なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

マタイによる福音書による説教(116)

 

3月14日受難節第四主日礼拝(10:30開始)

 

(注)讃美歌奏楽はインターネットでHさんが検索してくれました。

 

⓵ みなさん、おはようございます。今から礼拝を始めます。しばらく黙祷しましょう(各自黙祷)。

② 招きの言葉 「主を尋ね求めよ。見いだしうるときに。呼び求めよ、近くにいますうちに。主に立ち帰るならば、主は憐れんでくださる」。

                    (イザヤ書55:6,7a)

③ 讃美歌    149(わがたまたたえよ)

http://www.its.rgr.jp/data/sanbika21/Lyric/21-149.htm

④ 主の祈り  (讃美歌93-5A)を祈りましょう(各自祈る)。

⑤ 交 読 文   詩編145編1-13節(讃美歌交読詩編158頁)

        (当該箇所を黙読する) 

⑥ 聖  書  マタイによる福音書27章57-66節(新約58頁)

    (当該箇所を黙読する)

⑦ 祈  祷(省略するか、自分で祈る)

⑧ 讃 美 歌  529(主よ、わが身を)

http://www.its.rgr.jp/data/sanbika21/Lyric/21-529.htm

説教 「イエスの埋葬」  北村慈郎牧師

祈祷

 

  • 昨年3月3日に帰天した連れ合いの埋葬はまだすんでいません。お骨のままでまだ家にあります。現在の日本では、地域によって土葬があるかどうかは分かりませんが、埋葬は、多くの場合納骨という形をとっています。けれども、イエスの場合は、十字架上で息絶えたイエスの肉体をそのまま墓に埋葬しました。

 

  • エスが十字架上で息を引き取ったときは、既に「夕暮れとなって」いました。ユダヤの暦では、日が沈んでしまいますと、新しい一日が始まります。イエスが十字架に架けられたのが金曜日ですから、日が沈むと安息日である土曜日が始まります。安息日になりますと、一切の労働ができなくなりますので、死体の処理もそれ以前に完了しなければなりません。

 

  • マタイによる福音書の27章57節から61節のところには、イエスが埋葬されたことが記されています。「夕方になると、アリマタヤ出身の金持ちでヨセフという人が来た。この人もイエスの弟子であった。この人がピラトのところに行って、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。」(57-58a節)というのです。

 

  • エスがどのような殺され方をしたのかを考えますと、イエスの遺体を引き取るということも相当勇気がいることが分かります。イエスは大祭司を中心とするユダヤのサンヒドリン(最高法院)から断罪されたばかりではなく、ローマ総督ピラトに裁かれて、人びとの嘲りを一身に受けて、十字架刑によって殺された人です。

 

  • そのイエスを引き取るとすれば、イエスに向けられた敵意と嘲笑を自分の身に引き受けなければなりませんでした。それをあえてしたのがアリマタヤのヨセフでした。マタイ福音書にはありませんが、マルコとルカの並行記事には、このヨセフがサンヒドリンの議員であった言われています。それが事実であったとすれば、サンヒドリンの議員であったヨセフは、イエスの埋葬を通して、サンヒドリンにおけるイエスを死刑にすることを決めたあの議決(マタイ26:57-68)に反対する自分の立場を言外に表明したことになります。それだけの決意をもって、ヨセフはイエスの遺体を引き取ったことになります。

 

  • ヨセフがピラトのところへ行って、イエスの遺体を渡してくれるように願い出ると、ピラトは、渡すようにと命じました。ローマの慣習では、処刑された死体を友人や親戚に引き渡すのは普通のことだったので、誰かが申し出れば、イエスの遺体を引き取るのはさほど難しいことではなかったようです。

 

  • 「ヨセフはイエスの遺体を受け取ると、きれいな亜麻布に包み、岩に掘った自分の新しい墓の中に納め、墓の入口には大きな石を転がしておいて立ち去った」(59,60節)というのです。そして「マグダラのマリアともう一人のマリアとはそこに残り、墓の方を向いて座っていた」(61節)と言われていて、イエスを最後まで見届けようとした女たちが描かれています。しかし、いわゆるかつての男弟子である12弟子の姿は誰も、ここにはありません。

 

