なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

父北村雨垂とその作品(82)

 昨日の船越教会の礼拝は出席者6名でした。このところ10名は越していましたので、何時もより少ないという感じでしたが、マルコ福音書10章1-12節の離婚問答をテキストに説教をしました。Sさんという最近毎日曜日出席していて、聖書をよく読みこんでおり、幅広い教養を身につけている80歳少し前の方が、帰り際に、私の説教は響くものがあり、必ず人が多くなりますよと励ましてくださいました。この日船越教会の庭にある梅の木と桜の木(この木はさくらんぼが実ります)が同時に満開でした。
 
今日は「父北村雨垂とその作品(82)」を掲載します。


            父北村雨垂とその作品(82)

     川研 291

 鉛色(ニビいろ)の 地獄を選べ バラの門

 阿片の女は チュルソスを 焚(た)く ジャズの踊り

 夢の波紋 分裂の現在(いま)の 波紋

 悲劇の王様の 與太郎の 猫背

 黄昏は 現在(いま)も 誰かが 泣いてゐる筈

 何かあれ と 地獄を 画描く むなしさや


     川研 276 1972年(昭和47年)12月

 悲劇の分裂の 山門の蜘蛛の 昼寝

 猿が ピエロに 見せた 白い歯

 絶望を握る握る 荒野の 腕時計

 遠吠えは 豪雨を疾る 秋刀魚(サンマ)の骨

 龍膽(りんどう)は 花屋で 夕焼を みたか

 花やの菊も装(ウイ)飾窓(ンドウ)の猫も 醉拂い

 悲鳴を奪られ 臓器を奪られ 肉屋の鉤


     川研 306

 雪の朝(アシタ)は 生きてゐた ソクラテスの 虱(しらみ)

 怨念(おんねん)の陽を 七色(なないろ)に 跳ね返す

 干柿は 蟹の涙を 見ていたか

 円心のない 逃亡か 点と線

 
    川研 303

 故里の 父よ 母よ と 土を掌に

 天台の道を せかせか 蕗の薹

 天に 主を探せ 角だせ 蝸牛

 日々を 幻化に 三百六十五を 死なん


     川研 317

 忘却の淵には ハネのあるヒトを

 ハネのある ヒトは ピアノに 駆けて

 ハネのある ヒトは 愉しい 眞珠の舞

 はねのある ひとは眞珠の 契約(ベリース)を

 悲劇と喜劇の核 ひかる 鍵盤(けんばん)


     川研 319

 対決のほほ ふくらめて 猿は 檻に

 無花果(いちじく)と 葡萄は 現在も 唖者(オシ)で あるか

 祖国孵(かえ)る夢に 還らぬ 構造(こうぞう)の女

 なないろに 疾(はし)る コトバを パレットに

 歴史の爪(ツメ)に 人臭き 月