なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

説教「いのちの分ち合い」ヨハネ福音書6:35,Ⅰコリント11:23-26

・ 三・一教会に招かれて「聖餐について」話して欲しいと頼まれてしたのが、下記の  説教です。

・ 私は、宗教教団としての教会が人々から不必要だとされて滅んでも、契約共同体としての教会は、現代の社会にも未来の社会にも、人々が心から求めている人間社会のあり様(神の国)であるので、滅びることはないと思っています。衰退しても、必ず復活・再生すると信じています。

・ 中産・上層階層を中心とした心の宗教としてのキリスト教は、一部の超上層階層と低所得で生活せざるを得ない圧倒的多数の人々に分化していく社会では、存在理由を失うに違いありません。日本基督教団の構造的な教勢の衰退の根本的な原因もここにあります。今の教団執行部が、「それ行け、伝道」といくら檄を飛ばしても、それが空しいのもここに理由があります。

・ 教団が、謝儀による生活保障を伴う教職を中心に形成される教会をイメージしている限り、どんな計画をたたても失敗するでしょう。僕のような年金生活者は、教会からの謝儀が少なくても生活ができます。けれども若い教職は、教会の謝儀で生活しようとすると、それが可能な教会は年々少なくなっていきますので、自分で働いて生活費を稼がなければなりません。立派な会堂を持ち、その維持だけで大変な教会ではなく、みんなが集まることのできる場所を確保するだけで十分です。

・ 下記の説教でスケッチした「契約共同体としての教会」を、少人数でもいいから「家の教会」のようにいろいろなところに生み出していくことに、これからは集中していくべきだと思います。

・ 所属教会を異にする同じ地域に住む信徒たちが、所属教会は違っても、その地域において結びつきを持ち、下記の「契約共同体としての教会」が志向する働きを協力して担っていくことができれば、この時代と社会に何がしかのメッセージを語ることができるのではないでしょうか。神奈川教区の場合、委員会活動がその役割を担っているように思っています。その委員会活動にも、平和と人権という社会的な問題領域に関わる委員会の委員には人を出さない教会もあります。今の教団の執行部を支える教会にその傾向が強いように思えます。

・ 以前新教出版社の小林望さんに勧められて『自立と共生の場としての教会』を、それまで自分が教えられ、考えて来たことを、以前に書いたり、話したりしたものをまとめて本にしました。その展開をこのブログやその他の情報手段を通して、少しずつでもできればと願っています。

・ 今日は、今月末に開催される教団総会に向けて、支援会の通信第29号、キリスト新聞意見広告写し、教団総会期中の支援会の「全国交流集会」案内を、支援者と住所の分かる教団総会議員(教職)にメール便で発送しました。そのこともあり、少し気持ちが高ぶっているのかも知れません。

 

「いのちの分ち合い」ヨハネ福音書6:35、Ⅰコリント11:23-26

              2022年9月11日(日)三・一教会礼拝説教

 

はじめに

  • 今日は表見先生[i]から聖餐についてのお話を頼まれましたので、説教ではありますが、私が紅葉坂教会の牧師時代に希望するならば礼拝参加者全てに開かれた聖餐式を行うようになった経緯を含めて、聖餐についてお話させていただきたいと思います。表見先生のお話では、皆さんは、既に、禿先生や小海先生からも聖餐についてのお話をお聞きになっているということですから、両先生がどのようなお話をされたのか分かりませんので、重なるところもあるかと思いますが、その点はご容赦ください。