  • 髙橋三郎さんはこのように言っています。「男の弟子たちには、神の国の実現という一つのヴィジョンが胸にあって、ある種の期待が心の中に構成されていたのだが、イエスの死によって、これが完膚なきまでに粉砕されたため、彼らはもはやすべての希望を失い、立つことができなくなってしまった。この虚無的絶望が、彼らを逃亡へと駆り立てたのではあるまいか。そうだとすれば、その暗黒は、全地を蔽ったあの闇(27:45)にも比すべきものであったに違いない。しかしこの少数の女たちは、この絶望の闇を共にしつつも、イエスへの愛の故に、なおもその墓前に留まりえたのである。前途に期待される展望の故にではなく、イエスその人に対する愛のみが、彼女たちをここに引きとめたのである」と。

 

  • ただマタイ福音書のイエス埋葬の記事には、「マグダラのマリアともう一人のマリアはそこに残り、墓の方を向いて座っていた」としか記されていません。その後はすぐ、生前イエスが「自分は三日後に復活する」と言っていたので、弟子たちがイエスの遺体を墓から盗んで、「イエスは死者の中から復活した」などと民衆に言いふらすかもしれないと、大祭司らが恐れて、ピラトに頼んで番兵にイエスの墓を見晴らせたという記事が続いています(62-66節)。

 

  • 聖書のイエスの埋葬の記述には、十字架からのイエスの死体を取り下ろす様子も、この女たちのイエスの死に対する嘆き悲しみについても、特に記していません。けれども、中世になって、聖書の記述にはない、イエス磔刑と彼の埋葬の間にこの二つの新しい場面が生まれました。中世中期の大祈祷用黙想本文は詳細にわたって、イエスをどのように十字架から取り下ろしたかを描写していると言われます。イエスの遺体を引き取ったヨセフとニコデモ(ヨハネ福音書ではヨセフだけでなく、ニコデモもイエスの死体引き取りに関わっている。19:38-42)が十字架に梯子をかけ、イエスの遺体から釘を――一本また一本と――引抜いたことが記述されているというのです。それからそこに居あわせた女たちの嘆き悲しみ、哀悼も、イエスの埋葬との繋がりで、受難劇や絵画という芸術で私たちが最もよく慣れ親しんでいる場面であります。その一つの例として、ルツはベルーシアのフランチェスコの巨匠が描く印象深い初期の哀悼(1,300年前)を紹介しています。
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  • この絵の「中央に、イエスを彼女の膝に抱え、彼の頭を愛撫している母マリア、彼の足下にマグダラのマリア、そしてその他の女たちがいます。ヨセフとニコデモはただ全く端っこに現れるだけです。一人の天使はイースターの未来を想起させます。・・・」。

 

  • 教会においてイースターから解釈された福音書の埋葬物語は、人々がイエスの死について自分たちの悲しみや嘆きを表現する余地を与えませんでした。墓場での人間的な経験、イエスやその他の愛する者たちについての哀悼の経験、告別や心の痛みの経験が、もはや聖書の埋葬物語と結びつくことができませんでした。なぜなら、イエスの埋葬そのものがいわば、すでにイースターに飲み込まれてしまったからです。

 

  • しかし、中世の敬虔(信仰)は、聖書の受難物語にはない、イエスの埋葬における新しい場面を作り出したのです。アリマタヤのヨセフと彼の模範的な信仰の行為だけでなく、「母親らしい哀悼をあからさまに表現させるが、それにもかかわらずあらゆる人間の哀悼を彼女の息子への愛の中に受けとめ秘め込む、神の母マリアがこの新しい場面の中心に立」っているのです(ルツ)。

 

  • そしてルツは、「だれがこの二次的テクストを、それらがただ単に聖書的でないという理由だけで、軽んじたいと思うだろうか。中世後期の祈祷用黙想書テクストや受難劇におけるマリアの印象深く深い人間的な嘆きに直面し、また心の琴線に触れるイエス哀悼の絵に直面して、そうすることは私には難しい」と言っているのです。つまり、イエスの埋葬において、聖書の記事には描かれていないが、母マリアをはじめとする女たちの嘆き悲しみという人間の経験に思いを馳せることを、ルツは聖書的ではないと言って否定できないと言っているのです。

 

  • そういう意味で、私たちはイエスの埋葬におけるこの女たちの嘆き悲しみに思いを馳せたいと思います。その上で、少し長くなりますが、イエスの埋葬についてのナウエン黙想に耳を傾けたいと思います。

 

  • 【イエスの墓の周りには深い休息がありました。七日目に創造の業が完成したときに、「この日神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し聖別された」(創世記2:3)。

 

