なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(297)

        船越通信癸横坑掘 。横娃隠掲1月22日    北村慈郎

・15日(日)は礼拝後しばらく懇談して散会した後、私はその日の夜の「第72回かながわ明日の教団を

考える会」の準備に取りかかりました。昨年の10月末に開催された教団総会の報告のために、教団総会会

期中に発行された速報(1号~4号)と教団ジャーナル「風」の教団総会報告を人数分印刷しました。この

日は大変寒く、参加者も15名で、いつもより少な目でしたので、2月の教区総会の準備を十分にするこ

とはできませんでした。

・この会では、教団・教区との関わりがメインのテーマですが、その他に東北大震災・東電福島第一原発

事故による被曝及び避難への神奈川教区としての支援に可能な限り協力するようにしたいと思い、それも毎

回のテーマの一つにして、参加者がそれぞれの所属教会に働きかけられるように情報を共有しています。今

年も福島の家族の保養プログラム「リフレッシュ@かながわ」が5月3日(水)~6日(土)まで行われます。

この保養プログラムはゴールデンウィークの時期に企画していますが、それは普段は仕事をしているお父さ

んやお母さんも一緒に家族全員で参加しやすいからです。しかもこの保養プログラムは、3泊4日横浜のホ

テルに宿泊して、交流会と希望者には医療相談をそれぞれ夜に一回だけ行われますが、後は家族で自由に遊

んでもうらうという形になっています。大変自由度の高いプログラムですので、ゴールデンウィーク横浜の

ホテルでということもあってか、毎年希望者が多く、抽選で決めています。避難被災者の住宅支援の打ち切

りの時期が迫っていると報じられていますが、原発事故を伴う東北大震災支援は打ち切ることなどできない

はずです。そういう意味で、この保養プログラムも可能な限り続けられるように、経済的にもサポートして

いきたいと思っています。「リフレッシュ@かながわ」への献金をよろしくお願いします。

・その他にかながわ明日の教団を考える会では、私の戒規免職問題も共有してもらっています。ですから支

援会の活動の報告をこの会で必ずさせてもらっています。また今年度2017年は戦責告白50周年の年に当たり

ますので、40周年の時に行ったように、戦責告白50周年記念集会を行いたいと思っています。40周年のとき

は、私が常議員でしたので、常議員会に教団として戦責告白40周年記念集会を行うように議案を出しました

が、否決されましたので、神奈川教区常置委員会に提案して、教区で実行委員会を作り、「『戦責告白』

40周年を覚える神奈川教区集会~地の塩、世の光としての教会」を開催しました。その報告集も作成しま

した。戦責告白50周年記念集会については、いろいろ意見が出ましたが、4月2日の次回の会で集約して、5

月の常置委員会に提案することになりました。最後に集会案内などの諸報告を自由にしてもらって会を終え

ました。

・17日(火)には、農伝と夜紅葉坂教会で支援会の世話人・事務局会がありました。農伝の説教演習では、

いつもは二人の学生に実際に説教をしてもらい、みなで講評するというスタイルで授業を行っていますが、

この日は実際に説教する学生が一人でしたので、バルトの一つの説教をコピーしていき、後半はバルトの表

現の問題について話しました。その説教の中でバルトは、「イエスは、・・・」「十字架は・・・・」と何

度も繰り返し、イエスと十字架をいろいろな視点から規定して具体化して語っているのです。つまり福音の

持つ方向性とその射程を明確化して、聴衆に問いかけているのです。聴衆は、「イエスや十字架」について

の自分の前理解がバルトの説教を聞くことによって、場合によっては崩されて、そこで新しい発見へと導か

れるようになるように思うのです。農伝で説教演習をしていて、えらそうなことは言えないのですが、説教

を分かりやすく、いかにうまく語るかという意識が学生には強く、説教準備におけるテキストとの格闘が少

し弱いという印象がぬぐえません。

・夜の支援会世話人・事務局会では、3月18日(土)に支援会の総会の日程を変更し、その準備をしまし

た。昨年の10月教団総会会期中の支援会の「全国交流集会」の報告を中心に通信第18号を2月6日に会員に総

会案内と共に発行することなどの打ち合わせをしました。今回の世話人・事務局会には仕事で九州に行って

いたYさんが退職して戸塚に住むようになりましたので、また事務局員として参加してくれました。うれし

いことです。

・18日(水)、19日(木)と時間がありましたので、支援会の全国億流集会のテープお越しをし、関田

寛雄先生の挨拶、渡辺英俊さんの発言1、小畑太作さんの発言2を文章化して、それぞれに送り修正があれ

ば修正してもらい完成原稿にするようにしました。後は、この集会での協議で発言してくださった方の発言

を要約することが残っていますが、他の原稿も大体集まっていますので、これで通信第18号の発行の見通し

が立ちました。

・20(金)は寿地区活動委員会があり、予定ではこの日1時間ほどで委員会を切り上げて、炊き出しなど

で一緒に活動している寿の町の人たちと鍋を囲んで懇親会を開く予定でしたが、体調を崩したり、都合の悪

い方が多く、懇親会は流会となりました。委員会は何時もより30分早く午後6時から予定通り開催しました。

越冬の報告の中で、夜回りにいくボランティアの人数が少なかったことが指摘されました。越冬の時の夜回

りは、温かなスープをもって回りますので、ボランティアの人数も多く必要としていますが、今年はそれが

少なくて困ったようです。私も1月3日は夜7時の集約集会までは出たのですが、9時に出発する夜回りは失礼

して帰って来てしまいました。寿地区センターは、本年4月から主事のMさんの他に副主事をスタッフに加え

ることになっています。そのため経済的な基盤を強化しなければなりません。どうぞ寿地区センターの働き

を支えてくださいますように。皆様の周りの方にもその働きを知ってもらい、できれば協力献金にご協力を

お願いしていただければ幸いです。委員会が終わって、予定されていた懇親会もありませんでしたので、残

れる委員8名で寿地区センターの近くにある韓国料理のお店のチゲ鍋とチジミで夕食をすませました。実は私

は前日の夕飯とその日の昼食はキムチ鍋でしたので、ほぼ3食連続同じものを食べたことになります。でも

おいしくいただきました。