なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

マルコ福音書による説教(47)

     マルコ福音書による説教(47)マルコによる福音書11:27-33、
               
・イエスの時代のユダヤ社会の中で、この世の権威を代表していた祭司長、律法学者、長老たちが、イエスに質問しました。「何の権威で、このようなことをしているのか。だれが、そうする権威をあたえたのか」と。

・「このようなこと」と、ここで言われていることの内容は、このマルコによる福音書の前後の文脈からすれば、11章15節以下に記されています、エルサレム神殿で「両替人の台や鳩を売る者の腰掛けをひっくり返された」(11:15)イエスの行為を指していると思われます。けれども、神殿でのイエスの行為だけではなく、今までのイエスのすべての活動を指して言われているとも考えられます。つまり、イエスの語られたこと、行われたことを見聞きして、この世の権威を代表している彼らが、イエスの権威に畏れて、質問しているのであります。

・ここでイエスに問うています祭司長、律法学者、長老たちは、ユダヤ人社会の中では、最も権威ある議会(サンヒドリン)の構成メンバ-でした。

・祭司長とは、大祭司経験者のことで、神と人との間に立って人々のための執り成しをその仕事にしていた人でありました。エルサレム神殿に仕える祭司たちの長であり、宗教的権威とともに、国家を失っていた当時のユダヤ民族の政治的権威も代表していました。現代で言えば、ロ-マ法皇のような宗教的権威と政治的影響力を同時にそなえた人物と考えてよいでしょう。 エルサレム神殿における儀式が行われる時には、紫の衣を着て、冠をかぶりました。特に一年に一回だけ、毎年チスリの月(太陽暦9-10月)の10日に、大祭司が至聖所に入り、自分とその家族と全国民の罪を清めるための贖罪の儀式を行いました(レビ23:26-32)。金糸、青糸、紫糸、緋糸、亜麻のより糸をもって織ったエポテという特別な服装で身を装ったと言われます(出エ28:5-14)。そのような大祭司は、一般民衆にとっては、カトリック信者のロ-マ法皇に対する態度にみられるような、崇敬の的であったと思われます。

・そのようなエルサレム神殿で祭儀をつかさどる大祭司に対して、律法学者は、日常生活の中で戒めを守ることを重視した人たちであります。当時律法の解釈が非常に細かく複雑になっていましたので、正確な知識を持つ人々を必要としました。そのために学者集団のようなものがユダヤ教の中に作られていました。それが律法学者たちです。今日の聖書学者を考えてみてもよいかも知れませんが、むしろユダヤ教が当時のユダヤ人の生活全体に占めていた大きな位置からしますと、今日の私たちにとっての大学教授や法律家などに近かったかも知れません。おそらく今日の大学教授や法律家以上に、ユダヤ人の生活に密接に関係していたと思われます。

・長老たちとは、平信徒でありましたが、議会(サンヒドリン)の構成メンバ-であった人たちですが、おそらく大地主などのような人たちから選ばれたのでしょう。 このように見てきますと、当時のユダヤ社会において、ロ-マ帝国の権威を別にすると、この人たちこそ最も大きな権威を付与された人たちであったと言ってよいでしょう。彼らは民衆から恐れられていた人たちです。彼らは、その地位や組織や法の持つ権威によって立っていた人たちですから、当然民衆は彼らににらまれるのを恐れていました。ところが、イエスは、そのような民衆が恐れていた彼らに、逆に恐れを引き起こす方だったというのです。イエスと向かい合ったとき、あたかも彼らを権威づけていた力が空しいものに思われてくるからであります。事実その通りであって、イエスの前には、この地上のあらゆる権威と、その権威を盾にして自らを立てようとする私たちが、根本から問われざるを得ないからです。この世の権力者にとって、このイエスの問い掛けは、大変厳しいものでありました。

・なぜなら、イエスの存在は、彼らがその上に立っていた彼らの権威の成立基盤そのものを、無化するものであったからです。そのことは、同時にそのようなこの世の権威によって秩序づけられている民衆をそこから解放する力でした。