紅葉坂教会の事例の紹介

  • 最初に紅葉坂教会のことを少しお話しいたします。紅葉坂教会が伝統的な洗礼者のみの陪餐による聖餐式から、希望すれば洗礼を受けていない人でも陪餐ができる聖餐式をするようになったのが、何時頃からかははっきりせず、どうも1980年代半ばごろからではないかと思われます。当時の紅葉坂教会の牧師は岸本羊一さんでした。確か岸本羊一牧師は紅葉坂教会の牧師時代に10年ぐらい教団の副議長でもありました。岸本羊一さんは紅葉坂教会に1977年4月に赴任したのですが、最初のころは伝統的な聖餐式を行なっていたようです。ところが、ある時期から、洗礼を受けていないからと言って、聖餐に与りたいと思う人に陪餐を拒絶することは自分にはできないと思うようになったようです。伝統的な聖餐式においては、式文にはないのですが、司式者は、招きの言葉の最後に、「洗礼を受けている方はどこの教会の属している方でも聖餐にお与りください。洗礼を受けていない方はしばらくお待ちください」という言葉を述べます。この言葉によって、聖餐式は洗礼を受けた者だけが与るということを明らかにしているわけです。そのことによって、まだ洗礼を受けていない人は、聖餐式の度に、仲間外れにされたような疎外感を味わうわけです。岸本羊一牧師は、ある時期から聖餐式の時にこの最後の言葉を言わなくなったのではないかと思います。ですから、実質的に礼拝参加者は洗礼を受けていなくても、希望すれば聖餐に与るようになっていったわけです。岸本羊一牧師時代に役員会でそのことが問題になったようですが、岸本牧師は、この聖餐の陪餐者の問題は微妙な問題なので、これから学んでいくようにしましょうとおっしゃって、それからしばらくして岸本牧師は急逝しましたので、役員会でも教会全体でも聖餐についての学びはできませんでした。岸本牧師の後紅葉坂教会牧師は2人の若い牧師が引き継ぎましたが、紅葉坂教会としては2人目の若い牧師に長く牧会してもらうつもりで招聘したのですが、その牧師も2年で辞任することになりましたので、当時名古屋の教会で牧師をしていた私が紅葉坂教会出身者でしたので、私に招聘の話が来て、1995年4月から私が紅葉坂教会の牧師になったわけです。実は、私の前の牧師時代に、聖餐式の時に陪餐者は洗礼者に限る言葉を岸本牧師以後言わなくなっていたので、礼拝に出ていた中学生くらいの子どもが陪餐したわけです。礼拝後その子のそばにいた年配の女性の教会員が、その子にわざわざ「あなたは洗礼を受けていないので、聖餐には与れないのよ」と注意したのです。それを聞いていた役員が、そのことを役員会で問題にしました。その時の牧師は個人的に注意した信徒に話すということで、この問題を治めたようです。1995年4月に紅葉坂教会牧師に私は就任しましたが、最初の役員会で、このような問題が起こるので、聖餐について道をつけてもらいたいという強い要望を受けました。そこで3年間ぐらいかけて、役員会と教会全体の学びと話し合いを繰り返し、最後には教会員の中からそろそろ結論をつけてほしいという意見が出て、1999年3月の教会総会で、聖餐の陪餐は洗礼者に限るとする教会規則8条削除を諮り、賛成多数で承認可決しました。この議案には付帯条項がありました。それは、「この教会規則8条削除をもって、聖餐には希望すれば礼拝参加者の誰でもが与れることを明言して聖餐式を執行する、聖餐式の式文は牧師の裁量に委ねる」というものです。ですから、1999年4月のイースター礼拝から、紅葉坂教会では聖餐式は、いわゆる「開かれた聖餐式」を行うようにしました。聖餐式の序詞(招きの言葉)の最後は、私はこのように言いました。
  • 「この主の食卓には、この礼拝に参加しているすべての人が与ることができます。それぞれの場にパンと杯をお持ちしますのでお取りくださり、今申し上げた主イエスの招きに応えて、この主の食卓に与かってください。しかし、今はこの招きに応えることができないと思われる方は、パンと杯をとらないで、しばらくその場でお待ちください。自分は主の食卓に与るのは、ふさわしくないと思っておられる方があるならば、そういう方こそ主は招いてくださっていることを覚えてください。この主の招きは一切の条件や資格を問いません。どうか主の招きに応えて、共に食卓に与かっていただきたいと思います」。
  • 紅葉坂教会が「開かれた聖餐」を行うようになった経緯は、大体以上ですが、もう一つ紅葉坂教会が「開かれた聖餐」を選ぶようになった要因として、寿の「炊き出し」があります。聖餐の原型の一つとされていますが、福音書の中に5,000人、4,000人の共食の物語があります。この物語と寿の「炊き出し」は通底しています。紅葉坂教会には寿に関わるボランティアが多くいましたので、寿の「炊き出し」に、聖餐の原型を見出すだけでなく、本来の教会の姿を見ていた人もいたのです。私もその一人です。ですから、炊き出しをしている寿にこそ教会があるのだ、という風に考えていた人も、多くはありませんが、寿のボランティアの中にはいたのです。このことも紅葉坂教会の「開かれた聖餐」選択に何がしかの影響があったと思います。紅葉坂教会のメンバーの中では、洗礼を受けていない人でも、希望すれば誰でも陪餐できるという聖餐式の執行に否定的な人は、ごく少数はいましたが、ほとんどの人は抵抗なく受け入れていました。
  • 子どもの陪餐については、保護者の判断に委ねましたが、ほとんどの子どもは陪餐していました。ただ信徒の子どもさんでしたが、中高生くらいの子が、一人だけ自分は洗礼を受けてから聖餐に与るのだと言って、聖餐には与らなかったように記憶しています。
  • 以上が、紅葉坂教会が、いわゆる「開かれた聖餐」を行うようになった経緯です。私の戒規免職の問題が起こり、私が2011年3月末に任期満了で紅葉坂教会を辞任してから、紅葉坂教会に招聘された伝道師が、正教師試験の受験で教師検定委員会との面談の中で、聖餐のことで嫌がらせを受けこともあり、現在の紅葉坂教会の聖餐式は、先ほど紹介しました私が聖餐式の序詞(招きの言葉)で最後に語った、「どなたでも希望する方はお受けください」という会衆への積極的な語りかけはしていないのではと思います。式文inochinの通りに行っていると伺っています。