  • エスは、父に託されたそのすべての仕事を成し遂げられ、わたしたちのあがないの週(受難週)の七日目に墓で休まれました。そして悲しみでこころがうちくだかれた女たちも、イエスと共に休みました。歴史を通してのすべての日々の中で聖土曜日、入口に向って転がされた大きな石のうしろで静寂と暗闇の中、イエスの体が横たわっていたこの土曜日は神の孤独の日です。ひとことのことばも語らず、何の宣言もありません。すべてのものを創られた神のことばは、地の暗闇に横たわり埋められました。

 

  • この聖土曜日はすべての日々のなかで、もっとも静かな日です。その静けさが最初の契約と二番目の契約を結びつけます。イスラエルの民と未知の世界を、神殿における礼拝と霊による新しい礼拝を、血の犠牲とパンとぶどう酒の犠牲を、律法と福音を結び付けます。この神の沈黙は、世界が今まで知らなかったもっとも豊かな沈黙です。この沈黙から「ことば」はふたたび語られるようになり、すべてのものを新しくするのです。

 

  • 神の沈黙と孤独のなかに休まれたということから、わたしたちは多くのことを学びます。・・・・この休息は、忙しくない、ということではありません。それはひとつのしるしにはなるかもしれませんが。神の休息とは、わたしたちが死の力に囲まれている時でさえも、それに耐えることができるこころの深い休息です。その休息は、隠された目に見えない存在が、どのように、そしているとは言えなくても、わたしたちのなかで実を結ぶという希望を与えてくれます。

 

  • この信仰の休息とは、ものごとが改善しなくても、痛みに満ちた状況が解決しなくても、革命や戦争がわたしたちの日常生活のリズムを混乱しつづけようとも、平安で喜びにあふれるこころで生きつづけることを、わたしたちにもたらしてくれる休息です。

 

  • エスの霊のなかに生きている人びとは、みなこの神の休息を知っています。これらの人々の生は、静けさや、受け身、あるいはあきらめの生ではありません。その反対に、正義と平和へむけての創造的な行動が、この人びとの特徴となっています。その行動は彼らの心の中の神の休息から出てくるので、強迫や強制から自由であり、自信と信頼に富んでいるのです。

 

  • わたしたちは、日々の生活の中で何をしようと、またしないでいようと、イエスが墓の中に葬られ、創造物全体がすべて新たにされるのを待っていた聖土曜日の休息と結びつたところに、いつもとどまっている必要があります】(『ナウエンと読む福音書』から)

 

祈ります。

  • 神さま、今日も礼拝することができましたことを、心から感謝いたします。緊急事態宣言が延長され、今日も教会で皆が集まってする礼拝はできませんが、このようにメール配信によって共に礼拝にあずかることができ、感謝します。
  • 神さま、去る11日は東日本大震災から10年の日でした。様々なメディアがあの日の大津波原発事故について、またその後の復興の状況や被災した人々の現況を報道しました。東日本大震災による死者と行方不明者は、その後の震災関連死を含めますと2万2200人にのぼると言われています。本当に沢山の方々が召されています。ご遺族の方々の悲しみを想像します。神さまその一人一人を支えて下さいますように。また大地震と大津波、そして原発事故によって打撃を受けた市町村にずっととどまっている人々、住み慣れた所から別の場所に移住した人々、一度避難して再び帰還した人々、今も避難生活を強いられている人々、その一人一人の上に適切な支援が行き届きますように。事故を起こした原発廃炉作業に東電と政府が最善をつくすようにお導き下さい。脱原発の道を切り拓いて行けますように導いて下さい。
  • 神さま、今日はイエスの埋葬から、特にナウエンの黙想を通してメッセージを聞きました。イエスの埋葬における神の沈黙から始まる新しい歴史を、私たちも生きていくことができますように。
  • 神さま、今日から始まる新しい一週の間、私たちの仲間の一人一人をその場にあってお守りください。
  • 様々な苦しみの中で孤独を強いられている方々を支えて下さい。
  • 今日から始まる新しい一週の全ての人の歩みを支えて下さい。
  • この祈りをイエスさまのお名前を通してみ前に捧げます。  アーメン

 

⑩ 讃 美 歌    306(あなたもそこにいたのか)

http://www.its.rgr.jp/data/sanbika21/Lyric/21-306.htm

⑪ 献  金(後日教会の礼拝が再開したら捧げる)

⑫ 頌  栄  28(各自歌う)                                 

讃美歌21 28(み栄えあれや)
https://www.youtube.com/watch?v=3l91WrdhoAo

⑬ 祝  祷

  主イエス・キリストの恵み、神の慈しみ、聖霊の交わりが、私たち一同の上に、また全ての人の上に豊かにありますように。     アーメン                      

⑭ 黙  祷(各自)

これで礼拝は終わります。