なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

マタイによる福音書による説教(6)

      「イエス洗礼を受ける」マタイ3:13-17、2018年1月14日船越教会礼拝説教


ルカによる福音書によれば、<イエスが宣教を始められたときはおよそ30歳であって>(3:21)と言われ

ています。

・当時の30歳と言えば、相当成熟した年齢だったと思われます。古代ローマの平均寿命は22歳と言われてい

るそうですが、当時は幼児期に死ぬ人が多かったので、22歳まで生きることが出来た人たちからすると、50

歳から60歳が平均寿命だそうです。50歳として、30歳は人生の半分以上を生きていることになります。現在

で言えば、平均寿命が男80歳として、その5分の3は、45歳ということになります。イエスは大工のせがれと

して早死にした父ヨセフに代わって、一家の生計の柱となって働いてきたと言われますから、今でいえば、

40代前半頃まで、一人の生活者として、自分の身に着けた技術を生かして黙々と生きてきた、ほぼ無名の人

だったと言ってよいのではないでしょうか。

・ところが、聖書によれば、30歳ころに宣教を始めるわけですが、その少し前にイエスバプテスマ

ヨハネの下で、ヨハネから洗礼を受けているのであります。そのことが、今日のマタイによる福音書の箇所

に記されています。このマタイの箇所の記述は、マタイ版であって、マルコ福音書にもルカ福音書にも、

エスバプテスマのヨハネから洗礼を受けたという記事があります。ただマルコ福音書とルカ福音書

記事は、イエスバプテスマのヨハネから洗礼を受け、天から「これはわたしの愛する子だ」という声が

あったということだけが記されていて、マタイ福音書のようにバプテスマのヨハネから洗礼を受ける前の、

ヨハネとイエスの問答はありません。それがあるのはマタイ福音書だけです。

・先週の日曜日の説教で、エレミヤ書ラケルの嘆き悲しみとの関連で、イエス誕生物語におけるヘロデによ

る幼児虐殺の事件についてお話ししました。おそらくイエスが暮らしていたユダヤの国の状況は、そういう権

力者の暴力が頻繁に起こっていたのではないかと思われます。ヘロデだけではなく、当時ユダヤローマ帝国

の属州でしたので、ローマ皇帝を後ろ盾とした総督による、イエスの十字架刑のような暴力も、イエスが十字

架に架けられる前にも、時々起きていたようです。殺されていく幼子にしろ、政治犯として十字架刑に処せら

れる人々にしろ、権力者の横暴の犠牲になったのであって、正義が貫かれた社会であれば、あり得ないことで

した。犠牲を強いられている多くの人々の声なき声が、あちらこちらで聞こえる、そのような暗く厳しい状況

がイエス時代のユダヤの国を支配していたのです。

・そこで立ち上がって声を発したのが、バプテスマのヨハネでした。ヨハネは人々にメタノイア=悔い改め、

生き方の方向転換を迫りました。彼は荒野で生活し、ヨルダン川で悔い改めの徴として水のバプテスマを施し

ていたのです。バプテスマのヨハネの運動は「水による悔い改めのバプテスマ」でした。彼のもとに大勢の

ファリサイ派サドカイ派の人々が洗礼を受けに来ました。彼らが来たのを見て、バプテスマのヨハネは悔

い改めにふさわしい実を結べと語ったと言われています。ファリサイ派の人々は民衆の指導者で神の教えと

しての律法を、町や村にあった会堂を中心に、人々の間で説いて回っていました。サドカイ派の人々は、エ

ルサレム神殿に仕えていた祭司たちですが、民衆がエルサレム神殿にお参りに来るのに対して、宗教的な儀

礼を行い、神の名に基づいて自らの振る舞いを正当化していました。

・しかし、バプテスマのヨハネが自ら悔い改めのバプテスマの運動に立ち上がったのは、当時のユダヤの国

にはファリサイ派の律法学者の指導の下に会堂で礼拝や律法の教育が行われ、サドカイ派の祭司によってエル

サレム神殿では祭儀が行われ、宗教的なものは確かに守られていましたが、だからと言って、人々が神に従っ

て生きているとは思えなかったからです。むしろ、神のみ心に背いて生きていると、バプテスマのヨハネ

思っていたので、人びとに悔い改めを求めて、水による悔い改めのバプテスマの運動を始めたのでしょう。

・それはちょうど現代のキリスト教徒に対して言われているこのような言葉が、当時のユダヤ教徒の現実だ

ったのかも知れません。「もしわれわれがいつも祈り、歌い、説教を聞き、美しい内面生活を送って、この

世を悪しきままにしておこうとするならば、神の国はいったいどのようにして到来するのだろう。われわれ

は、キリスト教を、たんに私生活の中ばかりでなく、公共の中で、全く別の仕方で妥当せしめるようにしな

ければならない」(バルト)。当時のユダヤ人社会における敬虔ではあるが、公共の中での不正や偽善には

沈黙しているユダヤ教徒である宗教家及び民衆に、バプテスマのヨハネは「悔い改めよ。天の国は近づいた

。」と悔い改めを迫ったのはないでしょうか。

・イエスは、ヨルダン川で彼の下にきた人々に悔い改めのバプテスマを授けていた、そのバプテスマのヨハ

ネのもとに、ヨハネからバプテスマを受けるためにガリラヤからやってきたのです。

・そのことは、悔い改めという180度の方向転換を意味する水のバプテスマを、イエスも民衆の一人として

バプテスマのヨハネから受けようとしたということです。

・「ところが、ヨハネは、それを思いとどまらせようとして言いました。『わたしこそ、あなたから洗礼を受

けるべきなのに、あなたが、わたしのところへ来られたのですか』」(3:14)と。

・それに対して、「しかし、イエスはお答えになった。『今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行う

