なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

癒し

横浜でも冬場の太陽の光と春の日差しの感じが違う。春の陽光は明るく暖かい。秋の透明な光とも違う。春のもやっとした空気を通り抜けてくる光は、鋭くもなく厳しくもない。暑くも冷たくもない。やわらかく包み込み、冬の間に冷え切った体を温めてくれるようだ。

私は季節としては秋が好きだが、春もまんざらでもない。

昨日鎌倉の稲村ガ崎にある経費有料老人ホームに聖書のお話をしに行って来た。隔月に一回私が責任をもっている集会である。今回は、マルコによる福音書5章25節以下の12年間出血の止まらない女の話を扱った。その話の前後には、ヤイロという会堂長の病気で死にそうな12歳の幼い娘の話が記されている。

12年間出血の止まらない女は、群集の中に紛れ込んでイエスの衣に触った。すると女は長年苦しんできた自分の病気が治ったのを感じた。イエスもまた、誰に衣を触られたのか分からなかったが、自分から力が出て行ったことを感じた。そういう話である。一種の奇跡物語である。12年間に全財産を自分の病気のために使い果たし、にっちもさっちもいかなかった女の必死の行為に、誰とも分からずに応えているイエスがそこにはいる。

一方ヤイロの幼い娘の場合は、父親であるヤイロの願いに応えて、イエスは自分から行動する。娘さんは死にましたというヤイロの家から来た人々の知らせをさえぎって、「恐れることはない。ただ信じなさい。」と言って、ヤイロの家の中に自ら入り、その幼い娘を癒したのである。

人間の経験する上記の二つの話のような厳しい状況の中にも、死を命に変えるイエスの復活の力が働いていることを信じていくならば、人間の思いを越えた不思議が絶対に起こらないとは言えない。

たとえ癒しがそれぞれの肉体において起こらなかったとしても、イエスの癒しを信じている人々の中に既に癒しが生起しているのではないかと、私は思っている。