使徒言行録による説教(78)使徒言行録21:17-26、
・エルサレムに誕生しました最初の教会の信徒は、ほとんどユダヤ人でした。使徒言行録によれば、
相当早い段階から同じユダヤ人でも、パレスチナ出身のユダヤ人とギリシャ・ローマ世界(ヘレニ
ズム)出身でギリシャ語を話すユダヤ人がいました。両者の間には、ギリシャ語を話すユダヤ人に
対する差別もあったようですが、ユダヤ教についての姿勢においては、特に問題はなかったようで
す。最初期のエルサレム教会は、ほとんどユダヤ教の一分派であって、ユダヤ教とキリスト教とが
宗教集団としてはっきりと別のものになってはいませんでした。最初にキリスト教徒がクリスチャ
ンと呼ばれるようになったのは、シリアのアンティオキア教会だったと言われています。シリアの
アンティオキア教会には、ユダヤ人だけでなく、非ユダヤ人(異邦人)の信徒もいて、ユダヤ教徒
との分離がはっきりしてきたからではないかと思われます。パウロが3回の伝道旅行によって生ま
れた教会は、パレスチナではなくヘレニズムの諸都市で、教会のメンバーは非ユダヤ人が中心でし
た。パウロ自身の福音宣教も、ユダヤ教の割礼やモーセ律法にしばられない自由なメッセージでし
た。ただパウロは、ヘレニズムの諸都市で最初はその町にあるユダヤ教の会堂で福音を宣べ伝えま
したので、ユダヤ教を信じるユダヤ人との葛藤を抱えることになったのです。ヘレニズムの諸都市
にあるユダヤ教の会堂に集まる人々は、パレスチナを離れてその町に住み着いていた離散のユダヤ
人が中心メンバーで、非ユダヤ人の「神を畏れる者」と言われたユダヤ教に改宗はしていない人た
ちもいました。ユダヤ教の会堂で福音を宣べ伝えたパウロによって、ユダヤ人も洗礼を受けてキリ
スト教徒になる人も少数はいたでしょうが、神を畏れる非ユダヤ人が多かったのではないでしょう
か。ですから会堂のメンバーである離散のユダヤ人からすると、パウロは自分たちの仲間をキリス
ト教徒にして奪っていく人物に思えたに違いありません。そのことで離散のユダヤ人たちがパウロ
を憎んで、迫害しようとしていたのです。
・さて、エルサレムに到着したパウロの一行は、エルサレム教会への献金に協力した非ユダヤ人信
徒を中心とするヘレニズムの諸都市に誕生した教会の代表者たちもいたと思われます。そのような
パウロの一行の到着を、エルサレム教会の<兄弟たちは喜んで迎えた>(使21:17)と言われてい
ますので、エルサレム教会の信徒たちはパウロらをあたたかく迎えたと思われます。このことだけ
を見ますと、パウロらとエルサレム教会の信徒たちは、同じ主イエスを信じる者としてその交わり
を喜んでいることが伝わってきます。宮平望さんは、<エルサレム以外の所にいる兄弟たちは、パ
ウロのエルサレム行きを心配したが(使20:18,21,4,12)、エルサレムの兄弟たちはパウロに再会
できて喜びを押さえきれなかっただろう。また、このことは、(カルヴァンによって、注解下、
634頁)エルサレムの兄弟たちがパウロに対する他の人々の悪評や中傷を信用していなかったこと
を示している>と述べています。
・けれども、このエルサレム教会の兄弟たちのパウロとの再会によす素朴な喜びは、翌日のパウロ
とエルサレム教会の中心人物であったイエスの弟のヤコブやエルサレム教会を代表する長老たちと
の会見ではありませんでした。むしろ、エルサレム教会の指導者たちは、パウロがエルサレムに来
たことにある種の困惑を覚えていたようです。パウロを憎む離散のユダヤ人がエルサレムにやって
きて、パウロに暴力を振るうことを、彼らは恐れたのでしょう。そんなことが起きたら、エルサレ
ム教会の立場がなくなってしまうと、彼らは考えたのでしょう。おそらくヤコブをはじめエルサレ
ム教会の指導者たちの心を占めていたのはエルサレム教会を護るという護教の精神だったと考えら
れます。
・一方パウロは、今自分に神は何を求めておられるのかという御霊の促しに従って行動しているの
