なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(467)

船越通信、№467 2020年9月13日 北村慈郎

  • 6日(日)は礼拝後、Hさんが作って来てくれましたけんちん汁を、お椀に一杯ずつ残った人10人でいただき、その後散会しました。その後9月の役員会を行いました。役員会では、報告(⓵8月の礼拝出席者平均9.8名、②会計は、大口献金もあって今年は恵まれていて、次月繰越金は大幅プラスになります。③急傾斜地については、しばらく前に私の所に横須賀市土木部の方から、「船越教会から出した問い合わせについては、調査中で、回答はもうしばらく待って欲しい」との連絡があり、回答待ちです。⓸8月29日(土)清水ヶ丘教会での第144回教区総会には、私とIさん、Wさんが出席(報告は前回の船越通信を参照ください)。⑤北村牧師支援関係は、支援会第8回総会を下記の日程で開催予定。10月31日(土)13:30~15:00、早稲田奉仕園スコットホール、関係者には通知発送済み。以上の通り報告があり、承認)。協議(⓵10月役割担当、②信徒講壇の件、9月20日の信徒講壇説教はMさんが担当する(北村牧師が夏期休暇のため)。ただし、Mさんに不都合が生じた時は、北村牧師が、夏期休暇《9月20日(日)~9月26日(土)》の日程を変更して、説教を行う。夏期休暇は新たに設定する。③急傾斜地の件、横須賀市からの回答をもらってから検討する。④人権と平和を考えるDVD鑑賞会の件、9月13日(日)に「9条を抱きしめて~元米海兵隊員 アレン・ネルソンが語る戦争と平和~」を上映する。⑤教会だより「船越の丘から」編集の件、12号を11月に発行をめざし、記事の内容と執筆者、執筆者への依頼担当者を決める。以上可決承認)。役員会は午後1時頃終わりました。
  • 私はその後次週の準備をして船越教会を出て、鶴巻に帰りました。鶴巻には午後4時頃着きました。この日は娘が夕食を作ってくれましたので、鶴巻に帰ってからは、リビングの椅子に座ってテレビを観て過ごしました。コロナウイリス感染による外出の自粛ムードが広がったのが、丁度3月3日に連れ合いが帰天した頃からでした。ですから、この6か月間どうしても外出しなければならないとき以外は、ほどんど家での生活になっています。家で何をしているかと言えば、家事労働をしたり、本を読んだり、日曜日の準備をしたりしていますが、テレビを観る時間がコロナ問題が起こる以前からすると、相当多くなっています。一週間で25時間から30時間くらいになっているのではと思います。ジャン・バニエの本を読んでいたら、こんな言葉に出会いました。「・・・現実は時として痛ましく、嘆かわしいものです。そこで、夢に逃げたり、錯覚に陥ったりします。理論武装をし、気晴らしに身を投じたりします。アメリカでは、現在(2001年)、週平均、28時間から32時間、テレビを見るとのことです。それは現実の世界ではなく、錯覚と夢の世界に軸足を置いていることと言えるでしょう。皆、多少とも、自分自身のアルコ(苦悩)の谷から逃げています」。バニエは、テレビを観ることは現実逃避に繋がると言っています。けれども、情報源としてのテレビは新聞と共に、現実を認識するための手段でもあります。テレビも新聞も、その情報にはバイアスがかかっていますから、批判的に読んだり、観たりする必要はあるでしょうが。しかし、私のテレビで観る番組は、ニュースなどの情報番組ももちろん観ていますが、サスペンスも結構観ています。バラエティー番組はほとんど観ません。ボクシングやテニスの全米オープンの大阪なおみの試合など、スポーツ番組が少しというところです。ただこの6か月のテレビを観ている私は、バニエの言うように、現実逃避に近いのではと思っています。連れ合いの記念誌をお贈りした、私と同じように3年前に連れ合いをなくした先輩牧師からお葉書をいただき、その中に「私も、3年近くたってもまだ、物理的空間的に穴が開いたようで、あんなに大きな存在がなくなるという現実になじめないでいます」とありました。この穴は私が生きている限り、埋まることはないと思います。ただ生かされている以上は、私に与えられている務めを再確認しながら、その荷を追っていかなければと、新たに思い始めています。
  • グティエレスの『解放の地平をめざして~民衆の霊性への旅~』を引用メモを取りながら読んでいます。その一節にこういう言葉がありました。「イエスが、神の国の福音を告げ知らせるために来られた神の御ひとり子であるメシアであると認めたとき、今、生まれた共同体は、人間の歴史のただ中にあって証しとなるメシア的共同体となった。/エスに従うことは、根本的に個人的な問題ではなく、共同体的冒険である。神の民の旅の出発点は、共同体における、主との直接の出会いである。『わたしたちは、メシアに出会った』」(67-68頁)(下線筆者)。クティエレスは、「イエスに従うことは、・・・共同体的冒険である」と言っています。私は、今改めてこのことを考えています。
  • 連れ合いの千賀の横浜保育専門学院時代の友人から手紙をいただきました。その中に、「(千賀の)記念誌は、千賀さんが心をこめて祈られ希望のメッセージだったのでしょう。私は祈念誌、祈念詩として大切に手元において、千賀さんの平安を祈りつつページを開こうと思っております」と書かれていました。嬉しく思いました。
  • 10日(木)午後4時半から高座渋谷教会で本年度はじめての基地・自衛隊問題小委員会(以下基地小)があり出席しました。コロナウイリス感染の問題で、4月以降ずっと委員会開催を控えていましたが、一度開いて今年の活動をどうするか話し合う必要がありましたので、今回開催することになりました。報告では、座間のバスストップの会の定例水曜日行動(座り込み)は、この間も休むことなく行ったということです。月一回のデモは3月以降中止ということで、その他の活動もほとんど自粛している状態です。基地小としても今年度の活動は、例年行っている講演会は中止し、毎年2月頃に行っています、基地小の委員を中心にした「神奈川県の基地の一年間の動きについて」の学習会を行うことができればすることにしました。その際南西諸島の自衛隊基地強化の現状についても聞きたいという意見も出ました。これもコロナウイリス感染の状況を見て、可能ならばということになります。PCRの社会的検査の拡充によって、日常生活が通常のように維持できるようになることを期待したいと思います。