なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

心友

ひとりの個人史は、その人が生きてきた時代と社会の刻印であると言えるでしょう。また、ひとりの人の個人史は、他者との出会いの集積と言えるかも知れません。

以前、もう大分前になりますが、日本基督教団神奈川教区にある社会福祉小委員会主催の障がい者と教会の集い」に出て、荻生田千鶴子さんの「自分史」を聞く機会に恵まれました。荻生田さんは文学座の女優で、自動車事故で首から下が麻痺し、その状態でお連れ合いに支えられて一人芝居をされている方でした。

彼女は、お話の中で彼女を温かく見守ってくれた高校時代の恩師に触れ、その関連で「心友」(「親友」からつくった造語)ということを語られました。恩師が彼女を自分の子供のように長い目で見てくれたことが、どんなに彼女の力になったかという貴重な体験を踏まえて、彼女は、他者をもう一人の自分と思うことを「心友」といいました。

彼女が不自由なからだをかかえて一人芝居に打ち込めるようになったのも、彼女の周りに多くの心友がいたからでしょう。

自己中心的な私たちは、他者を自分自身のように思うことの難しさにいつもぶつかります。そしてその厚い壁の前に孤独な者として佇むのです。けれども、そういう壁が破られて、お互いに相手を自分自身のように思える心友に支えられてそれぞれが生き得たら、その生それ自身が価値ある輝きを帯びるのではないでしょうか。

そんな生を日々生き得たら、私たちは何と幸いなことでしょうか。たとえ今日という日が、この地上の最後の日であったとしてもです。