のは、我々にふさわしいことです』」(3:15)と。

・新共同訳聖書がここで「正しいことをすべて行うのは」と訳しているところは、岩波訳では「このようにす

べての義を満たすのは」と訳されています。ヨハネはイエスに接したとき、直感的に「わたしこそ、あなたか

ら洗礼を受けるべきなのに、あなたは、わたしのところに来られたのですか」と言わざるを得ないようなイエ

スには何か尊厳に満ちた人格を感じたのでしょう。しかしイエスはそれをおしとどめ、ヨハネからバプテスマ

を受けることを、「義の成就」の一環として、譲らなかったとマタイは記しているのです。

・ところで、ここで言う「義」とは何でしょうか。意外なことながら、マルコは「義」という言葉を一度も使

わず、ルカでは1回(1:75)、ヨハネ福音書では2回(16:8,10)でてくるだけですが、マタイはこの言葉を

7回用いています(3:15,5:6,10,20,6:1,33,21:32)。このことからマタイにおいて「義」という概念がいか

に重要に考えられていたかがわかります。

・神の義とは神の正しい支配にほかなりません。これは端的にその民の救いを意味しました。民の救いは敵

対者に対する勝利です。「義」という意味のヘブル語「ツェダーカー」は「救い」「勝利」と訳し得るばか

りでなく、赦し、解放という趣旨も併せ含み得る言葉であって、それは端的に恵みに他なりませんでした。

・そして「神の義」を信じ受けるところに「人の義」が存在するというのが、旧新約聖書を一貫する信仰で

す。マタイは「神の御旨に対する服従という一点に『あらゆる義の成就』を見ていたのです。

・マタイはヨハネもイエスも共に神の御旨に従っていることを、14節、15節の二人の問答で言いたいのです。

しかもそこにはイエスが例外者として地上に来られたというのではなく、すべての人と全く同じ立場にご自

分を置かれたということです。しかもイエスヨハネとともにどこまでも神の御旨に従う服従の人として、

その公生涯への一歩を踏み出したのでありました。

・「イエスは洗礼を受けると、すぐに水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。

エスは神の霊が鳩のようにご自分の上に降って来るのを御覧になった。そのとき、『これはわたしの愛

する子、わたしの心に適う者』と言う声が、天から聞こえた」(16,17節)。

・この洗礼を受けた時のイエスに起こった出来事は、イエスご自身と神との一体ではないかと思われます。

「天がイエスに向かって開いた」と言われています。「天が開く」とは、大変象徴的な言葉です。私たちも

まれには、雲で覆われている天から光が地上に向かった一直線に注がれている光景を見ることがあります。

雲が地上と大空を隔てているのですが、その雲の隙間を突き破って大空で輝く太陽の光線が地上に突き刺

さって来るのです。そのような光線のように、神の霊なる命が私たちの全身に注がれたとするなら、私た

ちはこの地上にあって神と一体となった存在、即ち神の最愛の子として立つことが許されるのではないで

しょうか。

バプテスマのヨハネは、イエスが自分の所にやってくる前に、彼の所に来た人々に対して、このように語

っていました。<わたしは、悔い改めに導くために、あなたがたに水で洗礼(バプテスマ)を授けているが、

わたしの後から来る方は、わたしより優れておられる。わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない。

その方は、聖霊と火であなたがたに洗礼(バプテスマ)をお授けになる>(マタイ3:11)と。

バプテスマのヨハネとイエスの行動上における相違点を、荒井献さんは、三つあげています。.丱廛謄

マのヨハネの運動は、「悔い改め」にふさわしい生活形態として世俗から隔絶した一種の禁欲生活共同体を

形成し、ヨハネ自身はらくだの毛衣を着て、イナゴと野蜜を食べて「荒野」での洗礼活動をおこなっていた。

エスはむしろ世俗世界に入ってきわめて自由にふるまった。人を分け隔てすることもなかった。当時の人

たちはそういったイエスのことを「〈大飯くらいで大酒飲み、取税人や罪人の仲間だ〉と非難」したほどだ

ったと。▲茱魯佑「神の国」の接近にもとづいて人びとに「悔い改め」を迫ったのに対し、イエスは「神

の国」がすでに実現されつつつあると人びとに告知し、人びとがみずから、あえて社会的・民族的・経済的

、場合によっては倫理的にさえも「弱き者」の位置に立とうとするときに立ち現れるものとして「神の国

を説いた。イエスにのみ多くの奇跡的な逸話が伝承されている。これについては、イエスには実際に病気

を治癒する能力があったのかもしれないと指摘している。

・このバプテスマのヨハネとイエスの違いは、水による洗礼と火と聖霊による洗礼の違いとも言えるかも知

れません。イエスは人々に洗礼を授けてはいませんが、神の霊によって生きる道を示したと言えるでしょう。

・最後に先ほど紹介したバルトの言葉をもう一度思い起こしたいと思います。「もしわれわれがいつも祈り、

歌い、説教を聞き、美しい内面生活を送って、この世を悪しきままにしておこうとするならば、神の国はい

ったいどのようにして到来するのだろう。われわれは、キリスト教を、たんに私生活の中ばかりでなく、公

共の中で、全く別の仕方で妥当せしめるようにしなければならない」(バルト)。

・「神の国」がすでに実現されつつつあると人びとに告知し、人びとがみずから、あえて社会的・民族的・

経済的、場合によっては倫理的にさえも「弱き者」の位置に立とうとするときに立ち現れるものとして「神

の国」を説いたイエスと共に、今私たちが置かれているこの時代と社会の中で神の国を生きていきたいと

思います。