なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(251)

         船越通信癸横毅院 。横娃隠暁2月28日    

・21日(日)の船越教会の礼拝には、前日の北村支援会のコイノーニア31『戒規か対話か…』出版記念

対話集会に名古屋から来てくださったHさんが出席してくれました。Hさんは私に説教集を出すように薦め

てくれた人ですが、3月が来ると満90歳になります。昨年10月30日の支援会の集会にも参加してくれて、そ

の時も翌日の日曜日に船越教会の礼拝に出席してくれました。その時にはHさんがこちらに来てくれるのは、

これが最後ではと思ったのですが、今回も来るという電話をいただいて、「大丈夫ですか」と申し上げて

しまいました。ご家族の方も心配だろうと思っていましたが、今回は息子と娘の赦しを得て来たというこ

とでした。それを聞いて私も安心しました。二人のお子さんが許してくれた理由は、コイノーニア31『戒

規か対話か…』と私の『食材としての説教』の2冊の本を読んでくださって、「これはキリスト教の革命に

等しいのでは?」という感想をもたれたようで、そのことで今回の集会にも行くことを許してくれたとい

うことでした。それを聞いて、お二人のお子さんはキリスト教の信徒ではありませんが、2冊の本からキリ

スト教に対してそのような感想を抱いてくれたということをうれしく思いました。

・21日(日)の礼拝後は何時ものように残れる人でお茶をいただきながらしばらく懇談の時を持ち散会し

ました。その後Hさんと二人で話し、2時過ぎに分かれました。私はその後午後4時半から教区事務所で行わ

れる「サクラメントについて」というテーマで行われるオリエンテーションの準備をして、蒔田教会に向か

いました。オリエンテーションの講師は、この3月で生田教会の牧師を退任して隠退されるKさんでした。K

さんは個人史を語りながら何故生田教会でオープン聖餐を行うようになったのかを丁寧に語ってくれました。

この日は全体の出席者が講師を入れて11名で、何時もより少なめでしたが、話し合いにはちょうど良い人数

でした。オリエンテーションは神奈川教区の伝道所・教会に赴任してきた教師やこれから教師になる人が対

象ですが、残念ながら教団の信仰告白、教憲教規が土俵だという教会からの出席者がほとんどないのが現状

です。オリエンテーション終了後委員6名と少し喉を潤し、私は翌日22日(月)から沖縄に行くことになっ

ていましたので、早めにお開きにして鶴巻に帰りました。

・22日(月)は連れ合いと一緒に午後1時過ぎの羽田発の飛行機で沖縄に向かいました。今回は23日

(日)午後3時から25日(木)正午まで沖縄で行われました「沖縄から米軍基地撤去を求め、教団『合同の

とらえなおし』をすすめる連絡会」の全国集会に参加するのが沖縄行きの目的です。私たちは前日の22日

(月)に名護のホテルに一泊し、23日(火)の早朝のシュワブ・ゲート前の辺野古新基地建設反対の座り

込みに参加しました。ホテルを出てゲート前に着いたのが7時過ぎでしたので、機動隊によるごぼう抜きに

は間に合いませんでした。雨が降っていましたが、10時過ぎまでゲート前テントの中で座り込み、その後

辺野古の海に面したテントに移動しました。そこにちょうど西宮から来た全国集会に参加する二人の方がい

て、そのうちの一人の方が私のことを知っていて声をかけてくれました。このお二人が辺野古のテントにい

なければ、私たちはバスとタクシーで全国集会の会場である沖縄キリスト教大学へ行く予定でいましたが、

その二人はレンタカーで全国集会の会場に行くというので、その車に私たちも同乗させてもらいました。お

蔭様で午後2時半過ぎには会場に到着することができました。全国集会で話し合ったことについては別の機

会に触れたいと思います。ただ2日目の24日(水)は宿泊していた宜野湾セミナーハウスを早朝5時に約

30人の参加者が3台の自動車に分乗して、シュワブ・ゲート前の座り込みに参加しました。6時過ぎにゲート

前に到着し、座り込み終了の午後4時過ぎまで、途中お昼休みには辺野古のテントに行き、昼食を取りまし

たが、後は一日中シュワブ・ゲート前の座り込みに参加しました。この日は水曜行動で450人くらいの参加

者が、私たちと同じように全国から来ました。このくらいの人数が集まると、工事車両がゲート内に入る

のを阻止できるそうで、この日も午前中は一台の工事車両もゲート内に入りませんでした。ところが午後

2時過ぎに人数が少なくなった頃合いを計ってなのか、コンクリートミキサー車3台と一台の荷積みのない

トレーラーがやってきました。その前にゲート内にいた機動隊が道路に出て来てゲート前に座り込みをし

ていた私たちを排除し、ゲートの両側の歩道に無理やり移動させました。機動隊が人の壁のようになって

私たちは無理やり歩道に移動させられたため、機動隊の一人に押されたお年寄りの方が車道と歩道の段差

に足を取られて、転んでしまいました。その方が立ち上がって、その方を押した若い機動隊員に向かって、

「何をするのか」「怪我したらどうするのか」と食って掛かりました。周りにいた私たちも、その機動隊

員に向かって、そんなに押したら危ないではないかと、抗議の声を上げました。その機動隊員は少しバツ

の悪そうな表情になりましたが、すぐに無表情を装って、他の機動隊員とスクラムを組んで黙っていました。

・車両がゲート内に入り終わると、機動隊はゲート内に引き上げ、一度開いたゲートは再び閉じられます。

そのゲート前には警察車両のバス2台とそのバスの間にもう一台のバスよりも小さな警察車両1台が置かれ、

その車両の前にブロックを並べ、その上に木材を置いて座り込み用に長椅子のようなものが二列作られ、

そこに座り込みの私たちが並んで座ります。しばらくしてコンクリートミキサー車3台とトレーラー1台が

ゲートから出てきましたが、その時も入る時と同じように機動隊が振る舞いました。実際にシュワブ・ゲ

ート前に座り込んでみますと、いかに権力が暴力的であるかがよく分かります。辺野古新基地反対で座り

込んでいる沖縄の人々は、ヤマトから来る人を受け入れて、粘り強く非暴力抵抗を貫いているように思え

ました。それにしても全国集会でTさんが、沖縄から米軍基地を撤去するには、辺野古の新基地反対の闘争

だけでは難しく、安保条約を破棄しなければ実現しないので、ヤマトの人は自分の場所でそのために働いて

ほしいという言葉が、私の中では重く響いています。

・27日(土9の教区総会のことは次回にします。