船越通信、癸械牽院 。横娃隠固9月30日 北村慈郎
・23日(日)は礼拝後いつものように残れる人でしばらくお茶を飲み、懇談の時を持ちました。その後
私は次週の準備をして、午後1時半には船越教会を出て、鶴巻に向かいました。連れ合いが3週間の入院を
して、退院したのが21日(金)でしたので、出来るだけ早く鶴巻に帰ることにしました。途中海老名で
食材を購入し、鶴巻には午後3時半ごろには着きました。日曜日はこんなに早く鶴巻に帰ることは、今ま
では殆どありませんでしたので、連れ合いも「早かったわね!」と言っていました。
・この一週間は、ほとんど鶴巻での生活と連れ合いの病院への付き添いで過ごしました。27日(木)に
は午後高座渋谷教会で10月開催の教団総会会期中の支援会全国交流集会の案内チラシ発送作業と、同教会
で午後4時30分から教区の基地・自衛隊問題小委員会(基地小)がありましたが、どちらも私は欠席させ
てもらいました。この日は連れ合いが病院に行く日で、朝8時過ぎには鶴巻を出て、小田急で一駅先の伊
勢原にありますT大学病院に行きました。行くときは基地小には出席できると思っていました。しかし、
全てが終わったのが、午後3時過ぎでしたので、それから鶴巻に帰って、第2回目の抗がん剤投与中(24時
間点滴)の連れ合いを置いて委員会に行くことはできず、基地小を欠席させてもらった次第です。私は初
めて病者である連れ合いに付き添って、外来通院による大学病院の治療を体験しましたが、システマ
ティックではありますが、患者数が多く、待ち時間の長いことです。この日朝9時から、まず診察前に採
尿と採血をするためにその場所に行きました。採血する所には採血する場所が10ヵ所近くあり、次から
次に採血が行われています。ここでは10分ほど待つだけでした。次に一般外科外来に行き、1時間半ほど
待って診察を受けました。その後抗がん剤治療を受けるために外来化学療法室の受付を済ませてから、連
れ合いには糖尿病がありますので、腎代謝内科に行き、そこで診察を受け、さらに同科の看護面談が終
わったのが、もう12時半を過ぎていました。それからやっと化学療法室で点滴を受けることになりまし
た。約2時間半ということでしたので、それが終わったのが、午後3時過ぎでした。その間私は家から持っ
てくるものがありましたので、一度家に行き、病院に戻ってきました。化学療法室の外の椅子で待ってい
ましたら、連れ合いが出て来て、それまでお昼を食べていませんでしたので、病院の中の食堂でお昼を済
ませて、鶴巻に帰って来たのが午後4時過ぎでした。ということで基地小は欠席させてもらいました。初
めての体験でしたが、この大学病院の状況は、病者本人にとっても大変厳しいのではないかと思いまし
た。長い時間待って診察してもらい、治療が終わるまで体力的にも相当のエネルギーを消費せざるを得な
いでしょう。おそらく多くの病者は、連れ合いと同じように大学病院でなければ治療ができないほど病気
が悪化しているか、或は、難しい病気になっている方々のように思われます。それだけ重篤の病気の方が
多いということなのでしょう。医学の技術的進歩や新薬の発見などによって、今までは不可能だった重い
病気も難病も治癒できるようになりますと、どうしても治癒を行うことのできる大学病院に病者が殺到し
てくるのでしょう。連れ合いに付き添って大学病院の世界を垣間見させてもらっていますが、いろいろと
考えさせられています。
・28日(金)は、連れ合いの第2回目の抗がん剤治療の点滴が午後2時頃終わりますので、この日もT大
学病院に行き、点滴の針の抜き方を私が看護師から指導を受けました。次回からは点滴をする時は病院に
行ってしますが、24時間たった後の点滴の針を抜くのは、自宅で私がするようになります。看護師さんの
言われる通りに、私が点滴の針を抜きましたら、上手ですねと褒められました。この日は1時間ほどで終
わりました。
・30日の日曜日午後4時30分から、今年度の第2回オリエンテーションが現場研修として寿地区センター
(会場はなか伝)で行われる予定でした。ところが「台風第24号は、30日夜から10月1日未明にか
けて神奈川県に最も接近する見込みです」という予報により、委員長のOさんと現場研修の責任者でオリ
エンテーション委員のMさんと出欠の集計をしています私とで、29日(土)朝電話で相談して、今回は
中止することにしました。直ぐに私の方から参加予定者と委員11名の方々に中止の連絡をしました。
・30日(日)は沖縄の知事選挙の日です。第24号台風の影響が投票に行く人にどうでるのか心配です。
私が出席できなかった基地小のメールで送ってもらった議事録を見て、「沖縄の今後は9月30日の知事
選で決まるが、たとえ玉城デニーさんが当選しても、国は強引に裁判にもちこみ工事を進めるだろう。裁
判に勝つには大浦湾には活断層が2本はしっていることを証明する事。又大浦湾は、マヨネーズのような
軟弱地盤の部分があるので、ケーソン護岸などを造ることができない。そしてデニーさんが勝てば、この
設計を変更することが出来なくなるので、工事をつづけることは無理。」との委員で藤沢大庭教会牧師の
Yさんの報告を読みました。そのようになるように希望しますが・・・。