なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

エレミヤ書による説教(105)

   「残留民」エレミヤ書40:7-16、2018年9月30日(日)船越教会礼拝説教


第二次世界大戦によって日本の国は戦争に負けました。その敗戦後の混乱を、私はまだ小さな子供でし

たが体験しています。日本の戦後の混乱を治めて、安定を取り戻したのは、占領軍の米軍司令官であった

マッカーサーでした。その背景には1945年8月15日の昭和天皇の「終戦(敗戦)の詔勅」の影響力もあっ

たと思われます。その詔勅の後半を現代語訳で読みますと、このようになっています。実際の詔勅は、

「私は」は「朕ハ」ですし、「国民」は「臣民」(天皇の赤子)ですから、絶対君主がそれに従うべき国

民に語っているわけですので、現代文に訳しますと、ニュアンスが大分違います。また、昭和天皇は自ら

の戦争責任を全く捨象してこれを語っていますので、その点を注意してお聞きください。


・「私は我が国とともに東アジアの解放に協力してくれてきた同盟国諸国に対して申し訳なく思う。ま

た、我が国の国民で、戦場や職場で非命に(天命がまだ尽きないで)死んだ者、またその遺族のことを思

うと体が裂けるような思いである。さらに、戦争に傷つき、戦災を受け、家や職場を失った人々をどう助

けていくかということも、私は深く案じている。

 今後我が国の受ける苦難は並たいていのものではないだろう。国民諸君の苦しみも私はよくわかってい

るつもりである。しかし時の運には逆らいえない。私は耐えがたい敗戦の事実をあえて耐え忍び、将来の

ために平和な世の中を開こうと思う。

 私はこうして国を滅ぼすことは避けることができた。私は今後も諸君の忠誠を信頼し、自国民同士で争

いあったりすれば、国の将来をそこない、世界の信用を失ってしまうだろう。そのようなことは決してし

てはならない。

 これからは国をあげて、子孫を残し、日本が決して滅はないという確信を持たねばならない。その責任

は重く、道は遠いが、総力を将来の建設に傾けねばならない。人道と正義を重んじ、強固な精神を保たね

ばならない。そうすれば、日本の誇りを高く掲げつつ、世界の進歩について行くことができるであろう。

国民諸君には、どうかこの私の願いを実現してもらいたいと思う。」


(以下は参考のため、説教では現代語訳で紹介しました)。

・(「朕ハ帝国ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝国臣民ニシテ

戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内為ニ裂ク且戦傷ヲ負イ災禍ヲ蒙リ家

業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ惟フニ今後帝国ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニ

アラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪へ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世

ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス

 朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所

濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ乱リ為ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム

宜シク挙国一家子孫相伝ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ道義ヲ

篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克ク朕カ

意ヲ体セヨ」)


