なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(240)復刻版

 今日は、「黙想と祈りの夕べ通信(240)」復刻版を掲載します。

          黙想と祈りの夕べ通信(240[-31]2004・5.2発行)復刻版
 
 なかなか休みが取れないので、ゴールデンウイークに入る前の4月26日から28日にかけて草津伊香保

に行ってきました。この時期にのんびり温泉に入って、若葉の緑の多彩な山並みを眺めながら楽しんでく

るのは、いささかうしろめたさもありましたが、日常を離れるのも必要ではないかと勝手な理由をつけて

行きました。一つは教会に来ている青年で、家が伊香保で旅館をしている人がいて、その青年がこの春大

学を卒業し就職しましたので、一度あなたの家の旅館に行くね、と約束していたその約束を果たす気持ち

もありました。こういう時間を持つことができるのは、平穏な日常を与えられているからです。一方では

イラクのこと、沖縄の辺野古の海のこと(ペリポート建設阻止)が同じ時間で起きています。そのような

時にのんびりと温泉にというわけにはいかないでしょう。かと言って、私は温泉行をやめはしません。け

れども、一見平穏にある日本で生活してい私たちにおいても、イラクと沖縄に通底している現実があり、

その現実に対峙しなければならないと思っています。それにしても人間の営みは、地球という大地に包ま

れてはじめて成り立つものであることを、伊香保から榛名山に行き、その頂上から観たパノラマを思いな

がら、改めて感じさせられました。榛名山の頂上からは町並みはちょぼちょぼと眼下に見えるだけで、後

は山並みと緑の自然だけです。地球に生存を許されている人間は己の限界をわきまえなければならない

と、つくづく思いました。

 上記の私の発言に続いて、一人の方からの発言がありました。沖縄やイラクは、自分には遠いところの

問題ではなく近い問題として感じている。ベトナム戦争を経験した兵士の書いたエッセーを読んだ。その

エッセーには兵士の担いだ荷物の重さのことが書かれていた。兵士の担いだ荷物は生活必需品と銃と弾で

ある。特に銃と弾が重いので、自分の荷物を軽くするために、早く敵に会いたいと思いながら行進したと

言う。なぜなら敵に会い、銃を撃ち弾を使うと、それだけ自分の荷物が軽くなるからである。そういう状

況に自分たちも置かれたら、この兵士と同じように感じるだろう。人間というものはこの兵士のような状

況の中に置かれると、感覚が狂ってある種の狂気に陥るものだと思うからである。一昨日ある政治家が

反日分子」という言葉を使って問題になった。その政治家としてそのように言わしめた状況に現在の日

本がなってきているところがあるのだろう。自分自身の中にしっかりとそのような状況に対峙するものを

持っていなければならないと思わされた。

 続いて別の方の発言がありました。このところインターネットというものをやるようになって、あるグ

ループのMLに自分も入った。その中に書き込まれるメールの多さに驚いている。最近某キリスト教関係

の新聞の性差別的な記事についての意見交換がなされている。直接メールをやり取りしている人だけでな

く、それを読むだけの人も多いのだろう。沖縄の辺野古のこともそうだ。自分もやりながら、ミチャエ

ル・エンデの『モモ』の時間泥棒のことを思い出した。インターネットをし出してから、私も時間を取ら

れているが、そういう人たちが本当に多くいるのだろう。インターネットをしなかったときには、外に出

る時間も多かったし、歩いていていろいろな人に出会い、街を歩いていろいろなものを肌で感じていた

が、今はパソコンの前に座っている時間が多くなった。『モモ』の時間泥棒の危険を思うと共に、インタ

ーネットの便利さを感じている。インターネットの功罪に気をつけていかなければならないと思ってい

る。



        「わたしの羊を飼え」(『ルターによる日々のみことば』より)

 「またもう一度彼に言われた、『ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか』。彼はイエスに言った『主 
 よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです』。イエスは彼に言われた、『わ
 
 たしの羊を飼いなさい』」    ヨハネ21:16

 
 主なる神よ、わたしたちは、このような大きな愛を理解できないほど盲目なのでしょうか。神がご自分

を低くして、わたしたちが貧しい人たちになしたあらゆる行為を、あたかもそれが主に対してなされたか

のように見てくださるほど、低くおりてこられるという事実を、だれが発見することができたでしょう

か。このようにして世界は神に満ちております。どんな裏町の露地ででもキリストにお会いすることがで

きます。あなたがたは戸口で主を見いだします。それゆえ、天に向かってポカンと口をあけ、わたしが主

なる神にお会いすることさえできれば、いっしょうけんめい最大の奉仕をするもんだがなあと言いながら

立っていないでください。もしあなたが神を愛すると言いながら、目の前に苦しんでいる隣人を憎むなら

ば、あなたはうそつきである、とヨハネは第一の手紙に言っております(4:20)。それゆえ、みじめな男

であるあなたは神に仕えることを望みますか。あなたは、家の中で、召使たちや子供たちの中に主を見い

だします。彼らに神をおそれ、愛し、主のみに信頼することを教えなさい。行って、悲しみ病む隣人を慰

め、あなたの持ち物と、知恵と、わざによって助けてあげなさい。「実にわたしは、あなたの助けと教え

を必要としているあらゆる兄弟の中にあって、あなたにもっとも近くにいるであろう。そこに、ちょうど

そこに、わたしはいる。それが少しであれ、多くであれ、あなたはわたしにしたのである。一杯の冷たい

水も決してむなしく与えられることはない。あなたはそ千倍のむくいを受けるであろう。しかしそれは、

あなたのなしたわざのゆえでなく、私の約束のゆえである」

                                1526年の説教から