です。エルサレムに行くことが自分の苦難と死に、たとえ結びつくようなことがあっても、パウロ
はそこに神の示しがあるので、エルサレムに来たのです。エルサレム教会との信仰の一致を確認し、
エルサレム教会に献金をとどけたら、ローマに行き、ローマの教会の支援を得て、イスパニア(ス
ペイン)に伝道することが、自分の残された使命であるとパウロは考えていたからです。
・ところで、この両者の会見は、最初パウロらの挨拶があり、その後パウロは、<自分の奉仕(務
め)を通して神が異邦人(非ユダヤ人)の間で行われたことを、詳しく説明した>(19節)と言わ
れています。これは使徒言行録の著者ルカの記述ですが、自分の働きを通して神が行動していると
いうパウロの信仰が、よく言い表されているところです。「神を通して自分が行動した」とは言っ
ていないのです。自分の働きを通して神が行動するとは、私にはなかなか言えない言葉です。パウ
ロの働きによって、非ユダヤ人の社会に教会が誕生したことを、エルサレムの指導者たちも、神の
働きとして神を賛美したというのです。けれども、エルサレム教会の指導者たちは、パウロにこの
ように語ったというのです。<兄弟よ、ご存じのように、幾万人ものユダヤ人が信者になって、皆
熱心に律法を守っています。この人たちがあなたについて聞かされているところによると、あなた
は異邦人の間にいる全ユダヤ人に対して、「子供に割礼を施すな。慣習に従うな」と言って、モー
セから離れるように教えているとのことです。いったい、どうしたらよいでしょうか。彼らは(エ
ルサレムに)あなたの来られたことをきっと耳にします>(20-22節)。
・ここでパウロについて<あなたは異邦人の間にいる全ユダヤ人に対して「子供に割礼を施すな。
慣習に従うな」と言って、モーセから離れるように教えているとのことです>と言われていること
は、少し事実と違っています。パウロは確かにガラテヤの信徒への手紙によれば、ユダヤ教の律法
を否定している言い方をしています。5章で、<わたしパウロはあなたがたに断言します。もし割
礼を受けるなら、あなたがたにとってキリストは何の役にも立たない方になります>(2節)と言
い、<割礼を受ける人すべてに、もう一度はっきり言います。そういう人は律法全体を行う義務が
あるのです。律法によって義とされようとするなら、あなたがたはだれであろうと、キリストとは
縁もゆかりもない者とされ、いただいた恵みも失います>(3,4節)。このガラテヤの信徒への手
紙の内容からすれば、パウロが割礼も律法も否定していると言えるかも知れません。
・けえども、ここでパウロが問題にしているのは、ガラテヤの教会において、パウロの宣教の働き
により洗礼を受けて信徒になった人たちのことです。ユダヤ教徒のユダヤ人が自分の子どもに割礼
を受けさせ、律法を守ることを否定しているわけではないのです。例えばコリントの信徒への手紙
一の9章19節以下で、パウロはこのように述べています。<わたしは、だれに対しても自由な者で
すが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。ユダヤ人に対しては
ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。律法に支配されている人に対しては、わ
たし自身はそうではないのですが、律法に支配されている人のようになりました。律法に支配され
ている人を得るためです>(9:19-20)。このパウロの言葉からしても、パウロは、ユダヤ人の慣
習を尊重する配慮を決して怠ってはいないのです。
・このように見てきますと、使徒言行録21章21節の<あなたは異邦人の間にいる全ユダヤ人に対し
て「子供に割礼を施すな。慣習に従うな」と言って、モーセから離れるように教えているとのこと
です>というエルサレム教会の指導者たちの言葉は、事実の正確な報道ではなく、微妙に歪められ
た噂であったということが言えると思います。
