なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

まんざらでもない老い

先日私はヘルニアの手術を受けた。2月末頃から左下腹部に変調を感じ、いつも診てもらっている医者に話したら、ヘルニアではないかということで、病院を紹介してもらって手術を受けた。ヘルニアは老いの兆候とのこと。65歳という自分の年齢を改めて自覚させられた。私の所属する教会では毎月「教会だより」が発行されている。もう10年以上前の教会だよりに、教会に所属する70歳以上の方々にアンケートをとり、その集計・分析が載っている。その中に「老いるとは、どのようになることだとお考えですか」という問いに対する回答が記されている。以下それを紹介してみたい。

身体の動きが鈍くなる。記憶力の劣化。新しいことが思うように理解できない。人名がすぐ出てこない。思うように働けない。なすべきこと、してはいけないことの判断がつかなくなる時、お金の計算があやしくなってきた時などである。

また、例え健康であっても、精神的には積極性を失った時。肉体的よりも精神面の衰えの方が「老い」を感じる。歳を意識しだした時、生きてゆく自信を失った時、自分にあまくなりあまえて弱くなる時老いるのだと思います。世間が全く私を必要としなくなり、私に学ぶという意欲が失せた時だと考える。

精神は現状に不満を持たず、何事も感謝して受け入れるように心がけたいが、孤独、寂しさはいかんとも致し難く、いつの時代にも解決のむずかしい問題です。

死への準備期間。人生の終点。孤独であること。失うものが多く(身内・親戚・友人及び物質)自立することが困難になる。

自己完成に向かうようになること。若い人たちに一歩譲って、見守るようになったこと、何でも深い愛しみをもって見るようになったこと。心が平和になり、感謝の思いが強くなる。人間として成熟していくこと、このためにこころ豊かにありたい。

以上の回答を読みながら、どんなことにも共通することだが、老いにもマイナス面とプラス面があることを知らされた。以前名古屋時代に内科の医者から、老いに伴い、神経が太くなって、細い部分は無くなっていくので、いろいろなことに煩わされることなく、本当に大事なことに神経が集中していくようになるのだ、というようなことを聞いたことがある。それが本当ならば、老いへの道もまんざらでもないのだが。

ぼくも、自分の人生の残された時間がそう多くはなくなってきているので、選んで自分にとって大切と思えることに集中していきたいと思っている。