なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(600)

船越通信、№600  2024年1月28日(日)北村慈郎

  • 28日(日)は礼拝後、京急田浦駅前でスタンディングを行ないました。N・Kさんの報告では、「11時48分~12時30分、6人が参加して、京急田浦駅前で、ガザのアハリ-・アラブ病院支援の募金活動を実施しました。小学生を含めて5人の方が募金をしてくださり、786円が集まりました。教会員の募金を合わせて、合計2000円になりました」とあります。スタンディングは前回からガザ支援にしていますが、ウクライナのロシアによる軍事侵攻も今月24日が来ますと、満2年になります。停戦の気配すらありませんので、どこまで続くのでしょうか。ベトナム戦争は1964年から1975年まで約11年間も続きました。ロシアによるウクライナへの軍事侵攻もイスラエルのガザへの軍事攻撃も、一刻も早い停戦を希望します。私は教区の基地・自衛隊問題小委員会(基地小)の委員もしていますが、基地小では3月末の年度内に通信第2号を出す予定にしています。その通信第2号の巻頭言を私が担当することになり、先日その原稿を書き上げ、編集してくれる委員の方へ送りました。その中で、非核市民宣言ヨコスカ/ヨコスカ平和船団「たより」347号に掲載されていた神奈川新聞(2024年12月15日)の自衛隊問題を特集した「時代の正体(自衛隊考)」という記事に触れている関係で、基地小の通信第2号にはその神奈川新聞の記事も掲載してもらうようにお願いしました。その神奈川新聞の記事は、表題「日米一体化と多国化 神奈川でも」とあるように、日本の軍隊である自衛隊が日米軍事同盟の強化を越えて、アメリカ以外の国々との軍事協力化も行なわれるようになっていることが、神奈川の基地の最近の動きに現われていることが記されています。私は基地小通信の原稿に船越のことも、<私がいる船越教会の裏手一帯は、長浦港周辺の海上自衛隊の諸施設があるところですが、特に教会の真裏にある船越庁舎が最近立て替えられ、海上作戦センターが建設されました。このセンターは、「自衛艦隊司令部が統合任務部隊の司令部の一つとして、平時から有事に至る事態に即応できる態勢を確立することを目的として整備されたもの」で、「部隊情報や作戦を一体的に運用する新しいシステムを導入。陸自、空自、米軍との連携を強化し、即応態勢の構築が目論まれています」。既に2020年10月1日から運用が開始されています>と書きました。現在の日本政府は、アメリカの言いなりになって、アメリカとの軍事同盟を強化して日本の安全保障を考えているようですが、それは危険な戦争への道に踏み込もうとしていることに気づいて欲しいと思います。日本政府は非現実と思っているかもしれませんが、憲法第9条による平和外交こそ、戦争を避けることのできる現実的な道ではないでしょうか。
  • 28日(日)はスタンディングの後、午後2時から蒔田教会の礼拝堂で行なわれた教区の教職研修会「教区寿地区活動の初めと今」に、私も発題者の一人になっていましたので、船越教会に帰らずに直接蒔田教会に行きました。蒔田教会には早めに着いて、教職研修委員の方が一人だけいて、私が最初の出席者でした。この日のメインの発題者はOさんと言う方で、1981年から1996年まで寿生活環4階職員の経験もあり、教区の寿地区活動の最初の頃にお世話になった方です。現在寿歴史研究会事務局長もされており、2022年に社会評論社から出版された『横浜寿町地域活動の社会史』上下にも深く関わっている方です。しばらくは寿を離れていたようですが、最近また寿で活動しているそうです。Oさんは、教区の寿地区活動40年の歴史の振り返りと最近の寿の状況について発題してくれました。私はOさんの発題を補足して、寿地区センターの活動を中心に話しました。Oさんの発題で私が教えられたのは、最近の寿地区の状況の中で特に、寿地区を「課題先進地区(高齢化・単身・困窮)」として捉えている点です。「寿地区の問題は、寿地区内で問題が発生しているのではなく、日本株式会社・日本的村社会の中で発生している」。「寿地区は10年、20年先の日本社会の課題・姿を先取りしている町」、「従い寿町に住んでいる人々の一人ひとりの『生きにくさ』の課題にとりあえずどうするかと云うこと、寿町の人々は、疎遠な人間関係、人間不信、孤立・死後の不安、社会的役割の欠如、劣悪な居住空間で、信頼障害(=人には頼れない)に陥っているので、『自己肯定感と社会的役割』をどう取り戻すか、が課題」とOさんは言っています。そして現在寿町の中にある一軒のドヤを、入居者・地域住民の生きがい創生をサポートする複合移設にする試みに取り組んでいるとのことでした。寿地区センターのこれからを考える上でも、Oさんの発題は大変参考になりました。この日の研修会の参加は18名ということでした。研修会は午後4時に終わり、その後私は鶴巻に帰り、マンションには午後6時過ぎに着きました。この週末は娘も鶴巻に来ませんでしたので、この日は独りで食事をし、早めに就寝しました。
  • 30日(火)は午前中マンションの下水道のメンテナンスがあり、それに対応した後、一回目の食事をしてから、厚木図書館に行きました。図書館地下1階の新聞閲覧室で神奈川新聞の2023年12月分のファイルを借り、12月15日の記事「時代の正体~自衛隊考~」をコピーさせてもらいました。基地小通信第2号に掲載するためです。
  • 2月1日(木)は何時ものように午前11時半少し前にマンションを出て、小田急鶴巻温泉駅から代々木上原経由地下鉄南北線国会議事堂前駅で降り、参議院議員会館前の辺野古新基地建設反対の座り込みに行きました。この日は比較的暖かでしたが、突風が時々吹くので、その都度大きな横断幕が飛ばされそうになりました。そこで途中から突風が吹き込む方の横断幕の端に私が立って体で横断幕の端を押さえていました。この日も通行人は多くありませんでしたが、それでも何人かの通行人が壁に貼ったアッピールを見て、カンパをしてくださった方がありました。また、別の集会に参加した顔見知りの方が声をかけて下さったり、座り込み終了間際には、同じく別の集会に出ていた顔見知りの方が温かな缶コーヒーを、この日座り込んでいた4人に買ってきて下さり、それを飲んだら冷えた体が内から温まりました。