なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(535)

船越通信、№535 2022年10月9日(日)北村慈郎

 

  • 2日(日)は礼拝後役員会を行ないました。役員会ではいつもの定例的な議題の外に例年行っている11月6日(日)の永眠者記念礼拝を今年も行うことにしました。他には平和と人権を考えるDVD鑑賞会を11月27日(日)12:30~に、今年は沖縄返還50周年ということもあり、NHKスペシャル、2022年5月15日放送の「証言ドキュメント“沖縄返還史”」を観ることにしました。役員会はコロナ感染のこともあり、礼拝後すぐ行い12時半前に終わりました。私はいつものように後片づけをして、午後1時30分ごろ、道路側崖の草取りをしてくれていたSさんに声をかけ、船越教会を出て鶴巻に帰ってきました。その前の週に葬儀や教団総会、支援会の全国交流集会がありましたので、鶴巻に帰ってから、しばらく休み、娘と一緒に早夕食を近くの美味しいお蕎麦屋さんにでかけて天ざるを食べ、娘が横浜に帰った後、寝不足の解消をと思い、早めに床に着きました。余計なことですが、私の鶴巻のマンションの近くにある信玄というお蕎麦屋さんですが、今まで私が食べたお蕎麦屋さんの中では、信玄は、名古屋時代子供たちと松本に行ったときに、駅の近くで食べたお蕎麦屋さんが美味しかったという記憶がありますが、その店と同等かそれ以上で、今はどこで食べるお蕎麦よりも、この信玄のお蕎麦が一番と思っています。
  • この週は4日(火)午後6時からZoomで教区の常置委員会があり、私もオリエンテーション委員会の委員長として要請陪席者ですので参加しました。議題は新任教師の面接が一件ありました(高座渋谷教会に君島洋三郎牧師が隠退し長井美歌牧師が10月から就任)。報告事項の中では先週開催された教団総会の報告がありましたが、他はほぼ定例的なものでした。午後8時半ごろに終了し、その後遅い夕食をすませました。
  • 11月6日(日)18:00-21:00にZoomによるオンラインで、沖縄から米軍基地撤去を求め、教団『合同のとらえなおし』をすすめる連絡会(以下“もとすす”)の全国集会が予定されています。この会の私は世話人代表をしています。実質的に担っていてくださるのは、関西の事務局会の4人の方々です。今年は沖縄返還50年に当たりますので、“もとすす”でも何らかの集会をと思って、今回の集会を準備しました。対面での集会をと思いましTが、コロナウイルス感染状況がありますので、Zoomによるオンライン集会にしました。テーマは(1969年)「『合同』再考!?」です。若い事務局の人が呼び掛け文の原案を作ってくれましたが、その呼び掛け文は以下の通りです。
  • <沖縄の「本土復帰」から半世紀が過ぎました。当時それに先立って、日本基督教団 と沖縄キリスト教団は「合同」しましたが、日本基督教団「合同」特設委員会は&‘1969年「合同」’をめぐり以下のような見解を示しています。 “合同するからには、それまでの沖縄に対して支配と同化を強いてきた日本の歴史や、その中で無自覚のうちにそれと同質の意識を身につけてきた日本の教会の歴史を、根本的に洗い直さなければならなかったはずです。もしそれをすれば、そもそも両教団が「かつて一つだった」ということについても、また「二十年以上にわたる両教団の分立」ということについても、そこに日本国家による沖縄支配に無自覚に追従することしかなかった教会の歴史が浮かび上がってくるはずです。国家の政策にそって教会も「一つになり」、また国家の政策にそって教会も「分立」するということが自明のようになされてしまうということです。しかしこの合同に際して、そういう検証はほとんどなされていないままに、ただ「合同」か「復帰」かという形式的な議論を戦わせただけで、また時代の動向に合わせるように合同がなされていったといわざるをえません。”(日本基督教団『合同』特設委員会編、『日本基督教団と沖縄キリスト教団との合同のとらえなおしとは?』1990年3月、p.7)/以上のような指摘を踏まえ、「合同」そのものについて自分達のありようを問いつつ、考えるときを過ごしませんか。>
  • プログラムは、① 発題Ⅰ 千葉宣義さん、② 発題Ⅱ 小柳伸顕さん(文書代読)、③ 発題Ⅲ 大澤星一さん、④ 発題Ⅳ 北村慈郎さん、⑤ 話し合いの時間、
  • 随時、休憩をとりながら行います。
  • “もとすす”全国集会の案内チラシは9日の週に私のところに届きますので、16日に教会にも置いておきます。関心のある方は参加ください。
  • ということで、私はこの“もとすす”の全国集会の発題者の一人になっていますので、今までなかなか手を付けられなかったのですが、今週から準備を始めています。今回は1969年の「合同」そのものを問うことになりますが、資料も少なく、先ずは沖縄教区から出ている文書が数冊ありますので、それから読み込むことにしました。時間が間に合うか少し心配ですが、最善を尽くしたいと思っています。既に小柳さんからは私の方に原稿が届きました。小柳さんは原稿用紙に自筆による原稿で、私の方でワープロに打ち込みました。それをプリントアウトして発題者の一人の千葉さんに送りました。事務局の人にはメールでデータとして送りました。
  • 6日(木)は国会前の辺野古新基地建設反対座り込みの日でしたが、鶴巻は朝から小雨が降っていましたので、今日は座り込みは中止だろうと思い、血圧でいつも診てもらっている内科に定期健診と薬を出してもらうために行きました。診察を待っていた時に、座り込みの常連のお一人から電話があり、この日の座り込みは中止という連絡が入りました。
  • ところで先週開催の教団総会で議長に選出された雲然俊美さんは、教団で私の戒規免職処分が最終決定した直後に開催された教団総会で教団書記に選ばれました。その時石橋秀雄さんが議長になりました。二人は私の戒規免職に深く関わっている人で、石橋さんは私が教師委員会で免職されたときに、それを不服として上訴した最終審判委員の長で、雲然さんは私を免職にした教師委員会の調査委員長でした。調査委員長の雲然さんから3回私は面談を申し込まれたのですが、3度とも手紙を出して、紅葉坂教会役員会から信仰職制委員会に出している諮問への回答がくるまで、面談を待ってくれるように頼みました。しかし彼はそれを無視し、教師委員会は私と一度も面談せずに私に戒規免職処分を下したのです。二人は、教団が私を戒規免職処分にしたことに自分自身が深く関わっていることに自覚があるのかどうかわかりませんが、もし自覚がないとすれば、何と言ったらいいのでしょうか。