「拘留」エレミヤ書37:11-21、2018年7月15日(日)船越教会礼拝説教
・神を信じ、主イエスを信じるキリスト者が、国家権力に抵抗したために、国家権力から弾圧されたり、
投獄されたり、場合によっては処刑されて殉教者になるということが、キリスト教の歴史の中で、事実起
きていることを私たちは知っています。古代教会の時代には、キリスト教がローマ帝国の国教になるまで
は、そのような出来事が頻繁に起こっていたと思われます。近現代において、私たちが知っていますナチ
ス・ドイツの時代に処刑されたボンフェッファーもその一人であります。私は今、ボンフェッファーの獄
中書簡『抵抗と信従』を、改めて少しずつ読み直し始めています。
・さて、日本の戦時下では、当時の天皇制絶対主義的な国家の下で、憲兵の監視下に置かれたキリスト
教・教会の中で、私たちからしますと、人によっては異端視する人もいますが、ものみの塔・灯台社の明
石順三も、当時の国家権力に抵抗した人の一人です。
・ものみの塔は、ご存知のようにある種の文書伝道が中心です。信徒が家を周って、ものみの塔の信条を
述べた本を売り歩くのです。そこに書かれている文書の内容が当時の官憲の目からして、不穏当なものと
されて、1933年(昭和8)には、灯台社社員の第一次一斉検挙がありました。その時明石順三は4日間拘留
されています。そして過去6年間に発行された書物冊子・印刷物のほぼすべては発売禁止処分に付されま
した。
・この時釈放された明石順三は、すぐに全国に散る灯台社社員に手紙を出して、その中で今後もキリスト
者であり続ける覚悟を持つか否かを問うたと言われます。その時大部分の灯台社社員は明石順三の問いに
肯定的に応えたので、これらの信者と共に明石順三は早速翌月から活動を再開しました。
・1939年(昭和14)1月に、明石順三の長男と社員の一人が相次いで銃器返納を申し出ました。灯台社は
兵役を拒否していたからだと思われます。そのことが契機となって、軍部が灯台社社員を再度一斉摘発
し、同年6月に明石順三は家族、灯台社社員と共に検挙されました。当初明石順三は、家族と共に荻窪署
に留置されましたが、8月末、一人だけ尾久署に移送され、以後、7ケ月にわたり苛酷な取り調べを受ける
こととなります。この時に内務大臣による強制閉鎖命令に基づいて灯台社自体が解散を強いられます。
・明石順三は、1942年(昭和17年)5月、東京地裁の第一審で、反戦・国体変革・不敬罪とされ懲役12年
(求刑無期)の判決を受けます。控訴、上訴の結果、懲役10年が確定しました。巣鴨拘置所で服役した
後、同年11月末には宮城刑務所へ移送となりました。順三は1945年(昭和20)の敗戦後まで、獄中生活を
送ることとなったのであります。
・1941年秋、長男は、銃器返納の宣言を撤回し、兵役に就くことを受諾したと言われます。その時、長男
から間接的に転向の説得を受けた順三は、これを拒否し、やがて長男に勘当を言い渡したと言います。戦
後になっても、順三と長男は決して会うことがなかったということです。
・これらのことから、明石順三は自らのキリスト者としての信仰によって、戦時下の時代、国家権力に抵
抗の姿勢を貫いたということが言えるではないかと思います。
・戦後しばらく、明石順三は灯台社との関係を持続しますが、数年後には、獄中にある間に考えを変えた
のか、灯台社と決別することになります。獄中にある間はものみの塔(Watch Tower)発行の印刷物を見
ることは出来ませんでした。数年の途絶期間を経て、明石順三は再びものみの塔(Watch Tower)発行の
文献と接するようになりましたが、双方の考えるところはこの頃までに既に相当なズレを持っていたよう
です。
・戦後本部から日本支部長になるように請われますが、日本支部長を正式に受けるにあたり、明石順三は
1947年(昭和22)8月に『公開状』を公表しています。その中に、「所謂『神の国』証言運動の督励方針
は要するにワッチタワー協会の会員の獲得運動たるに過ぎず」とか、「その自ら意識すると否とにかかわ
らず、種々の対人的規約や規則の作製は、せっかく主イエスによって真のクリスチャンに与えられたる自
由を奪い、ワッチタワー総本部に対する盲従を彼らの上に強制するの結集を到来せしめつつあり」とあり
ます。そのために両者は決裂して、明石順三は、その後孤高の人としてその生涯を終えています。
・少し詳しく明石順三についてのお話しをしましたのは、あの戦時下の時代、日本の社会の中にも明石順
三のような人がいたということを覚えたいと思ったからです。
・今日の説教題は「拘留」とつけました。先ほど司会者に読んでいただいたエレミヤ書37章21節に、「ゼ
デキヤ王は、エレミヤを監視の庭に拘留しておくように命じ」と言われていますので、そこから「拘留」
という説教題をつけた次第です。
・エレミヤが拘留されたのは、これが初めてではないようです。32章1-5節にも、そこではゼデキヤ王に
よってよって、王の宮殿にある獄舎に拘留されたと記されています。この獄舎は、今日の所では、「監視
の庭(直訳すれば「警備隊の庭」あるいは「詰め所」とでもいうべき所)」と言われ、同じ場所だと思わ
れます。
・今日のエレミヤ書の箇所、特に前半の11-16節は、エレミヤが逮捕監禁されるようになった経緯が述べ
られています。
・エジプトの王(ファラオ)ホフラの軍が、エルサレムを包囲していたバビロン軍に接近してきたため、
