なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(388)

     船越通信、癸械牽検   。横娃隠固11月18日   北村慈郎


・11日(日)は礼拝後残れる人でお茶を飲みながら、しばらく懇談して、その後役員会を行いました。

今年の夏前だったと思いますが、Nさんからは船越教会への転入の希望を聞いていました。今回T教会

から薦書が来ましたので、この日の役員会で、Aさんご家族4人の日本基督教団T教会からの転入が承認

されました。どうぞよろしくお願いいたします。転入会式は12月23日のクリスマス礼拝で、客員のBさん

と共に行う予定です。また、Aさんのお連れ合いからは、T教会で中学生のための学習教室をしていま

したので、船越教会への転入によってその学習教室を船越教会でも続けたいという要望が出ていましたの

で、役員会ではそのことも承認しました。原則として11月14日(水)から毎週水曜日午後6時から8時まで

学習教室が船越教会で行われますので、皆さんもご了解ください。何か教会に用事がある時も、水曜日の

午後6時から8時までは遠慮してくださいますようにお願いします。この日の役員会ではもう一つ、教会集

会室と台所の床の補修の件で、現行の板の上にさらに板を二重に張る工法による補修をN建設にお願い

することにしました。見積額は313,200円です。会堂補修積立金より支出することにしました。工事は11

月27日(火)から3日間で行われる予定で、クリスマスまでに集会室と台所の床の補修は完成しそうで

す。ご期待ください。その他に役員会ではクリスマスの準備もしました。今年は12月2日(日)アドベン

ト(待降節)第一主日で、12月23日(日)がクリスマス礼拝、24日(月・休)が燭火礼拝です。役員会を

終えて、次週の準備をして、私は午後3時頃船越教会から鶴巻に向かいました。


・12日(月)は午後1時から連れ合いが東海大学病院で白血球を増やす薬の注射に行くことになってい

ましたので、早目に病院に行き、受付をしたところ注射もすぐにしてくれて、病院の食堂でお昼を食べ

て、午後2時前には鶴巻の自宅に帰ってくることができました。病院行では今までの最短時間でした。


・13日(火)は午後1時から農伝の説教演習の授業に行きました。


・14日(水)は、連れ合いの病気が発見される前に頼まれていたS女学校中学2年生の全体修養会

の講師の務めがあり、朝9時までにS女学校に行きました。S女学校中学2年生は、本年6月頃だったと思い

ますが、全生徒、寿の炊き出しのボランティア体験をしました。その関連で寿活動委員会の委員長をして

いる私に全体修養会の講師の務めが回ってきたのだと思います。この全体修養会では、中高全生徒の出席

による開会礼拝の後、中高各学年に分かれて、各学年に招かれた講師が午前と午後と2回約1時間強の話を

することになっています。ただ高校2年生だけは開会礼拝後バスで御殿場の捜真の施設に行き2泊3日の自

然教室があり、出かけていきました。そこで明日講師の話があるようです。私はプロジェクターを使って

視覚に訴える技術がありませんので、お話だけで2時間以上生徒は居眠りせずに私の話を聞いてくれるか

心配でした。学年主任の先生からも、話しだけでなく、ワークショップのようなものを入れてくれるよう

にという要望を受けていました。けれども、話だけ準備して当日を迎えました。第一回目は、父の会社が

倒産し、母が筋萎縮症で寝た切りになっていた私の中高時代の自分史、神学校時代と最初の任地である足

立梅田教会時代の10年間の足立区本木町の廃品回収でかろうじて生活していた人々のセツルメントである

本木隣保館の聖書集会での経験、寿町の炊き出しの背後にある日雇労働者や路上生活者(ホームレス)の

現実、ホームレス襲撃事件、ホームレスの方も日雇い労働の経験がある方がほとんどであることを踏まえ

て、日雇労働者の働きがあって私たちは都市生活ができること、私たちの社会が競争社会であり、一部の

上層と一部の下層生活者を含んだ縦ひしがたをしていて、多くの中間層が上(上層)に目を向けているこ

と、競争社会ではなく、「下に昇る」「みなちがって、みんないい」みんなが助け合って生きる円盤の上

に対等な人間同士の共生社会でないと、ホームレスの人がいなくなることはないということ等をお話しし

ました。第2回目は、生徒がその後のホームルームで書いた私の第一回目の話に対する感想文の中に、一

人だけ自分は自分のことしか考えられないと正直に書いてくれたことを切り口にして話を始め、人間は皆

自分のことを中心に考える自己中心的な者であること、それは生物としての人間が自分の命を守らなけれ

ば生きていけないことからも言えること。その自己中心的な人間が承認を通して多く愛される(大切にさ

れる)ことによって、多く愛する(大切にする)人間に変わりえること、「愛する」とは「大切にする」

ことである。他者の承認によって人は自分の尊厳を認めることができること、根本的には賜物としての命

に気づくことにより、見えない神の慈愛を感じて自分の尊厳を認める(依存型尊厳観)。自分の自由によ

る行動が他者から承認されることによって自分の尊厳を認められる(自立型尊厳観)。イエスは当時のユ

ダヤ社会の中で、パリサイ人らによって承認されずに、律法違反者・罪人として排除された人々と出会

い、彼ら・彼女らを大切な存在として承認し、共に生きられた。そのことによって排除されていた人々も

自分の足で立って歩み出した。イエスは祈りを大切にした。祈りは自分の願望を神にかなえてもらうため

のものではなく、神との対話であること。その対話を通して神の命が私たちの中に注がれて、自己中心的

な自分が新しくなる。その新しい自分と古い自分は、最後まで葛藤していくが、徐々に新しい自分が大き

くなると、全体修養会のテーマである「心を込めて愛し合いなさい」(汽撻肇4:8)に、私たちは応え

て生きることができる、というようなことを話しました。生徒たちは案外静かに聞いてくれました。


・15日(木)は午後4時から基地・自衛隊問題小委員会が高座渋谷教会でありました。委員の一人とし

て私も出席しました。来年1月14日に湘北地区委員会と共催で行う厚木基地とキャンプ座間の基地見学会

のチラシを各教会・伝道所に送る作業をしてから、委員会をし、委員で最近の辺野古のビデオを鑑賞しま

した。


・16日(金)は午後6時半から寿地区活動委員会がありました。午後4時頃鶴巻を出て、キリスト教書店

に寄ってから委員会が行われる寿地区センターに行きました。委員会後主事のMさんと話をして、この日

は直接船越教会に来ました。