なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

イエスの喜び

みなさんは、ゴールデンウイークのお休みをどのように過ごしましたか。うれしいことや心から喜べることがありましたか。私は4月30日に足利フラワーパークというところに行ってきました。足利フラワーパークは藤の花で有名です。桜木町から約3時間電車にのってJRの両毛線富田駅から徒歩10分ほどのところにあります。まだ少し早かったようでしたが、でも大変素晴らしかったです。一番見ごろのときに、また来年行ってみたいと思って帰ってきました。

美しい花を見ることが出来るのは嬉しいことです。欲しかったおもちゃを買ってもらったとき、テストですごくいい点をとれたとき、病気だったお母さんが病気が治って元気になったとき、普段はなかなか遊べないお父さんやお母さんと連休にゆっくり遊べた時、うれしいと思うでしょう。

ではイエスさまは、どんな時うれしかったのでしょうか。またどんなことを喜ばれたのでしょうか。
エスさまは、ご自分が十字架にかかって殺される前の夜に、お弟子さんたちにご自分の気持ちや思っておられることをお話になりました。ヨハネによる福音書の14章から16章には、その時イエスさまがお弟子さんたちにお話になったことが書かれています。この箇所は、死を前にしてのお話ですので、イエスさまの告別(お別れの)説教などと言われたりしています。その中で、イエスさまは、ご自分がいつも感じていらっしゃった喜びについてもお話になりました。それは、自分のことを本当に大切にしていてくれる神さまといつもつながっていること、一つであるということです。

エスさまは、ご自分が神さまの子として、神さまから何よりも大切にされていることを知っていました。ですから、自分も何よりもその神さまに喜んでもらいたいと思って、毎日を生きました。

世の中は、神さまのことなど余り考えていません。自分のことだけを考えて、周りの人のこともほとんど考えていません。強い人間が弱い人間を痛めつけています。病気の人や苦しんでいる人は、助ける人も少なく世の中の片隅に追いやられて、希望を持てずに密かに生きています。この世の中では、神さまのみこころよりも、お金や名誉や地位のような力が巾を利かせているからです。
本当は、どんな人でも神さまによって命与えられた神さまの子どもなのに、この世の中ではそのような神さまのみこころは隠されてしまって、自分が神さまの子どもだと思える人が少ないのです。イエスさまは、そういう世の中にやってきて、神さまのみこころに従ってみんなが歩む「神の国」を宣べ伝えて、私たちに「神の国」の住人として生きる喜びを知らせてくださいました。私たちが、何よりも神さまに愛され、大切にされていることを喜び、神さまに喜んでもらうために一生懸命生きていくことができるようにと。

以上は、昨日の日曜日に「こどもと大人の合同礼拝」で私がした説教の一部です。心に深い喜びをもって日々を生き抜くことができれば幸いです。