バビロン軍が退いて、エルサレムに一時的に自由が訪れます。エレミヤは、その時を利用して、≪エルサ
レムを出て、親族の間で郷里の所有地を相続するために、ベニヤ民族の地に行こうとしました。そのエレ
ミヤの行動が、イルイヤという守備隊長によってバビロン軍への投降と見られます(13節)。エレミヤと
イルイヤのやり取りがこのように記されています。
・(守備隊長のイルイヤがエレミヤに)「お前は、カルデヤ軍に投降しようとしている」と言います。エ
レミヤが、カルデヤ軍に投降しようとしていると勘繰られたのも不思議ではありません。エレミヤはかね
て、人々にバビロン軍への投降を勧めていたからです(21:9,38:2)。次回扱います38章2節にも、≪主は
こう言われる。この都にとどまる者は、剣、飢饉、疫病で死ぬ。しかし、出てカルデヤ軍に投降する者は
生き残る≫と記されています。
・それに対して、エレミヤは、「それは違う。わたしはカルデヤ軍に投降したりはしない」と答えます。
≪しかし、イルイヤは聞き入れず、エレミヤを捕え、役人たちのところへ連れて行≫(14節)きます。する
と、≪役人たちは激怒してエレミヤを打ちたたき、(牢獄として使われていた)書記官ヨナタンの家に監
禁した≫(15節)というのです。≪エレミヤは丸天井のある地下牢に入れられ、長期間そこに留め置かれ≫
(16節)たと言われています。
・おそらくエレミヤは一度だけではなく、何度もそのような目に遭ったのではないかと思われます。それ
でもエレミヤは預言者として、「主はこう言われる」と預言を語り続けました。そのために拘留されるこ
とがあっても、それをいとわずに語り続けたのです。
・後半の17-21節には、ゼデキヤ王とエレミヤの対面の記事が記されています。どのようにゼデキヤ王が
エレミヤのいる場所を知ったのかは、この記事だけでは分かりませんが、≪ゼデキヤ王は使者を送ってエ
レミヤを連れて来させ、宮廷でひそかに尋ねた≫(17節)というのです。バビロン王によってユダの国の
王に立てられたゼデキヤ王は、親エジプト派の役人たちを恐れていたのかも知れません。
・ゼデキヤはエレミヤに≪「主から何か言葉があったか」≫と聞きます。もしかしたらゼデキヤはバビロ
ン軍の一時撤退が神の計画の変更を意味するのではないかと、ひそかに期待したのかも知れません。しか
し、エレミヤの伝える主の言葉には変更はありません。エレミヤは答えて、≪「ありました。バビロン王
にあなたは渡されます。」≫と言います。
・エレミヤには、自分がたとえ役人に捕まって拘留されるという窮地に置かれても、真実を曲げて取引を
するなどということはあり得ませんでした。むしろ逆にエレミヤはゼデキヤ王に向かて、真っ向から問い
詰めます。≪「わたしを牢獄に監禁しておられますが、一体わたしは、どのような罪をあなたとあなたの
臣下に犯したのですか。『バビロンの王は、あなたたちも、この国も攻撃することはない』と預言してい
たあの預言者たちは、一体どこへ行ってしまったのですか。王よ、今どうか、聞いてください。どうか、
わたしの願いを受け入れ、書記官ヨナタンの家に送り返さないでください。わたしがそこで殺されないよ
うに。」≫(18b-20節)と。
・28章1節以下を見ますと、ハナンヤのような楽観的な預言を語って、人々の人気を博した預言者たちが
その責任を問われずに、真実の預言を語るこの私が犯罪者として扱われるのは、どうしたことか。エレミ
ヤは王に対し、正義に従って適切な措置を取るように要求します。
・すると、≪ゼデキヤ王は、エレミヤを監視の庭(直訳すれば「警備隊の庭」あるいは「詰め所」とでも
いうべき所)に拘留しておくように命じ、パン屋街から毎日パンを一つ届けさせた。これは都にパンがな
くなるまで続いた≫(21節)というのです。エレミヤは、王のはからいによって、安全かつ食料の心配のい
らない条件を与えられ、ここに、エルサレム陥落の日までの時を過ごすことになりました。
・今日の箇所のゼデキヤ王のように、真実を語るエレミヤを保護するような権力者はそうはいないでしょ
う。ここではゼデキヤ王の優柔不断な面が現れたのかも知れません。ただ預言者エレミヤは、「主はこう
言われる」と、神を信じて与えられた預言を、どんな状況の中でも語り続けたことだけは確かです。その
ことによって、ユダの国の滅亡と主だった人々のバビロン捕囚という激動の時代の中で、王を初めユダの
国の民が自ら歩むべき道を見失っているときに、エレミヤは預言という言葉をもって、イスラエルの民が
神と共に歩むべき道を示し続けたのです。
・神を信じ、主イエスを信じる者は、その信仰の故に神の平安を与えられると共に、キリスト者だけでな
く、すべての人が義と平和と喜びをもって生きることができる道を示す使命が与えられているのではない
でしょうか。獄中にあったボンフェッファーは、その信仰によって自分と同じ収容所に入れられた隣人を
励ましただけでなく、看守からも信頼を得ていたと言われます。ボンフェッファーは、ナチス・ドイツの
ヒットラーが支配するドイツの中で、神にあって人間が本来生きる道を生きて、殺され、復活して、霊に
おいて今も私たちを導く主イエスの道を、人々に示し続けたのではないでしょうか。
・私たちも、資本という富が権力と結託して、別の道を私たちに強要するこの時代と社会の中で、主イエ
スの道に留まり、主イエスの道こそが、すべての人が義と平和と喜びを共有することができる道であるこ
とを、自分らしく証言し続けていきたいと願います。
・主が共にしてくださいますように。