父北村雨垂とその作品(166)
2月11日には、2・11集会として神奈川教区西湘南地区が行った「死者との向きあい方が戦争をつくる~
カトリック教会と靖国問題~」と題した浜崎眞実神父の講演を聞きにいきました。二宮教会で行われまし
たが、神奈川教区の諸地区で行われる2・11集会の中では、今私が週の前半にいる鶴巻温泉駅からする
と、小田急で小田原に出て、JRで二宮まで行くのが一番近いように思えたからです。浜崎神父のお話
は、殉教者をカトリック教会が列福式を行って死者を顕彰することは、靖国の英霊に通底し、そのような
カトリック信仰は皇国思想と共通するものをもっているのではないかという趣旨でした。私自身も70年代
以来、キリスト教のイデオロギー批判という切り口から自らの教会での営みを続けていますが、カトリッ
ク教会にも同じような方がいらっしゃるのを知って、キリスト教の持つイデオロギー性をその内部から問
題にしていく人が、どの宗派にもいるのかもしれないと思わされました。
今日は「父北村雨垂とその作品(166)」を掲載します。
父北村雨垂とその作品(166)
原稿日記「四季・第一號」から(その4)
吾々の即ち各々の個体は同時に精神即ち心であり、個体と心とは一体であり、個体即ち身体と精神詳し
く云えば身体なる肉体と精神即ち心との同時存在と云う構成による存在なる生命態としての個体である。
この生きている存在なる個体としての身体は正に肉体と心なる構造による型態であってそれ以外の何物で
もない。
肉体と精神はあたかも一枚の表裏の様な分離し難い構造をもつものでこれの離別は直ちに死を意味し、
人間なる稱呼は失われ個体ではなく個物となる。而してその個体の客観面が肉体で即ち身体であり、主観
面が精神即ち心である。言葉を換えて云えば、表面が客観面即肉体であり、裏面が主観面即ち精神面とな
る。この型態のものが個即ち身体とも云ひ人間とも云うことになる。
禅学に於いて修養を重視するそれはこの表面なる客体客観面から裏面なる主観面即精神を沈黙せしめる
ことで、その実践が修養即行が要請されることになる。
またこの主観面がフッサール曰うところの「ノエマ」であり、その主体なるノエマの自己分裂による
「ノエシス」がその主体なる「ノエマ」を客観する即ち客体視している様に個体即ち肉体から精神面即ち
心を攻撃する即ち分裂をもたらす『行』が即ち禅学に於いて主張するところの修養であり、これ極まって
『行』となる。今一度言葉を換えて云えば、ノエマの自己分裂による実践が修養となり、『行』が禅学す
るものの主目的となる訳である。
雨垂考 1982年(昭和57年10月31日
註:私雨垂がここで使用した言葉「攻撃」と表現したそれは、即ちノエマから分裂自壊によるノエシス
がその基本態であるノエマの残る部分であるノエマを攻撃して沈黙せしめると云う禅学が最も重要視する
静座による沈思、黙想のことと考えていただければそれに近いと表白する。但し、この沈思、黙想は単な
る「靜」ではなく「動」を含む力即ち「働き」を内包するところの靜であることを老姿(老子?)の言葉
として付け加えておく。
雨垂 1982年(昭和57年)11月2日
秋野孝道師がその著『禅の骨髄に於いて「慮陵の米作麼(べいそも)の価(あたい)ぞ」と云う言葉がある
が、この作麼の値がよい、禅と云うはこの「作麼の値」を名づけたものである一切万有は値有りて値がな
い何物を粘じきたるも皆この作麼の価ならざるは塵一本もない』と云って、例に火と水を採ってその功罪
を粘じて証明している(同書127頁)(大正4年4月5日原本発行。現在KK国書刊行会発行)また中央公論
社発行の中公バックス世界の名著18、『禅語録』に於いてその責任編集者柳田聖山氏が同著332頁に於
いて「普通人は価値づけの領域に生きている。そんな生き方の全体が根底から嫌気のさしはじめる時が禅
の入路である。しかし危険なのは禅の世界を価値の彼方に措定することである。それはまだ価値の領域に
いる証拠である。洞山は疎山を価値づけの領域から引きだそうとする」と眞の禅者洞山の意識を指摘して
いる。この二師の境地に吾人は禅の本態とも云うべきものを意識することを改めて告白する。重ねて曰う
がこう両者の言に禅の眞の正体なる「禅の骨子」を観る想ひがする。
1982年(昭和57年)11月4日、雨垂追記
中公バックス18『禅語録』は昭和53年8月初版発行となっている。
前述を再び追記すれば、結局価値づけ出来るものと錯(あや)まって価値づけして「迷い」が生成する。
万有は即ち現象の種々相であり、その種々相に錯(あや)まって価値づけるところに迷ひの根源が在ると云
うことになると考えられる。
1982年(昭和57年)11月4日、雨垂
万有とは現象的世界像の総てであり、人生もこの世界を脱出すると云うことはハイディッガーの指摘す
る「世界内存在」者の超世界的意識による思惟の問題である。
1982年(昭和57年)11月5日、雨垂
禅者は虚無思想と実存思想の複数の思潮に生きる存在であってこの二つの思想の同行者と云うことであ
る。
雨垂考、1982年(昭和57年)11月5日