なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

軌跡

キリスト者としての「わたし(たち)」とは?

下記の文章は、神奈川教区ヤククニ・天皇制問題小委員会から依頼されて、その小委員会の機関紙、神 奈川ヤスクニニュース、2016年6月13日発行、復刊第35号に寄稿したものです。神奈川ヤスクニニュースがお 手元に届かない方もいらっしゃると思いますので、こ…

「エレミヤの信仰、その1」

今船越教会の礼拝説教でエレミヤ書を扱っていますが、約45年前の私が神学校を出て最初に赴任した 足立梅田教会の月報に書いたのが、下記のものです。 聖研:「エレミヤの信仰」その1 (足立梅田教会月報1971年6月号より) はじめに この聖研は日曜日夜の聖…

軌跡(4)

「信仰・階級・市民」 飯沼二郎(教団新報より) (1971・10 月報 日本基督教団足立梅田教会) その四 内なる抑圧 「隣人を愛する」とは、神から与えられた隣人の天分(個性)を阻げている内外のエゴイズムによる抑 圧を排除するべく努力すること、す…

軌跡(3)

「信仰・階級・市民」 飯沼二郎(教団新報より) (1971・9 月報 日本基督教団足立梅田教会) その三 みえない人 私たちをとりまく法律のすべてが、支配階級のエゴイズムのあらわれであるわけではない。支配階級 は、法律が自らのエゴイズムのあらわれ…

軌跡(2)

飯沼二郎さんのこのような文章が「教団新報」(日本基督教団機関紙)に掲載されていたという ことは、現在では考えられなません。 当時の足立梅田教会は、青山学院の中高の宗教主任をしておられた故藤村靖一先生が学校と教会の 兼務ができないということで、…

軌跡(1)

私が神学校を出て最初に赴任した教会は、東京の下町にある足立梅田教会です。1969年4月になります。 2年くらい経ってから月報を出すようにしました。月報には、足立梅田教会の営みの他に、当時の教団の 状況や問題になっていることを知らせなければと思って…