今日は「父北村雨垂とその作品(177)」を掲載します。
父北村雨垂とその作品(177)
原稿日記「四季・第一號」から(その15)
同じく競技と云っても相撲は個的競技であり動物的であるが、野球は共時的であり市民的民族的面を表
に現わしているところに住もうとは別な味がある。この両者の差別を明らめて(明らかにして?)から観
戦するのでなければ、ほんとうの意味の観戦者とは云ひ得ない。
1983年(昭和58年)7月17日
現象学として精神現象を提唱したヘーゲルや物の根元に觸れようとしたフッサールやその後継者とも云
われたハイデッガーやサルトルに亦カントやスペンサーなどなど西欧の哲学者は私の観るところその殆ど
がミクロ的世界からマクロの世界えと究明が進められて来たが、禅者殊に中国を中心とする禅学に於いて
は端的直裁にマクロの世界現象からミクロの個的世界えと観入した様に考えられる。そうしてマクロの世
界に平等を把握しミクロの世界に差別を把えてミクロからマクロの世界えの回帰を把握することを行(ぎ
ょう)によって修し「悟り」の王道えと追跡した。そこに東洋と西欧の思想との矛盾が明らかに観られる
と私は考えざるを得ない。
これは現象学的哲学がミクロからマクロの世界組織えと究明の道を歩ゆんだのと禅者のマクロの世界か
らミクロの世界を探求した道程が程遠い隔たりが観ぜられるのである。精神と云う同じレンズを持ちなが
ら西欧は顕微鏡によって基体を求めたと考えられるがそれはそれで立派に役たった世界が在る事を認める
ことにやぶさかではないが、而し廣く天体の世界は望み得べき容器とは成り得なかったことは眞に考える
迄もないことである。同じレンズと云っても顕微鏡と望遠鏡をの用途の差が余りにも縁遠いものの感を持
つのは私ばかりの目の働きではあるまいと、これは余り適切な判断では無いと云われるかも知れないが、
念の為にここに記す次第である。
1983年(昭和58年)7月28日 雨
注意:この稿は原稿から除外された部分がある故に再審を要す。
言葉は神と共に在ったと云うがそして神であるとも云っているが、その言葉は今日殆んどが化石化し
ているしそれが活字化されて紙上に無機的に配列さているに過ぎない。とこれは少し行き過ぎた批判かも
知れないがそれでも確かにそれに近づいている事実は否定する訳にはゆかないであらう。中国の名ある禅
者が頻繁に俗語を駆使した理由は少なくとも私には理解出来ることを告白して置こう。即ち問われれば直
ちに斯う答えることが出来る。
「俗語こそ生き生きとした人間の伝達に適った表現で有る」と。
1983年(昭和58年8月1日
禅者洞山の有名な「麻三斤」は多くの難解とする禅家を生んだが私は「独善的かも知れないが」洞山の
その時、即銭提げた手許の麻三斤によって洞山と三斤の麻その外周囲の境に包容された世界即ち平等と個
即差別の弁証法的表徴を指示した洞山のとっさの解答と観たがどうか。洞山はおそらくその時洞山の開悟
した河の流れに写った洞山の境を深く深く想い起こして居たことであらう。
1983年(昭和58年)8月2日
(以下は前にも出て来たものと記憶しているが、再録しておく)
詩
十字架のキリストには確かに臍があった。
神が人間マリアの腹に預(あず)けたからであらう。
ストリーから跳び出た石鹸(シャボン)玉(ダマ)には
それぞれが虹(にじ)と臍を踊らせていた
ストローは神の子のように
純すいな口唇(くちびる)に人間の匂(にお)ひを宿していた。
1983年(昭和58年)8月5日