・エルサレム教会の指導者たちがパウロに勧めたことは、ちょうどエルサレムの教会の人たちの中
に「誓願を立てた者が4人」いるので、<この人たちを連れていて一緒に身を清めてもらい、彼ら
のための頭をそる費用を出してください。そうすれば、あなたについて聞かされていることが根も
葉もなく、あなたは律法を守って正しい生活をしている、ということがみんなに分かります」>
(24節)ということでした。パウロはこのエルサレム教会の指導者の勧めに従って行動したよう
です。<そこで、パウロはその四人を連れて行って、翌日一緒に清めの式を受け神殿に入り、い
つ清めの期間が終わって、それぞれのために供え物をささげることができるかを告げた>(26節)
と言われている通りです。
・清めのためには3日目と7日目に清めの水をかけるという儀礼があって、七日間が必要だったと
言われています。結果的にこのことが、アジア州からパウロを追いかけて来たユダヤ人たちが神
殿にいるパウロを発見し、パウロを捕まえ、民衆を扇動して騒ぎを起こし、パウロに危険が迫る
ことになります。もしエルサレムの教会の指導者たちが、折衷的な態度で臨まず、きちっとパウ
ロに迫っている離散のユダヤ人の迫害の現実を認識して、パウロたちを速やかにエルサレムから
離れさせれば、離散のユダヤ人の攻撃からパウロを逃がすこともできたでしょう。しかし、エル
サレム教会の指導者たちはそうしませんでした。何とかとりつくろおうとしたのですが、それも
できませんでした。
・この護教的な姿勢が、結果的に異質な仲間を切り捨てることになるということを、私たちはこ
の箇所から学ぶことができるのではないでしょうか。エルサレム教会の指導者たちは、パウロを
守ろうとして4人の誓願者と共に、パウロがきよめの祭儀を受ければ、パウロも律法を守って正
しく生活しているということがみんなにも分かると考えたのです。そしてそのようにパウロにも
勧め、パウロ自身もそれに従ったのです。けれども、離散のユダヤ人たちからパウロを守ること
ができませんでした。
・高橋三郎さんはこのように言っています。<パウロの行動は(御霊の指示に従って都上りを決
行したことにも表れているように)信仰的決断に基づくものであったが、エルサレム教会のそれ
は、政治的配慮に基づく折衷案であった。彼らはユダヤ主義者とパウロとの根源的対立には目を
つぶり、この両方につながろうとしたのである。このように事を丸く収めようとする方策は、そ
の場しのぎには役に立った。しかしやがて、ユダヤ戦争が勃発したとき、この教会はその渦中に
巻き込まれ、たちまち歴史の上から消えていってしまったのである。律法に熱心なユダヤ人信徒
が「数万にものぼっている」と豪語した事態は、たちまち瓦解してしまった。これに反して、キ
リストの福音は、以後異邦人信徒の手で、世界の各地に宣べ伝えられて行く。つまり歴史の前途
は、当時の抑圧された少数者に、託されたのである。この重大な事実に着目するとき、信仰の根
本問題について、政治的に解決しようとする折衷案が、いかに無意味であるかということを、改
めて考えさせられる>。
・私たちの属する日本基督教団は、第二次世界大戦下において当時の天皇制国家にすり寄って、
仲間のホーリネス教会の牧師や家族の弾圧を、ホーリネス教会の牧師に自ら教団の教師を辞任す
ると言う文書を送って、辞任をさせて、自分たちに国家の弾圧が向かないように切り捨てました。
このことは私たちの教会の痛みでありますが、十字架の受難を恐れて自分たちの身を守ろうとし
たということです。このことも折衷の道を選ぼうとした誤りではないかと思います。このことを
思う時に、エルサレム教会の指導者の選択と重ね合わせて、私たちの信仰のあり方についてよく
よく考えておかなければならない問題です。
・そういう意味では、少なくともパウロが神の前に聖霊の促しによって、例え自分に苦難が及ん
でくることが分かっていても、自分の進むべき道を選び取っていったその信仰に私たちも倣うも
のでありたいと思うのであります。