讃美歌「主われを愛す」を一人で歌う。
船越教会の牧師館で、ひとりで「主われを愛す」を歌う。この讃美歌は、関田寛雄先生の発案で私の支
援会では必ず歌われている讃美歌である。この讃美歌にこそ、バルト自身があの浩瀚な教会教義学のエッ
センスがあると言ったという。一人で歌っていると、己と主イエスとの間の密接不可分な関係が現れ、主
イエスの愛に満たされている自分を感じることが出来る。こんな自分も、神の愛する子どもの一人なのだ
という確信といったらよいのか。自分の内と外にあってこの自分に干渉してくる悪しき力から解き放たれ
て、慈母の懐に抱かれた幼子のように無垢の存在の自分である。
先週の日曜日の説教の聖書箇所、マタイ福音書のイエスの洗礼の記事を思う。「天が開け、聖霊が鳩の
ようにイエスに降った」という記事が想像力を膨らませてくれる。私たちも、イエスと同じ経験をしてい
るのではないか。「聖霊によらなければ、だれも『イエスを主である』とは言えない」(汽灰螢鵐12:
3)とあるように。
【2018年1月20日(土)】
1、 主われを愛す、 主は強ければ、
われ弱くとも 恐れはあらじ。
(くりかえし)
わが主イェス、 わが主イェス、
わが主イェス、 われを愛す。
2、 わが罪のため さかえをすてて、
天よりくだり 十字架につけり。
3、 みくにも門を ひらきてわれを
招きたまえり、 いさみて昇らん。
4、 わが君イェスよ、われをきよめて、
よきはたらきを なさしめたまえ。