の ふ

るさと (3)立ち上がりて ひるます/我らの島 沖縄/子らの宝 美ら海よ/永遠に守らん ふるさと」

もその一つです。このように辺野古新基地建設反対の抗議行動から歌(替え歌)が生まれてくるのは、

抗議行動をしている人たちの中に「ふるさと」を大切にする情感というか、感性が強くあるからだと思

われます。それが辺野古では国家に対峙する原動力になっているのではないでしょうか。沖縄の方々が

沖縄の自決権を主張するように、神奈川に住んでいる私が神奈川の自決権をもって国家に対峙ものが自

分の中にあるかと言えば、ほとんどありません。私は横浜生まれの横浜育ちですが、沖縄の方々が沖縄

に寄せる思いのように、私の中に横浜への思いがあるかと言えば、ないとしか言いようがありません。

都市生活者としての私には、国と自分との間を媒介する中間的な地域共同体的な「ふるさと」は喪失し

ているのかも知れません。国会前の座り込みで上記の歌詞の歌を聞きながら、そんな思いが脳裏をよぎ

っていました。

・29日(金)14:30から日比谷図書館コンベンションホールで、袴田巌さんの映画(金聖雄監督「夢の間

の世の中」)の上映会があり、昨年の暮れにN・Mさんからお手紙でこの映画上映会の特別招待券を送っ

て頂いていましたので、出かけて行きました。受付で狭山事件石川一雄夫妻の顔を見ました。冤罪事

件の当事者ですので、同じ当事者の袴田さんの映画上映会にもいらしたのでしょう。袴田さんはご存知

のように、「1966年に静岡県で起きた一家4人殺害事件で死刑判決が確定後、昨年3月の再審請求開始決定

で、48年ぶりに釈放された」方です。静岡地裁の再審開始決定に検察側が不服を申し立てため、今も東

京高裁では再審をはじめるかどうかの審理が続いています。袴田さんは79歳、82歳の姉と浜松で暮らし

ています。映画はその浜松の家での袴田さんの日常の生活を淡々と撮影しています。映画の中には、48

年間の拘禁生活で精神を病んだ袴田さんが、自らを「最高裁長官」とか「ハワイの王」と名乗る場面も

ありましたが、反面自宅に来た子どもに優しい目を向け、「世界は平和でなくちゃいかん」と漏らす姿

や、散歩に出かけて好物の菓子パンを買って来て、ほおばったりする姿も映し出されています。家の中

を歩き回る袴田さんやお姉さんのつくる食事を、お姉さんと机を別々にして食べている様子、お姉さん

との会話など、まさしく日常性そのもので、映画では殺人事件のことは全く出て来ませんが、冤罪があっ

てはならないということが重く伝わってきました。以前に同じ監督による石川一雄さんの映画も観ました

が、今回の袴田さんの映画は事件に全く触れずに、袴田さんの日常を淡々と描いている点で、返って訴え

ているように思われました。