なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

第一回口頭弁論と報告集会クリスチャン新聞記事

            クリスチャン新聞掲載記事(2012年5月20日発行)

 4月26日に行われました私の裁判の第一回口頭弁論と報告集会について、いのちのことば社発行、クリスチャン新聞2012年5月20日号一面に、私の顔写真入りで、〈「意見の違いは議論で克服を」未受洗者陪餐で免職の北村氏が冒頭陳述〉という表題で以下の記事が載りました。

 未受洗者を聖餐にあずからせたことが日本基督教団の教規違反に問われ2010年1月に戒規免職処分を受けた北村慈郎氏(前・紅葉坂教会牧師)が、免職処分の無効確認などを求めて提訴した民事裁判の第一回口頭弁論が4月26日、東京地裁であった。全国の教区から支援者ら160人以上が詰めかけ関心の高さを示した。

 原告の北村氏が意見陳述。牧師になって「信仰とは、教会とは何か」を問われた経験と、その模索の中から「イエスがこの世で『最も小さくされている人』に連帯しつつ十字架の死に至るまで歩まれた生き様に倣う」道に答を見いだした。それから30年近く、この考えに従って教会や日雇い労働者支援の活動などをしてきたことを話し、「納得できないのは、教団執行部が、40年以上にわたって一緒に教団を守り、造ってきた仲間の一人である私に対して、いきなり免職という暴力をもって切り捨てたこと」と強調。「意見の違いはきちんと議論して建設的に克服していくべきであり、無理なやり方で切り捨てて排除することは許されない。私にしたのと同じ処分が他の教師にも行われるのではないかと考えると黙っていることができなかった」と提訴の動機を述べた。

 原告代理人は「本件はいずれの教義解釈が正しいのかと判断を裁判所に求めるものではないし、原告と教団との対立ではない。理不尽な理由と手続きで教師としての地位・身分を剥奪されるのは、基本的人権の保障からしても許されない」と争点を明らかにした。

 被告教団代理人答弁書で、「この裁判の本質は異なる聖書理解に基づいて未受洗者への聖餐を行ったこと。本教団にとって極めて重要な教義、教憲教規が崩れてしまい、戒規の執行は当然。宗教的な課題に対して裁判所に問うことは、かつて教会が国家にすり寄ったのと同じ過ちを犯し、宗教団体の自律決定権の放棄になる」と反論した。

 報告集会で北村慈郎牧師を支援する会世話人代表の関田寛雄氏は、同裁判の意義について、「教団を真にキリストの教会として成熟せしめるため」と規定。 峩飢駛 廚量召硫爾鉾鷽祐崚な強権的な身分の侵害があってはならない。戒規適用には理由を明文化し公表の上審議すべき。聖餐執行に関する開かれた神学的な議論の場を設定し継続。じ酋誼弔虜?的党派主義を是正し、教団総会の教会会議としての正常化を求める。ノ法主義的ドグマ主義的福音理解を改め、聖霊の賜る一致を目指し、賜物の多様性を生かし、日本に遣わされたキリストの教会の使命に生きること、と指摘した。