船越通信癸横坑魁 。横娃隠暁12月18日 北 村 慈 郎
・12月11日の日曜日は、外階段に昇降機が設置されてはじめての日曜日でしたので、私は早目に昇降機
の所へ行き、その時すでに教会に来ていましたSさんとTさんに、その使い方の説明をしていました。そこ
にAさんが来ましたので、昇降機に乗ってもらいました。続けてOさんも来ましたので、歩いて上りそうで
したOさんを説得して、昇降機に乗ってもらいました。礼拝後もみなさんが昇降機の操作ができるようにと
思い、礼拝に来られた方に説明しました。一通り昇降機の説明を終えて、残られたみなさんとお茶を飲み、
懇談をしましたが、私はこの日の午後2時半から三浦霊園で納骨式を頼まれていましたので、早目に牧師
館に退きその準備をしました。喪服に着替え、プログラム等を確認してバックに入れて、12時半過ぎに
船越教会を出て、京急で、京急田浦から三浦海岸まで行き、三浦海岸からタクシーで三浦霊園に行きまし
た。三浦霊園は紅葉坂教会時代にある信徒の方の納骨で一度だけ来たことがありますが、大分前でしたの
で、おぼろげにしか覚えていませんでした。霊園事務所で、全く初対面の待ち合わせたご家族8名とお会
いして、挨拶を済ませてから、墓地に向かいました。納骨する方は92歳で召されたキリスト者の方で、大
阪T教会の信徒の方でしたが、ご遺族の方は誰もキリスト教信仰にも教会にもかかわりのない方々でした
ので、納骨式では故人の愛唱の讃美歌を二つ歌いましたが、ほとんど私の独唱のような感じでした。奨
励では、この日の礼拝の説教で触れました故人の愛唱聖句、ガラテヤ書2章9~10節、<我キリストと共に
十字架につけられたり。もはや我生くるにあらず。キリストが我が内にありて生くるなり>(文語訳)
について、少しお話をしてから、私がいつも納骨式のテキストにしていますヨブ記1章21節、<わたしは
裸で母の胎を出た、また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな>
に基づいて話しました。最後に献花して納骨式を終えました。この日いわゆる喪主の役割を担っておら
れた方は、癌の治療中で、抗がん剤治療の?クールと?クールの間のこの日に納骨をされたということ
でした。納骨後ご遺族の方の車に京急三崎口駅まで乗せていただき、三崎口から京急田浦駅で降りて、
船越教会に戻りました。それから来週の準備をして、午後6時頃船越を出て、鶴巻に向かいました。
・12日月曜日に紅葉坂教会の役員の方から、「横浜のみなと日赤病院に教会員のIさんが緊急入院して、
今日か明日かという状態なのでという、家族の方からの連絡が入ったので」という電話が私の所にありま
した。そこで翌日13日(火)にみなと日赤の面会時間が3時からですので、その時間に合わせて入院さ
れたIさんを見舞いました。個室の病室に入ると、Iさんが、私が紅葉坂教会の牧師だった頃にお会いした
時とは、全体に少し小さくなってはいましたが、ベットの上に座っているではありませんか。息子さんが
そばにいましたので、以前紅葉坂教会の牧師をしていました北村ですと挨拶をして、ベットの上のIさん
に声をかけました。「K(名前)さん、北村です。分かりますか」と申し上げますと、はっきりとうなず
き、「わかります」と言われました。昔のことを少し話し、慰めの言葉をかけてから、息子さんと話し
ていると、Iさんが「疲れたから休みたい」と言いましたので、私はIさんの手を取り一言祈って病室を
後にしました。息子さんのお話しでは、胸にたまった水が抜けて、危険な状態から脱出できたというこ
とで、病院からは一週間後に退院してもよいと言われているということ、お二人の上に主の支えを祈り
つつ、私も安心して帰ってきました。
・この週には、<米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への県内移設計画を巡り、国側が
沿岸部の埋め立て承認を取り消した翁長雄志知事の対応を違法と訴えた訴訟の上告審で、最高裁第2小法
廷(鬼丸かおる裁判長)は12日、判決期日を20日に指定した。高裁の結論見直しに必要な弁論を開か
ないため、知事の対応を違法と認め、県側敗訴とした9月の福岡高裁那覇支部判決が確定する見込み。移
設問題に大きな影響を与えることになる>という記事が新聞にも出ました。高江のヘリパッド基地の完成
ということで、22日には沖縄県知事の翁長さんも県議会議長も出席しないと言っています、米軍北部訓
練場部分返還式典が予定されています。この時期に米軍普天間飛行場所属MV22オスプレイ墜落事故が
起きました。琉球新報の記事には<【ワシントン=問山栄恵本紙特派員】沖縄県名護市安部の海岸で13
日夜に起きた米軍普天間飛行場所属のMV22オスプレイ墜落事故で、米海軍安全センターが事故の規模
について最も重大な「クラスA」に分類し、機体は大破したと評価していることが15日分かった。クラ
スAは被害額が200万ドル以上や死者が発生した事故。米軍や米国防総省は「不時着」「着陸」と説明
しているが、説明とは程遠い、激しい事故だったことが今回の評価でも裏付けられた>とあります。イン
ターネットで流れている写真を見ても、オスプレイの機体がバラバラになっていて、その事故の激しさを
物語っています。日本政府は直ちに、高江のヘリパッド建設を中止し、オスプレイ配備撤回を米国に求め
るべきです。沖縄国際大学構内に米軍ヘリが墜落した時と同じように、この事故後の米軍の対応に何の歯
止めもかけられない日本政府は、自ら日本がアメリカの占領国であることを容認しているとしか思えませ
ん。日本国憲法よりも安全保障条約・地位協定の方が上にある戦後日本の状況がずっと変わらないで続い
ていること自体がおかしいのです。今回のことを通して、この核心的な戦後日本の問題がクローズアップ
されています。沖縄が日本国家によるその「犠牲のシステム」から解放されるように、私たちなりに努め
ていきたいと思います。
・18日(金)には、急な用件があり、群馬のホームにいるIさんを訪ね、夜には寿地区活動委員会があり
ましたので出席しました。委員会では来年度の役割分担を決めましたが、2017年度からはまた私が委員長
をすることになりました。