・人の上に立つ権威によってではなく、あの馬小屋に生まれたみどり子イエスに象徴されているような、あるいはあの十字架上で人々の裏切りと嘲笑を一身に受けて、「彼らをおゆるしください。彼らはなにそしているのかわからないのです」と叫んで死んでいったイエスに象徴されるような、イエスの固有の権威です。「人の子がきたのも、仕ええられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして自分の命を与えるためである」(マルコ10:45)と言われていますが、ご自身の全存在をかけて仕える方であるイエスが、自分からではなく、人々から権威ある者として見られたのであります。

・「権威とは、命令とか服従とか、信じるとか信じないとかの、そういう人間関係を支えているなにか」であると、なだいなだの『権威と権力』の中で定義されています。

・祭司長、律法学者、長老たちは、自分たちがもつこの世の権威とは全く異なる秩序を人々のなかに造り出すイエスの権威を恐れました。イエスとの出会いによって、今まで見捨てられていた病人が元気よく立直って行きます。律法違反者として罪人というレッテルをはられて、人々から蔑まれているような人たちが、堂々と歩きだして行きます。ユダヤ人からは毛嫌いされていた徴税人が、イエスの仲間に加わって喜んでいる、というようにです。今まで悲しんでいたような人たちが、喜ぶようになり、自分の人生を投げ出していたような人たちが、新しく自分の人生を受け取りなおして、生き生きと歩み出して行く。そういう形で政治的な力や理論的な力によってではなく、個々の人間の生を変革する形で、イエスの存在が人々を新しくしていくのであります。それは、今まで誇っていた人を謙遜にさせる力でもあります。

・そのような意味で、イエスの存在は人々の中に、それまでの秩序とは違った新しい人間関係を創造する権威があったのです。

・私たちは、他者と接するときに、どのような者として立っているでしょうか。

・私たちの現存在は、この世の秩序を表す地位や肩書つきの人間として、この社会の仕組みのなかに組み込まれています。仕事が出来るかいなか、財産があるかいなかということも、その人間を価値づける力をもっています。そして、私たちはそれらのこの世の権威によって秩序づけられた世界に生きているがゆえに、人間関係もそれによって影響されて、尊大になったり、自己卑下したりしてしまうのです。

・私たちは、そのようなこの世の権威の奴隷になっているのではないでしょうか。その意味で、私たちは病める者です。そしてちょうど病人が自分の病気をなかなか認めたがらないように、私たちも自分自身の病気に気づいていないのではないでしょうか。

・このマルコによる福音書の記事、「権威についての問答」は、この世の権威は人の外側にあるだけではなく、人の内側を支配していることを見事に示しているように思います。

・「ヨハネの洗礼は天からのものだったのか、それとも、人からのものだったのか」。このイエスの問い掛け見事です。人がつく出したこの世の権威に固執して、天からの、つまり神からの権威を無にしている者の矛盾を見事に顕にする問いです。人の造り出した権威を無意識に生きている私たちは、天からの権威をふみにじっているのではないでしょうか。イエスは、そのような私たちの倒錯(病気)を明らかにし、方向転換して神に造られた本来の人間へと導くいのちのある方なのです。

・イエスが生きた神の国の社会があるとしたら、この世の現実社会とどこが根本的に違うのでしょうか。以前北海道の浦河べてるの家の実践について、その中にある伝道所で牧師をしていますHさんから伺ったことがあります。そのことを思い出しました。一言でいえば、誰を基準にその社会が形成されているかです。浦川べてるの家では心苦しむ人がありのままで生活できる場所がめざされています。ですから、そのべてるの家の社会では誰が基準とされているかと言えば、最も重い苦しみを負った人になると思われます。そのためには、人間の強さが返って障害になります。それぞれの弱さを出し合い、分かち合い、支え合うことによって共に生きる共同体でなければ、最も重い苦しみを負う人を排除しないで共に生きることは出来ません。そういう社会では、現在の日本の学校で教育された人間は、生まれ変わらなければその社会の一員になることはできないでしょう。最も弱い人、最も苦しんでいる人、最も小さい人が中心に形成される社会が神の国の社会であるとしたら、現在の私たちの教会はどうでしょうか。現代日本社会では存在しても、神の国の社会では存在しないとうことになったら大変悲しいことです。