なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(391)

      船越通信、癸械坑院   。横娃隠固12月9日   北村慈郎


・2日の日曜日は、礼拝後いつものように残れる人でお茶を飲みながら懇談の時を持ち、その後役員会を

行いました。前回の役員会でクリスマス礼拝と燭火礼拝の役割担当者は決めてありましたので、その他必

要な打ち合わせをしました。今年の燭火礼拝は休日になりますので、開始時間を午後6時からにし、祝会

の終わりも午後8時半をめどにすることにしました。前回までと同じように祝会は会食形式で、H・Tさ

ん、H・Sさんを中心に無理をしない程度に持ち寄りのお料理を用意することにしました。この形式が何時

迄続けることができるか、全体のメンバーの年齢も高くなっていますし、今までできた方でもできなく

なっている人もいますので、何れ燭火礼拝祝会の在り方を抜本的に考えなければならない時が来ると思い

ます。船越教会の燭火礼拝後の祝会は宴会のようでもあり、食べて飲むことに特化した大変ユニークな会

です。その時を楽しみにしておられる方も多いともいますので、身の丈に合った形で可能な限り続けたい

とは思いますが・・・。またこの役員会で私の冬期休暇を決めてもらいました。24日(月・休)の燭火

礼拝が終わりましたら、何時もは連れ合いが病気になってから土日の2日だけ船越教会に滞在しています

が、29日の土曜日はお休みにさせていただき、30日(日)の礼拝説教は私がいたします。新年になっ

て最初の日曜日の1月6日は、礼拝説教をMさんにお願いして、私はお休みさせてもらうことにしまし

た。ということですが、緊急なことが起こった場合は、私の携帯に連絡くだされば、それに対応したいと

思っています。この日は礼拝後の懇談の時の後、SさんとNさんが庭の掃除を午後2時頃までしてください

ました。私は役員会後に次週の準備をして、午後3時頃船越教会から鶴巻に帰りました。


・3日(月)は私の前立腺のことで秦野日赤に行きました。実は11月19日から21日まで私は秦野日赤に前立

腺がんの検査入院を入院していましたので、その結果をこの日の診察で医師から告知されることになって

いたからです。診察の予約は午後2時でしたので、お昼を食べてから出かけました。前立腺がんの検査入

院は一年ほど前にも一回しており、その時は十数か所組織を取って調べましたが、すべて白でがんは発見

されませんでした。その後も3か月に一回診察を受けて薬をもらって飲んでいますが、数値が下がりませ

んので、今回の検査ということになった次第です。結果は今回も白で十数か所の取った組織には癌の兆候

はみられなかったということです。今後も3か月に一回診察に行き、経過観察を続けていくことになりま

した。連れ合いのこともありますので、先ずは一安心しました。


・4日(火)は、午前中名古屋から連れ合いの見舞いに来る人があり、その人を鶴巻温泉駅に迎えて、自

宅マンションに案内してから、私は午後1時から始まる農伝の説教演習の授業に出かけました。何時もは1

0時半過ぎには家を出て、町田駅鶴川駅で下車し駅前で昼食を済ませてバスで農伝に行っています。し

かし、この日は鶴巻温泉駅を11時半過ぎの電車に乗りましたので、町田でサンドイッチと飲み物を買い求

め、農伝近くの野津田車庫行のバスに乗ってから、バスの中でサンドイッチを昼食代わりに食べました。

午後1時10分前に農伝に着き、授業の時間に間に合うことができました。この日は午後6時から蒔田教会教

育館で常置委員会もありましたので、農伝の授業が終わってから、そちらに向かいました。常置委員会で

は羽沢伝道所の主任担任教師として招聘されたS・Iさんの面接がありました。S・Iさんは農伝を卒業し川

崎戸手教会伝道師をした後、無任所でしたが、今回羽沢伝道所の主任担任教師に招聘されました。S・Iさ

んの羽沢伝道所での働きの上に主の導きをお祈りいたします。この日の常置委員会は比較的議事がスムー

ズに進行して、午後8時前には全て終わりました。この日も私は有志の会食を失礼して、すぐに鶴巻に

帰って来ました。


・5日(水)は、沖縄からK・Rさんが連れ合いを見舞いに来てくれました。同時に私の支援会の事務局の

方々4人も、支援会の打ち合わせもあって一緒に来てくれました。K・RさんとK・Hさんは用事があって午

前中に帰られましたが、後の支援会事務局の3人は昼食を共にし、打ち合わせをして午後2時過ぎに帰られ

ました。今まで支援会の会計の一端を連れ合いが担っていましたが、今回別の方が担ってくださることに

なり、ほっとしています。


・6日(木)、7日(金)の2日は何もなく、鶴巻で教団「合同のとらえなおし」の資料を少しずつ読み

始めました。来年3月24日(日)~25日(月)に関西で行うことになっています「沖縄から米軍基地撤去を

求め、教団『合同のとらえなおし』をすすめる連絡会」の全国集会で、来年は69年合同からちょうど50年

になりますので、「合同のとらえなおし」50年のある意味での総括的な話を、私がすることになっている

からです。私は、教団において委員として実質的に「合同のとらえなおし」の問題には関わっていません

ので、このテーマの発題者としてはふさわしくありませんが、この問題に実際に中心的に関わった方々

は、現在第一線を退いていますので、その方々からすると次の世代の私のような者が発題をするほかない

からです。出来る限りの準備をして発題に臨みたいと思っています。


・8日(土)は、午後紅葉坂教会の関係者二人が連れ合いを見舞いに来ましたので、この日も二人を鶴巻

駅まで迎えに行き、自宅マンションまで案内して、私はすぐに船越教会に向かいました。この日は「沈

黙」の上映会が横須賀でありました。最初私はこの上映会には行く予定を立てていませんでしたが、この

沈黙上映会への右翼の妨害のことを知り、一人でも多くの上映会参加者が必要ではないかと思い、急遽出

かけることにしました。映画上映会場には午後4時前に着きました。会場の外には警察官が相当数配置さ

れて右翼の妨害を警戒していました。これは右翼を会場に近づけないという仮処分申請が横浜地裁で認め

られ、会場の300メートル以内に右翼が入ってはならないということになったからだと思われます。警察

官の他にも多くの人が右翼警戒に立っていたようです。映画そのものは慰安婦の自己証言を淡々と描いて

いて、天皇と日本国家の(それは同時に日本人である私たち一人ひとりの)責任を鋭く問うものでした。