なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

クリスマスメッセージ

「星に導かれて」マタイ2:1-12、2013年12月24日(火)キャンドル・サーヴィス

・今日のマタイによる福音書の2章1-12節には、クリスマスの時のペイジェントに、羊飼いの場面と共に出てくる東方の博士たちの来訪が記されています。ベツレヘムの家畜小屋でお生まれになったイエスさまに、黄金、乳香、没薬を贈物としてささげた博士たちの物語です。星を頼りに東の国からやってきた博士たちの物語は、天使のみ告げを受けてやってきた羊飼いたちと共にイエスさまの誕生の出来事に色を添えています。

・しかし、マタイによる福音書の2章1節以下では、この東方の博士たちの来訪が、エルサレムの街に思わぬ衝撃を引き起こすのです。その衝撃は、当時のユダヤの国を治めていたヘロデ大王をはじめエルサレムの町の人々をも不安にさせるほどでした。

・何故なら、東方の博士たちはエルサレムにやってきて、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」と言ったからです。

・「ユダヤ人の王」(2節)の誕生とは、ヘロデにとっては政治的敵対者の出現を意味しましたから、彼が大きな危険を直感して狼狽したのは、むりからぬことでした。しかし、このヘロデの狼狽の背後には、特殊な歴史的事情がひそんでいました。彼はイドマヤの出身(つまりエドム人の後裔)でありましたから、異邦の民としてユダヤ人からさげすまれていたばかりではなく、その残虐な暴政のゆえに、民衆から忌み嫌われていたのです。その上彼は、生粋のイスラエル人であるハスモン王朝から、政権を奪取した成り上がり者であり、何とかハスモン王朝との繋がりをつけようとして、ハスモン家の王女マリアムネを妻としました。彼は合計十人の妻をもちましたが、その中でもほんとうに愛情を抱いたのは、この妻だけだったといいます。しかし王家の中には政権争奪をめぐる暗闘が絶えず、密告と彼の疑心暗鬼のために、彼はマリアムネを(紀元前29年に)処刑したばかりでなく、前途を嘱望されていたその二人の息子アレクサンドロスとアリストブロスも(紀元前7年に)殺してしまいました。なおその上、最初の妻ドリスとの間に生まれた長子アンティパテルさえ、ヘロデは(紀元前4年に)処刑せざるをえなくなったのです。その5日後に、彼自身もまた、激しい病苦にさいなまれつつこの世を去ったのでありました。このように、晩年のヘロデが、自分の王位を窺う者との絶え間なき暗闘の中に、不安と猜疑にさいなまれていたことを知るとき、このメシア誕生の知らせが、彼にいかなる衝撃を与えたか、十分に推測することができるのであります。

・但し、この「ユダヤ人の王」に対するヘロデの凶暴な対抗意識は、実は根本的な誤解に基づくものでした。マタイはこの福音書の記述を通して、この誤解の本質を究明していくのですが、イエスが十字架につけられたときも、その捨て札には「ユダヤ人の王」としるされていたと明記することによって(27:37)、2章のこの記事との対応関係を、鮮やかに描き出しています。マタイの解するところによれば、イエスの全生涯は、「ユダヤ人の王」という言葉の内容を、どう解するかという問題をめぐって展開したのです。もちろん、マタイにとって、イエスは十字架の極みまで己を空しくして人々を愛した破格の王だったのです。

・マタイはヘロデ王だけはなく、エルサレムの人々も皆、ヘロデ同様に不安を感じたと記しています(3節)。そして4節には「王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているかと問いただした」とあります。マタイによれば、祭司長たちや律法学者たちはユダヤ教的宗教社会の貴族と民衆を代表する者であります。すなわちエルサレムの全住民がヘロデと共に、幼子イエスの出生を占おうとしていると、マタイは見ているのです。つまり、イエスの誕生は、ヘロデだけではなく、祭司長や律法学者によって支配されていたエルサレムの宗教社会全体にとっても不安をもたらす出来事だったと、マタイは言っているのです。おそらくマタイは、このイエス誕生の出来事に、エルサレムの指導者たちが彼らのその宗教支配を脅かす者として、イエスを危険視したばかりではなく、その存在を容認することも出来なかったために、イエスを十字架につけることになるということを、予めここで示そうとしているのでしょう。

・ですから、今までの登場人物の中で、「喜びに溢れて」イエスに礼拝を捧げたのは、東方の博士たちだけたった(11節)と、マタイは記しているのです。そして、マタイによる福音書を読み進めていくときに、この東方の博士たちの喜びを共有した人たちが、ユダヤ教的宗教社会の中では、祭司長たちや律法学者たちのような人々ではなく、苦しみを抱えて救いを求めて呻吟する小さくされた人々であることが分かるのであります。そしてイエスはまさにそのような人々の友として、インマヌエルとしてこの世に誕生したとマタイは言うのです。

・私は、このマタイの箇所を思い巡らしていたときに、文芸評論家の加藤周一が書いた「ちいさな花」という文章を思い出しました。その加藤周一の文章から、「小さな花の命」が、ヘロデやエルサレム社会の大祭司たちや律法学者たちには不安をもたらし、東方の博士には喜びをもたらしたイエスの誕生の出来事に通じるものを感じましたので、紹介させていただきます。

加藤周一の「ちいさな花」という文章は、ベトナム戦争の時代にアメリカでとられた一枚の写真についてのものです。

・「1960年代の後半に、アメリカのヴェトナム征伐に抗議してワシントンへ集まった『ヒッピーズ』が、武装した兵隊の一列と相対して、地面に坐りこんだとき、そのなかの一人の若い女が、片手を伸ばし、目のまえの無表情な兵士に向かって差しだした一輪の小さな花ほど美しい花は、地上のどこにもなかったろう。(中略)/一方には史上空前の武力があり、他方には無力な一人の女があった。一方にはアメリカ帝国の組織と合理的な計算があり、他方には無名の個人とその感情の自発性があった。権力対市民、自動小銃対小さな花。一方が他方を踏みにじるほど容易なことはない。/しかし人は小さな花を愛することはできるが、帝国を愛することはできない。花を踏みにじる権力は、愛することの可能性そのものを破壊するのである・・・・・」(加藤周一「小さな花」『小さな花』かもがわ出版、2003年、36頁)。

・「権力の側に立つか、小さな花の側に立つか、この世の中には選ばなければならない時がある。(中略)/私は私の選択が、強大な権力の側にではなく、小さな花の側にあることを、望む。望みは常に実現されるとは、かぎらぬだろうが、武装し、威嚇し、瞞着し、買収し、みずからを合理化するのに巧みな権力に対して、ただ人間の愛する能力を証言するためにのみ差し出された無名の花の命を、私は常に、かぎりなく美しく感じるのである」(前掲書、38頁)。

・私はこの加藤周一の文章を読んで、「小さな花の命」とイエスさまの命が重なって感じられました。そして、このマタイのイエスの誕生物語を思い巡らすうちに、本当に不安が不安を生み出していくヘロデの権力の側にではなく、東方の博士とともに「小さな花の命」となってこの世に誕生されたイエスさまを、心から喜び、イエスさまの側に立ち続ける者でありたいと思いました。