・日本の戦後の混乱を治めたのは直接的には占領軍司令官のマッカーサーですが、精神的な面ではこの

終戦詔勅」を語った昭和天皇の存在が大きかったと思われます。敗戦後に軍部の反乱もなく、地方的

な戦乱もなく、民衆の抵抗もなく、占領軍の支配が行われたのは、天皇の存在とこの昭和天皇の「終戦

詔勅」によるものと思われるからです。


・今私が第二次世界大戦後の日本の戦後の混乱期についてお話しましたのは、今日のエレミヤ書の箇所

が、バビロンによる南王国ユダの滅亡後の、ユダ地方の混乱を治めるためにバビロン王ネブカドレツアル

によって立てられた総督ゲダリヤについての記事だからです。


・40章7節をもう一度読んでみたいと思います。≪野にいたすべての軍の長たちはその部下と共に、バビ

ロンの王がアヒカムの子ゲダルヤをその地に立てて総督とし、バビロンに移送されなかったその土地の貧

しい人々に属する男、女、子供たちを彼のもとにゆだねたことを聞き、ミツバにいるゲダルヤのもとに集

まって来た。≫とあります。


・このことは、バビロン捕囚民と分断されてユダ地方に残った残留民の中で、バビロン王によって総督に

選ばれたゲダルヤを中心に敗戦後のユダに新しい共同体を作ろうと、バビロンに移送されなかったユダの

人々によって試みられたことを意味します。日本の敗戦後には、戦勝国アメリカ人の軍人でもある、外国

人のマッカッサーが最高司令官についたわけですが、ユダ残留民においては、戦勝国バビロンによってユ

ダ残留民の中から選ばれたゲダルヤが総督になったのです。


・ゲダルヤのに集まって来た≪野にいたすべての軍の長≫とは、エルサレムがバビロン軍によって陥落し

た時、「ユダの野に退却して、バビロン軍から身を隠していた部隊の指揮官たち」を意味します。その中

に数か月後にゲダリヤを暗殺するネタンヤの子イシュマエルもいました(8節)。



・ゲダルヤは、≪彼らとその部下たちに誓って≫、このように言ったと言われています。≪「カルデヤ

(バビロン)人に仕えることを恐れてはならない。この地にとどまり、バビロンの王に仕えなさい。あな

たたちは幸せになれる。このわたしがミツバにいて、やがて到着するカルデヤ人と応対しよう。あなたた

ちはぶどう酒、夏の果物、油などを集めて貯蔵し、自分たちの確保している町々に留まりなさい」≫

(9,10節)と。ここには、ゲダルヤの基本姿勢である親バビロン政策が明らかに示されています。「自

ら代表として、バビロン帝国との折衝にあたることを誓い、人々の安全を約束し、彼の下に集まって来た

軍の長とその部下たちの心をとらえているように思われます。


・おそらくゲダルヤがユダ残留民の総督になった初めの頃は、バビロンとの戦争が終わって、生き残った

人々から信頼されて、残留民の中に新しい共同体が形成されようとしていたのではないかと思われます。

そのことを聞き知った、外国に避難していたユダヤ人たちも、≪それぞれの避難先を引き揚げて、ユダの

地に戻り、ミツバのゲダリヤのもとに来た≫(12節)と言われます。≪彼らは、ぶどう酒と夏の果物を多

く集めた≫とありますから、ゲダルヤの下に集まった人々がある程度安定的な生活が出来るようになって

いたと思われます。


・ユダ残留民の中に将来への希望の光が、少しだけ射しかかったのです。もしゲダルヤを総督としたユダ

残留民の中で築かれる新しい共同体が、神の律法を中心とした神との契約共同体であれば、残留民こそが

イスラエルの「残り者」になることが出来ます。エジプトで奴隷であったイスラエルの民を解放して下

さったひとりの神を神とし、お互に奪い合うのではなく、それぞれの神から与えられた命と生活を大切に

して、互に愛し合い、仕え合う、モーセ十戒に示された神の契約共同体です。それが神に選ばれたイス

ラエルの民が本来歩むべき道なのです。


・けえども、残念ながらユダ残留民には、そのような契約共同体は生まれませんでした。ゲダルヤが総督

となって、彼の下に結集したユダ残留民によって始まった新しい歩みは、数か月後には、早々とイシュマ

エルのゲダリヤ暗殺によって終わってしまいます。この暗殺計画は事前にその情報がもれて、ヨハンナら

軍の長たちに伝わり、彼らはゲダリヤに直接そのことを伝えています。≪アンモンの王バアリスが、あな

たを暗殺しようとして、ネタンヤの子イシュマエルを送り込んでいるのをご存じでしょうか。」≫(14

節)と。


・ゲダルヤは代々ユダの宮廷に仕えた家柄の出身で、自分自身も高官として働いていました。ユダ王家の

出身であるイシュマエル(41:1)とも、親しい間柄でしたので、イシュマエルから裏切られるとは考えら

れなかったのでしょう。ゲダルヤはヨハンナらの言うことを信じなかったというのです(14節)。しか

し、更にヨハンナはミツパで極秘にゲダリヤに進言して、≪あなたが暗殺され、ここに集まって来たユダ

の人々が、また、ちりじりになり、ユダの残留民が滅びてもよいのですか。わたしが行って、だれにも知

られないようにネタンヤの子イシュマエルを殺してきます」。≫(15節)と言います。しかし、ゲダリヤ

は≪「そのようなことをしてはならない。イシュマエルについてあなたの言うことは誤りだ。」≫(16節)

と言って、ヨハンナの進言を退けます。


・ゲダリヤが、イシュマエル暗殺計画というヨハンナの進言を退けたのは、そのような不正と謀殺によっ

て残留民の未来を打ち立てることはできないと考えたからではないかと思われます。それだけにゲダリヤ

は心根が曲がっていない、真実な人だったのではないでしょうか。しかし、41章以下を読みますと、ゲダ

リヤは親しい間柄であったイシュマエルに暗殺され、エルサレム陥落後のユダにおいて悲劇的な犠牲者と

なってしまいます。


・このことを伝えているエレミヤ書は、戦乱後のユダの残留民が契約の民イスラエルの「残りの者」とし

て、契約の民にふさわしい未来を創り出す可能性があったにも拘わらず、それができなかったことを間接

的に語っているように思われます。何故なら、同胞の一員であるイシュマエルという人物が、外国のアン

モン人の王の謀略があったとしても、それに乗っかって、ゲダリヤ暗殺という、人間が犯してはならない

一線を越えて、罪を犯してしまったからです。


エレミヤ書エルサレム陥落後の残留民のことが記されているのも、それを読む者に、このユダ残留民

の歴史を反面教師として、ユダヤ人つまりイスラエル人の本来的生き方は、神の契約の民として神と隣人

である他者との交わりを誠実に生きることであるということを学んでもらいたかったからではないでしょ

うか。


イスラエルの「残りの者」の思想は、新約聖書ではイエスの仲間である教会共同体が継承しているよう

に思われます。その末裔に私たちもいるのではないでしょうか。そうであるとするならば、私たちの国で

は戦後史における日本国憲法の存在が、象徴天皇制を除いて、「残り者」の思想を体現しているといって

よいでしょう。


・特に憲法の三大原則、ー膰∈潴院聞颪琉媚廚魴萃蠅垢觚⇒?、私たち民衆(「国民」)にあるという

こと)。基本的人権の尊重( 基本的人権とは、人が生まれながらにして持っている権利のことで

す。)J刃村腟繊,蓮契約の民の在るべき姿を反映していると思います。


・この三大原則が、ことごとく現在の日本においては、権力と資本によって踏みにじられようとしている

のではないでしょうか。「残り者」の末裔として召されている私たちは、イエスが十字架を担われたこと

を想い起し、イエスの仲間の一人として、負うべき重荷を避けることなく、神と隣人との真実な関係を追

い求めていきたいと思います。


エルサレム陥落後の戦後の混乱期、ユダの地にあって残留民を導こうとして、暗殺という謀略によって

殺されてしまったゲダリヤですが、彼の志は間違っていなかったと思われます。そのゲダリヤについて想

像をめぐらしつつ。歴史の狭間で揺り動かされる弱い私たちですが、聖霊の導きが豊かに与えられますよ

うに。


・祈ります。