黙想と祈りの夕べ通信(324)復刻版を掲載します。2005年12月のものです。
下記通信には8年前のクリスマスの時期の私自身の想いが記されています。その中に出てきますT・Yさ
んから、今年のクリスマス・メッセージをいただきました。T・Yさんは、今牧師を隠退して、古楽器のク
ラヴィコードを製作しています。T・Yさんのクリスマス・メッセージは、今年11月に完成させたクラヴ
ィコードの写真に、以下のような言葉が添えられていました。
「陳腐な言い方ですが、どうも世紀末的な様相を呈している昨今です。力のための力が支配している現
状に対して、何もしない自分にいら立っています。もう一度耳を澄まして小さな存在の吐息やつぶやき、
カビやミジンコの息遣い、宇宙や地球の低いうなりに聴きたいと願っています。教壇からの説教や説得も
大変独りよがりだったことも反省し、弱りつつある耳目を頼りに350年眼の鍵盤楽器の小さな音にすが
りついています。なお望みをもって、ひとつひとつ、輪をつなげていくことができますように。お体を大
切に」。
T・Yさんとは、私が高校3年生の時からですので、54年間のおつきあいになります。お互いに年を
重ねてきましたが、想いはどこかでつながっていて、現在に至っていることをしみじみと思わされていま
す。同じように、教会で、また神学校で交わりを与えられた人でも、想いが全く離れてしまった人も多く
います。不思議なものですね。
黙想と祈りの夕べ通信(324[-11]2005・12.11発行)復刻版
12月の教会だよりの「牧師室から」にクリスマス関わるものを書いて欲しいと言う広報編集委員の要望
に応えて、私が経験した最初のクリスマスのことを書きました。それは1959年のクリスマスのことです。
この年のクリスマス礼拝で高3だった私は洗礼を受けました。教会だよりの記事を書きながら、そうかあ
の時からもう46年も経っているのかと、びっくりしてしまいました。自分の中ではそんなに時間が過ぎた
とは思えないからです。教会だよりにも書きましたが、私が紅葉坂教会の礼拝に来るようになったきっか
けは、同級生だったS君に誘われたからです。それとは別に、自分の内的な動機のようなものも教会だよ
りに書いておきました。実はもうひとつの動機のようなものが、当時の自分の中にはありました。そのこ
ろからどちらかと言えば、理屈好きな傾向を持っていました私は、すでに同級生で洗礼を受けていた友達
たちとキリスト教信仰について話す機会があったとき、友人たちのキリスト教理解がこの程度のものか
と、傲慢にも思ったのです。そして教会に行って自分で確かめてみたいと考えました。今から振り返りま
すと、自分の思い上がりも甚だしいのですが、その頃はそれに気づけませんでした。たまたま私がはじめ
て紅葉坂教会の礼拝に出席した同じ頃、現在教団の小田原教会の牧師をしていますT・Yさんが東京神学大
学の学生でしたが、紅葉坂教会に来るようになりました。Yさんにはいろいろ教えてもらいました。数年
後東京神学大学に入学して、牧師の道に進んでいくようになったのも、Yさんをはじめ、当時比較的多く
いた教会に来ていた同世代の人たちや少し年上の人たちとの話し合いの中で、この道に進んで行こうと決
心するようになっていったのだと思います。東京神学大学の大学院に入るときに連れ合いと結婚し、大倉
山のアパートから2年間三鷹のICUの敷地の中にあった東京神学大学に通いました。27歳の時、東京神学大
学を出て最初の教会、足立梅田教会に赴任しました。足立梅田教会が5年、紅葉坂教会に伝道師として3
年、そして御器所教会に18年、それから紅葉坂教会に牧師として来年3月末で11年になります。先日満64
歳になりました。不思議なことに自分の意識は青年時代とほとんど変わりません。また自分の精神の営み
はまだまだ求道中です。試行錯誤を繰り返しながら、模索を続けていると言ったらよいでしょうか。でも
大分拡散の傾向から、少しずつひとつのことに収斂しつつあるように自分では思っています。神学校時代
から足立梅田教会のときには、ちょうど70年を挟んでいるからかも知れませんが、問いを多く与えられた
ように思います。自分の生き方や信仰の在り様についての問いかけとなる問いです。私はこの時代に、人
間の深みに気づかされたと言えるかも知れません。行為を伴わない言葉の欺瞞を見抜く感性も養われたよ
うに思います。伝道師時代の紅葉坂教会の3年間では自由の空気をいっぱい吸い込むことができました。
人間の温かさも沢山経験しました。そして御器所教会の18年では、それまで自分の中ではまだ未定形だっ
た教会における専門職としての牧師の働きが少しずつはっきりととらえられるようになりました。そうい
う蓄積によって、紅葉坂教会での現在までの私の働きがなされてきていると思います。最近の教団、教区
関係の私の働きは予想外でしたが。これからの残された時間は、聖書の言葉、イエスの出来事が持ってい
ます命を、言葉と生活でできる限り証言することに集中したいと願っています。