最初期教会の聖餐(Ⅰコリント11章23-26節に基づいて)

  • さて、先ほど司会者に読んでいただいたⅠコリント書11章23-26節が、イエスと弟子たちがしたと言われる最後の晩餐と共に、聖書の中に記されている直接的な聖餐式の根拠を示す記事になります。この箇所のすぐ後の27節に、「従って、ふさわしくないままで主のパンを食べたり、その杯を飲んだりする者は、主の体と血に対して罪を犯すことになります」と記されています。ここの「ふさわしくないまま」ということが問題になります。実際に各教会で行われている聖餐式では、多くの場合この「ふさわしくないまま」は、「洗礼を受けないままで」と解釈されて語られていると思います。しかし、皆さんもお聞きしていると思いますが、このⅠコリント書の文脈では、教会員同士の仲間割れが問題になっているのです。貧しい者が遅くまで働いて、教会に来たら、富める者が教会に早く来ていて、すでに食べ、飲み、酔っているということが問題になっているのです。コリント教会では聖餐式は食事の中で行われたと思われます。ところが、「食事のとき各自が勝手に自分の分を食べてしまい、空腹の者がいるかと思えば、酔っている者もいるという始末だからです。あなたがたには、飲んだり食べたりする家がないのですか。それとも、神の教会を見くびり、貧しい人々に恥をかかせようというのですか。わたしはあなたがたに何と言ったらよいだろう。ほめることにしようか。この点については、ほめるわけにはいきません」(11:21-22)と言われているのです。
  • ですから、Ⅰコリントの文脈では、「ふさわしくないままに」とは、富める者が貧しい人を蔑ろにして、自分勝手に行動している、そのことを指しているのです。決して、「ふさわしくないままに」は、「洗礼を受けないままで」ということではありません。
  • ですから、「聖餐式は洗礼を受けている者だけが与り、受けていない者は洗礼を受けるまでは与ることが出来ない」ということが、教会誕生後の教会の歴史の中で最初に文書に出てくるのは、2世紀半ばのディダケーという文書の中においてです。このことは、最初期の教会から、教会がヘレニズム(ギリシャ・ローマ世界)に広がって行き、制度的にもいろいろ整っていく過程の中で、聖餐式も今の教会が礼拝の中で行っているような形になっていいき、聖餐式における陪餐も、洗礼を受けた人に限られるということになっていったということでしょう。

教会って、どんなところ?(最初期の教会と現代の教会の違い)

  • 皆さんは、教会というと日曜日にみんなが集まって礼拝するところというイメージをもっておられると思います。今は政教分離ということで、日常の市民生活は教会とは別の領域である市民社会の中で送っているわけです。信仰は内心の自由ということになります。けれども最初期の教会は、ユダヤ社会の中でもローマ社会の中でも、信仰共同体であると共に生活共同体という面を持っていました。教会のことを食卓共同体という言い方をする場合がありますが、これは信仰と生活が一体化していることを表わしていると思います。例えばローマ社会は前近代的封建社会ですから、富裕層以外の人々は、日本で言えば村落共同体の中で生きていました。その村落共同体が即教会共同体と言う場合もあったかと思いますが、あるいは村落共同体の中の教会共同体という形体だったかもしれません。いずれにしろ信仰と生活がほとんど一体化して営まれていたと思われます。ですから、教会共同体はその社会の中で新しい人間関係をもった共同体として、戦国時代の日本におけるキリシタン時代の教会のように、人々からうらやましがられたか、逆に警戒されたのではないかと思われます。
  • 何れにしろ、近代社会以前の教会は、信仰と生活が一体となった教会共同体のつながりの中で信仰者は生きていたのだと思います。それが近代社会になりますと、信仰者にとって教会は心の問題になっていき、生活は信仰とは離れた市民社会という空間で行うようになり、いわゆる政教分離原則になっていき、現在に至っているのであります。

