なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(73)

 
          船越通信癸沓魁  。横娃隠嫁9月9日     


・9月2日(日)の礼拝後テーマ話し合い(発題:Aさん)が行われました。以下Aさんの発題をまとめておきたいと思います。

・テーマは「教会について」。日本だけでないかも知れないが、日本の「多くの教会」(=伝統的な教会)は社会への発言力が薄れている。私はそういう教会から船越教会に転会してきた。船越教会は私が言う「多くの教会」とは違うように思う。

・教会は古代から宗教改革を経て現在に至っている。世の中はフランス革命等を通して、多くの人々に自由や人権の意識が芽生え、また近代科学の進歩も伴って変化してきている。古代の教会はローマによって迫害されたが、ローマ帝国キリスト教を国教化することによって、ローマ帝国下の教会となり、教会は社会体制の中にはめ込まれた。教会は罪の赦しという内面的な赦しを中心に宣教活動をしてきた。体制の中にはめ込まれた教会は社会への存在価値がうすめられ、教会の発信力が弱くなった。なか伝道所の渡辺英俊牧師は『現代の宣教と聖書解釈』で、教会が枠の中に閉じこもったのは、教会は隣人が誰なのか分からなくなったからだと言っている。ユダヤ教は隣人を自分たちの仲間だけとし、他は罪人として隣人とは考えなかった。教会も何時の間にか内向きとなって、隣人意識が変わった。社会に発信するコード自体を失ってしまったのではないか。今の教会も礼拝中心主義であり、教会に来て仲良くやりましょうという傾向が強い。古典的な聖書解釈である罪の赦しや慰めという内面的なものが中心。教会は神を礼拝する場所で、(社会の問題を教会に持ちこみ)ガタガタ騒ぐなという形で、内面中心になってしまったのではないか。

・これはやっぱり古代教会が迫害に耐えられず、ローマ帝国と手を結び、教会体制をどう維持するかということになっていったからではないか。イエスユダヤ教の体制に反発し、苦しむ人と共に歩んでいったのではないか。教会はイエスの生き方よりも社会体制にくみし、内面的慰めを語るようになったのではないか。

・古い伝統的な教会は、神を教会の中に閉じ込めてしまったのではないか。「教会の外に救いはない」と。自分たちの隣人は誰なのか。隣人に対して何を語るのか。教会員だけが分かる、聖書を勉強している人だけが分かる、教会の聖書解釈は内向きになっていないか。一般の人にも、現代の感覚で理解できる聖書の解釈をしていきたい。その点、本田哲郎さんの『聖書を発見する』には教えられる所が多い。「隣人を愛する」を本田さんは「隣人を大切にする」と訳す。愛するとは他者を自分と同じように大切にすること。「心の貧しい人は幸いである」は「心底貧しい人には神の力が働く」というように。7-8年前に寿のMさんをK教会に招いてお話をしてもらったときにも、本田さんと同じことを言っていた。

・社会の中に生きる教会。我々は社会の中に生きている。イエスは世のすべての人のために来た。福音は、伝統的な神学による罪の赦しと魂の救済というよりも、本田さんは「抑圧された人々の解放と平和と喜び」であると言っている。

・聖書もその編纂過程の中では当時の教会の思いが影響したと考えられる。事実の客観的な証言ではない。聖書の中にも矛盾がある。聖書理解も柔軟に対応し、多様性の中に流れる一貫したメッセージを見直して考えるべきだ。社会の中に人は生き働いている。そこでの問題を含めて、社会全体の問題を語り合い、礼拝の中で自分の生き方を見いだすことができればと考えている。

・以上が、私なりにまとめましたAさんの発題内容です。この日テーマ話し合いの後昼食会があり、その後開催されました役員会では、12月2日礼拝後に、それまでのテーマ話し合いでの発題や意見をまとめて、中間的な全体での話し合いの時にすることに決めました。11月第一日曜日のテーマ話し合いの発題はC・Kさん、11月第一日曜日はH・AさんかK・Aさんにおねがいしてあります。

・9月2日には役員会もありました。何れ報告が出ますので役員会報告はそちらでご覧ください。ただ11月4日の日曜日は永眠者記念礼拝を今年も行うことにしました。また、現在有志の方々に教会のお掃除をしていただいていますが、今後第5週の日曜日には礼拝後に残れる人で教会のお掃除をすることになりました。お覚えください。

・9月6日に新横浜の近くのホールで、鎌中ひとみ監督「内部被曝を生き抜く」自主上映会があり行ってきました。昨年の3・11の東電福島第一原発事故直後、多くの日本在住外国人が日本を脱出したということがありましたが、内部被曝を避けるためだったと思われます。紅葉坂教会時代に私が洗礼を授けた韓国人の女性も、一歳の子どもを連れてすぐ日本を離れ韓国に行きました。彼女の場合は韓国に家があり、夫の中国人の方も日本で学生を終えて、上海の大学に勤めるようになっていましたので、日本にいる必要がなくなったということもあります。しかし何よりも、小さな子どもを放射能から守るためだったと思われます。この映画の中で広島の医師肥田さんが、今回の原発事故が起こる前から日本にある54基の原発からは基準以内とは言え一定程度の放射能が排出されているのだから、日本の人口1億3千万人のすべての人が被曝しているのだと言われたこと、内部被曝による健康被害を防ぐためには、食べることはもちろん運動やセックスまで、ありとあらゆる努力をすべきだと言われたことが大変印象深く思えました。広島の原爆投下後医師として本当に沢山の内部被曝の方々を治療して来られた経験からそのように言われたわけですが、それだけ内部被曝による健康被害が一人の人間に及ぼす苦しみの大きさをいやと言うほど体験されて来たのでしょう。チェルノブイリ原発事故による幼い子どもたちの甲状線被害の実態も含めて、じわじわと一つの生命を襲う内部被曝の恐ろしさは私たちの想像以上のものなのでしょう。同じ映画の中で福島の子を持つ母親が、事故後福島を脱出しようか迷って福島に残って、子どもの尿からセシウムが検出されたときは、子どもに本当に申し訳ないと思ったと言われていました。

・神奈川教区では今年5月福島からご家族を横浜のみなと未来にあるホテルに招いて、保養プログラムを実施しました。各地でもいろいろな形で保養プログラムが実施されていますが、今後継続的に取り組んでいかなければならない課題です。