なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(314)

       船越通信癸械隠粥。横娃隠掲5月21日    北村慈郎

・14日の日曜日は礼拝後お茶を飲みながら老後の年金の話や日本の官僚が自分の所属する省庁の擁護や

既存の秩序維持だけに動いていて、民衆のことや国の将来についての創造的な働きをほとんどしていない

ばかりか、そういう創造的な動きを牽制する機能を果たしていて、どんな政府になっても官僚支配を変え

られない限り、日本の国はよくならないし、財政破綻もあり得るのではと、政治談議に花が咲きました。

・私は電車の中で今は丸山眞男の『政治の世界(他十篇)』(岩波文庫)を少しずつ読んでいます。と

言っても、ほとんど居眠りしていて、例えば相鉄海老名から横浜まで約30分ありますが、その間上記文庫

を読んでも数頁に過ぎません。読みだすとすぐ瞼が閉じてしまうからです。そんな状態ですから、もう大

分前からこの文庫をリュックに入れているのですが、今やっと486頁中の300頁に到達したところです。さ

てこの丸山眞男の『政治の世界(他十篇)』の中の「政治の世界」の<第4章あとがき ― 「政治化」

の時代と非政治的大衆>のところに官僚についての記述がありましたので、その部分を紹介します。

・<「政治」の領域の未曽有の拡大および滲透をもたらした根本的な動力が生産力および技術・交通手段

の飛躍的な発展であったことは「まえがき」で触れた通りですが、それと逆行する大衆の非政治的受動的

態度をはぐくむ地盤も実はやはり現代のいわゆる機械文明にあるのです。現代を機械文明とか機械時代と

かいうゆえんは決して単に現代の社会的生産が大工場の機械生産によって行われるようになったというよ

うな狭い意味だけではありません。むしろ社会そのものの組織がますます機械化され、人間があたかも機

械の部分品のようになって行く根本的傾向を指していうわけです。現代国家はその内部に社会的分業が進

むに従って、さきに「権力の組織化」の節で述べましたように、ますます精緻な階層社会(ヒエラル

ヒー)が生長してまいります。これをマックス・ウェーバーに従って官僚化の傾向と呼ぶならば、そうし

た官僚化けいこうは国家組織だかでなく、実は会社・銀行・学校・種々の協会・政党等あらゆる現代の社

会集団の内部に存在します。そうした無数の社会集団がそれぞれ一個の機械と化しつつあるわけです。現

代の人間は昔のように家族とか部落とかいった「自然的」集団に全存在をあずけて包まれているのではな

く、むしろ、多数の目的団体に同時的に所属しておりますから、現代社会の「機械化」とともに、人間は

四方八方からの部分品化の要請に適応するために、その人格的な統一性を無残にも引き裂かれ解体される

運命にあります>(146-147頁)。

・14日(日)は、皆さんが帰った後、私はいつものように次週の準備をし、その上28日(日)開催予

定のかながわ明日の教団を考える会の案合を、前回出席できなかった方の一部の方には、前回の資料を入

れてDM便で発送し、性差別問題全国連絡会のニュースを印刷して、船越教会を午後4時前に出ました。

・16日(火)は農伝に行き、17日(水)から18日(木)は、1泊2日で沖縄に用事があって行って

きました。往路の飛行機の機内で隣の席の方が話しかけてきました。その方は定年後嘱託で仕事は今まで

と同じようにしているという方で、10年ほど前に宮古島に住みついた友人のところで3泊して、リフレッ

シュしてくるということでした。毎年この時期に来ているということで、宮古の自然の素晴らしさについ

て語っていました。癒しの旅のようでしたので、宮古自衛隊基地のことも、政治的な話は全くしません

でした。飛行機は那覇空港14時過ぎの到着予定が、45分ほど遅れました。私はその日16:00から始まる会

に行かなければなりませんでしたので、那覇空港からタクシーで目的地まで行きました。時間は間に合

い、その会に出席できました。閉会後友人と夕食を共にし、午後8時過ぎには予約していたホテルに入

り、その日はゆっくり休みました。翌日18日は午後1時半の羽田行き飛行機に乗り帰って来ました。あ

わただしい1泊2日の沖縄旅行でした。

・沖縄から帰って来ましたら、鶴巻に「沖縄から米軍基地撤去を求め、『教団』合同のとらえなおしをす

すめる連絡会」(略称:もとすす)の通信第23号と付録資料が送られてきていました。通信23号には、本

年3月に開催れた全国総会での協議のまとめを、私が書いています。そのい鬚海海謀昇椶靴泙后

・ぁ_縄に対する構造的差別への自覚

 昨年の沖縄での全国集会の時に、平良修さんが、辺野古をつくり出しているその根底にある日米安保

約を破棄するという運動を起こすこと、そして沖縄を利用することに慣れているヤマトの人たちの価値観

を崩すこと、そのことを沖縄に来て自分たちの問題であることに気づいて帰って欲しい、「それをお願い

して、皆さんを明日は辺野古にお送りしたい」と、翌日一日辺野古のキャンプ・シュアブゲート前の座り

込みに参加することになっていた私たちもとすすの参加者に向かって優しく語ってくれた。けれども、そ

の平良修さんの優しさの中に、ヤマトのあなた方はなぜ自分自身の問題に気づけないのか、気づいている

なら取り組んで然るべきではないかという厳しい批判があるように思う。日本の国家がアメリカと安保条

約と地位協定を結んでいるが故に、沖縄にもヤマトにも米軍基地があり、歴代の政府がアメリカの意志を

くんでかその米軍基地を沖縄に集中させてきたのは、沖縄を差別し利用してきた歴然とした事実である。

そしてそれを容認しているヤマトの私たちも沖縄を差別し利用しているのである。その私たち自身の問題

に気づき、沖縄の人たちと立場は違っても信頼できる関係を築こうとすれば、ヤマトの私たちは当然自分

の足元の問題である安保条約や地位協定を破棄する運動に取り組まなければならないし、沖縄に多大な基

地負担をさせておいて当然だとしているヤマトの人間の中にある差別をなくすように努力しなければなら

ない。そのような取り組みによってヤマトの私たちの側に自分の足元から沖縄を差別しているこの現実の

壁を打ち叩く運動の積み重ねがあるならば、たとえまだその差別の壁が完全には打ち壊されなかったとし

ても、非対称的な関係にある沖縄の人たちとヤマトの私たちとがそれでも信頼関係をつくり出す可能性が

あるのではないか。