教会で行われる聖餐

  • ですから、最初期の教会では共同体としての食卓の中で聖餐を行なっていたのですが、現代のような市民社会の中での教会では、聖餐式という象徴的な儀式によって、礼拝の中で言葉による説教と共に、イエス・キリストによる神の命の恵みの受領行為となっているのであります。
  • 食卓としての聖餐ということであれば、コリントの教会のように、あるいは福音書の二匹の魚と五つのパンを分ち合って食べて、男5,000人、あるいは4,000人(女子供を含めればもっと多数の人々がいた)の共食物語のように、みんなで食卓を囲むことになります。寿の炊き出しもこの流れになります。

教会は神との契約共同体である。

  • 少し飛躍するかもしれませんが、私はこのような食卓共同体としての教会は、旧約聖書イスラエル契約共同体の歴史を継承していると考えています。教会はイエス・キリストによって、ある面で新しく再建された契約共同体ではないかと思っています。福音書の中でイエス神の国と言われる時に、その神の国とは、この契約共同体が完成されたものを指していると、私は思っています。
  • 今私は船越教会の礼拝でローマ書の講解説教をしていますが、ローマ書14章17節に「神の国は、飲み食いではなく、聖霊によって与えられた義と平和と喜びなのです」と言われています。この言葉が出ている文脈は、食べ物や日について、教会の中に考え方の違いがあって、お互いに軽蔑したり、裁いたりして分裂しているローマの教会の人々に対して、自分を絶対化しないで、相手を思いやって、共に生きていきなさいと勧めている箇所です。そのところで、「神の国は、飲み食いではなく、聖霊によって与えられた義と平和と喜びなのです」と言われているのです。「義と平和と喜び」とは、人権と平和が大切にされ、みんなが喜んで生きることができる、それが神の霊によって与えられる神の国であり、教会は神の国の現れではないかと、パウロは言っているのではないかと思います。私は、前線基地などと言うのは、戦争を想起させて、よい譬えではないのですが、教会は神の国のこの世における前線基地だと思っています。
  • 私たちの伝統的な信仰理解では、神の国はこの世とは違う神の支配する国で、その成就・完成は未来とされています。しかも、神の国の完成は、人間の営みとしての歴史が成熟して、人間が造り出せるものとして、人間の歴史の未来にあるのではありません。神の国の到来は終末論的な出来事であり、その成就・完成も、人間の力によるものではなく、神によるものであると、私たちは信じています。
  • そのために、教会の歴史の中では、神の国を空間的な概念である天国としてとらえ、死後の世界と考え、信仰者は死んで天国に迎えられるという信仰も生み出しました。これは聖書の信仰とは、異質ではないかと思います。
  • エスの「神の国は近づいた」という宣教の言葉からして、神の国は時間概念として捉えられています。「近づいた」は「到来した」を意味し、神の国は私たちの中に到来し、種が地にまかれて、芽を出し成長するように、成長していると、イエスは言っているのであります。教会が神の国の前線基地であるというのは、教会は神の国の証言をその本来の使命としていることを意味します。
  • 私は、それがイスラエルの契約共同体に代わる、イエスを中心に据えた新しい契約共同体ではないかと思っています。イスラエルの契約共同体は、モーセ十戒が示しているように、ただひとりの神を愛し、隣人の命と生活を奪うことなく、互いに愛し合う、人間の共同体です。しかし、イスラエルであるユダヤ人は、モーセによって締結された神との契約に基づいたその契約共同体の形成において挫折してしまったのです。
  • そこで神はイエスを私たちのところに遣わし、イエスによる新しい契約共同体を、この人間の歴史の中に起こすことによって、私たちを救済しようとされているのです。私は、そういう意味で、教会を「自立と共生の場」と呼んでいます。神の契約共同体の構成員は、何物にも束縛されない自由な、かけがえのない尊厳を持った存在として神との関係において、ただ神のみを愛する自立した存在です。同時に、他者である隣人との関係においては、隣人の命と生活を奪うことなく、神の前に対等同等な存在として、互いに愛し合う共生をめざすのです。それが新しい契約共同体としての教会のあり様です。
  • そして私は、この教会のあり様は、国民国家によって分断されている現在の世界の中で起こる戦争を無化する命があると思っています。契約共同体としての教会は、国家の存在を無化し、違いをもった世界の人々を、誰一人除外することなく契約共同体の構成員として迎えることができます。「みんなちがって、みんないい」、みんなが持っている物を分け合って食卓を囲む、食卓共同体をして世界の人々が一つになった時に、神の国は成就・完成するのではないでしょうか。
  • 終末論的な信仰を持って、現在の世界を生きるキリスト者は、神との契約共同体である神の民の一員として、聖餐を、すべての人が招かれている、契約共同体である食卓共同体の象徴として行うことが求められているのではないかと、私は思っています。

おわりに

  • 少し大風呂敷を広げすぎてしまったかもしれませんが、聖餐についての私のお話はこれで終わりたいと思います。

 

  • 祈ります。