なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(517)

6月5日(日)は関田先生に説教をお願いしましたので、5日の礼拝式はありません。

 

船越通信、№517 2022年5月29日(日)北村慈郎

 

  • 22日の日曜日は礼拝後、Iさんのお見舞いのカードに書いていない人に書いていただき、Hさんに託してIさんに出してもらうことにしました。また、6月5日(日)のペンテコステ礼拝の説教にきていただく関田先生をお迎えする打ち合わせをして、散会しました。その後私は、世話人代表をしている「沖縄から米軍基地撤去を求め、教団「合同のとらえなおし」をすすめる連絡会」(“もとすす”)という教団有志の会の通信を、神奈川教区の諸教会・伝道所107にヤマトのメール便で出すために、深浦にあるヤマトの営業所に歩いて持っていきました。受付で手続きを済ませ、近くのバス停から追浜に出て、午後3時半過ぎには鶴巻に帰ってきました。
  • 23日(月)午前中は、予約していた歯医者に行き、ぐらついていた歯を3本抜いたところに義歯を入れるための型を取りました。後2回で歯の治療は終わることになりました。この週はいろいろと忙しいので、この日月曜日から29日の日曜日の説教の準備に入りました。
  • 24日(火)午後に紅葉坂教会時代の二人の方が訪ねてきました。午後2時頃鶴巻温泉駅に着くと言うので、駅まで迎えに出ました。一緒にマンションまで歩いて来て、その後2時間強いろいろな話をしました。二人とも私と同じにお連れ合いを亡くしている方で、独り暮らしをしています。その一人の方は86歳とおっしゃっていましたが、古い紅葉坂教会の信徒です。この方が私の所に来たいと言うので、もう一人の方が一緒に来てくれたのです。この方は、1950年代前半の紅葉坂教会時代の日曜学校の子供たちや青年たちの集合写真を持ってきてくれて、見せてくれました。その人は私の帰天した連れ合いの千賀の日曜学校時代の先生であったとおっしゃっていました。この写真のどこかに千賀がいるということでしたが、小学生くらいの子供たちの集合写真でしたので、千賀と断定できる子供の写真を見つけることはできませんでした。この日訪ねてくれたもう一人の方の帰天したお連れ合いの方が、古い写真を持って来てくれた方と同世代で、青年時代に紅葉坂教会でこの方と共に過ごしたということでした。この帰天されたお連れ合いも写真のどこかにいたようです。この写真を持って来てくれた方は、私が1995年4月年から2011年3月まで紅葉坂教会の牧師だった時には、年に数回礼拝に出席し、その頃の紅葉坂教会には彼と同世代の青年時代の仲間が何人かいたものですから、礼拝後にはその人たちと言葉を交わしていました。今は紅葉坂教会の礼拝に出ても、そのような仲間は誰もいなくなったと、寂しそうに言っていました。その時、この方から歴史小説家である吉村昭の『ポースマスの旗』のフランス語翻訳本をいただきました。訳者は彼自身です。びっくりしました。私はフランス語は全くだめですので、読むことは出来ませんが、記念としていただきました。この方は石油関係の外資系企業に勤めていた方です。この本の出版は1998年ですから、彼が50代前半の頃に当たります。おそらくお勤めをしながら、コツコツ翻訳されたのではないかと思います。そんなこんなで話がはずんでいるうちに2時間が過ぎていました。午後4時半ごろに二人を鶴巻温泉駅まで送り、駅改札で別れました。新型コロナウイルス感染以来、こういう機会はほとんどありませんでした。帰天した連れ合いが療養中は、このような対面による少人数の交わりの機会が沢山ありました。交わりが断たれていることが、コロナ感染による弊害の大きな要素なのかもしれません。
  • 25日(水)は午後4時半から高座渋谷教会で、久しぶりの基地・自衛隊問題小委員会(基地小)があり、私も出席しました。この基地小では、各地(厚木・座間、横須賀、沖縄)の最近の状況報告があります。その後、今回は2022年度の最初の委員会でしたので、新年度の計画の話し合いになりました。新型コロナウイルス感染が高止まりの現在の状況では、対面による講演会も難しく、かといってリモートの集会をするだけの準備が基地小にはないので、委員会内学習会の形で毎年行なっている神奈川の基地の動きの学習会を、昨年度は行えなかったので、新年度の委員会内学習会として、2021年度のものを監視活動を続けている市民運動の方をお呼びしてを行なうことにしました。集会が開けない場合は、委員会内学習会での成果を、基地小の通信のようなものにして各教会・伝道所に送るようにしようということになりました。ウクライナでのロシアによる侵略戦争が起こってから3か月が過ぎて、長引きそうな状況の中で、日本も敵地攻撃能力の強化や防衛費の増強が叫ばれ、自衛隊や日米軍事同盟の強化が進んでいます。軍事力によらない平和な世界を願う私たちとしては、今の安全保障のためには軍事力の増強が不可欠だとする考えには、きちっと反対していかなければならないと思っています。
  • 26日(木)は国会前の辺野古新基地建設反対座り込みに参加し、夜は寿地区活動委員会にリモートで参加しました。
  • 27日(金)は、以前Mさんから頼まれていた捜真女学校のチャペルでのお話のために、朝8時頃鶴巻のマンションを出ましたが、ちょうど風雨の強い時で、鶴巻温駅に着くまでに大分濡れてしまいました。海老名で相鉄に乗り換え横浜に出て、更に東横線で反町まで行きました。そこから歩いたのですが、栗田谷に上る坂を一つ手前の坂を間違えて上ってしまったために、なかなか捜真女学校に行く道に出ず、迷ってしまいました。雨の中出会う人に聞いてやっと捜真女学校にたどり着いたのが9時45分でした。控室で少し休んで、10時からの礼拝に臨みました。10分弱の話でしたが、マタイ1章9節の「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」から、今のウクライナでのロシアによる侵略戦争と関連づけて、平和を実現する人になるようにと、私たちは招かれているのではないかと言う話をしました。比較的子供たちが顔を私の方に向けて聞いてくれているようなので、ホッとしました。
  • 28日(土)午前中はマンションの総会があり、私はこの一年マンションの理事長をしていましたので、議長として出席し、1時間ほどで総会を終え、次年度の理事に引き継いできました。この日の午後にある基地関係の集会は失礼しました。