なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(190)復刻版

 昨夜は紅葉坂教会でK.N.さんの前夜式が行われ、私も連れ合いも参列しました。この方の兄弟姉妹

は10人で、私が紅葉坂教会の牧師をしていたときには、12年くらいは、10人の方がみな元気でした。女性

6人男性4人の10人です。確か婦人の友のシニア版に紹介されたこともあったように思います。私の在任時

代の終わりごろに、一番若い4番目の男性が70過ぎで帰天しました。その後1番目の男性が、お連れ合いを

天上に送って、半年後位に帰天しました。このお二人は私が葬儀式の司式をしました。私が紅葉坂教会を

去ってから、一番上の女性が帰天し、2番目の男性が帰天し、そして今回3番目の女性であるK.N.さん

が93歳で帰天されました。現在2番目の女性は介護ホームに、4番目の女性も病気療養中ですので、前夜式

には10人の中の、3番目の男性、5番目、6番目の女性がいらっしゃっていました。K.N.さんは独身を

貫きましたので、3番目の男性が、いわゆる喪主のような役割を担っておられました。

 K.N.さんをはじめこのご家族とは、私たち夫婦は青年時代から交わりを与えられていましたし、特

にK.N.さんは熱心な信仰者で、私たちもいろいろとお世話になった方でした。

 K.N.さんとご遺族の上に主にある平安と慰めをお祈りいたします。


 今日は「黙想と祈りの夕べ通信(190)」復刻版を掲載します。下記の中にでてくる、小学校に入学

したTくんは、この4月から高校3年生、Hくんは大学4年生になります。



         黙想と祈りの夕べ通信(190[-33]2003.5.18発行)復刻版

 今日は教会のピクニックが行われました。礼拝は教会創立110周年の記念礼拝で、礼拝の中で過去一年

間に召された7名の方々とご遺族の方々を覚えて永眠者追悼祈祷がありました。その後礼拝堂で記念写真

をとりましたので、教会ピクニックに出かけたのは12時半近くになってしまいました。場所は昨年同様野

毛山ですが、今年は動物園がメインでした。私にとりましては久しぶりの動物園でしたので、子どもたち

と楽しく回ることができました。今年のゲームはグループに分かれて、それぞれ動物園の動物を絵で描

き、それにグループでネーミングし、終わった後で発表し合うというものでした。例年のオリエンテーリ

ングほど盛り上がりませんでしたが、順位に関係なくのんびりとした時間を過ごすことができ、今年のよ

うな形もいいなあーと思いました。さて、動物園に入る前に、近くに佐久間象山の史跡のある野毛山公園

で昼食をいただきました。敷物の上でHさん家族4名が仲良くお昼をしている風景がほほえましくありま

した。声をかけて、Tくん、Hちゃん大きくなったね、と言いましたら、お母さんのYさんが小学校と幼

稚園に今年入りました、とうれしそうに答えてくれました。イラク戦争がはじめとして、日本社会の不景

気によるリストラなど問題に満ちている現在ですが、一つの家族の幸せそうな姿から、そこに人間として

の原点があるように思え、この家屋の平和が乱されないようにと祈る思いを持ちました。

 上記の私の発言に続いて、一人の方からの発言がありました。二つ話したい。一つは、5月5日にノース

ドックを見る会に参加した。沖縄の基地を見学してきた昨年の夏以来、ノースドックに着岸する米軍の船

が気になり、ときどきみなと未来から様子を見る様にしてきた。今回船からノースドックを見ることが出

来てよかった。紅葉坂教会から8名が参加した。その後その中の一人の方から、7月に婦人会でノースドッ

クについて学びたいという電話があった。今まで自分一人でノースドックを見ていたので、うれしかっ

た。その方から電話があった直後、たまたま横浜キリスト教書店に来られたK教会のK牧師がお茶を飲み

に寄られた。K牧師にその話をしたら、私も調べてあげると言ってくれた。もう一つは、教会のピクニッ

クでのことである。一億円という一万円札の絵が表面になっている大きなガムをめぐって、参加者全員が

くじで当たりと包装紙に書かれた飴を引き合った。当りを引き当てた数名がジャンケンをし、その内で勝

ち残った一人が大きなガムがもらえるというゲームのような遊びである。その後最後まで勝ち残った一人

にHくんがなった。以前だったら、独り占めにしたかもしれないが、Hくんはそのガムをちぎってみんな

に分けていた。人は大きな恵みをもらったときに、それをみんあに分け与えたいと思うのだろうか。ガム

をみんなで分け与えているHくんの姿から、そんなことを思い巡らしていた。

 110周年という区切りの年は、私にとって牧師として3期目の最初の年に当たります。紅葉坂教会の牧師

になって9年目です。記念写真を撮るとき、後ろの方にいましたら、後で110周年の記念写真を見て、牧師

が誰だか分からないといけないからと最前列の真ん中に座ることになってしまいました。この110周年を

共有しています皆さんと共に、今ここで、イエスの福音の命にふさわしい紅葉坂教会を建てていきたいと

願います。


         「神に呼ばわれ」(『ルターによる日々のみことば』より)

 主はあなたの呼ばわる声を聞かれるとき、直ちに答えられる。 イザヤ30:19

 あなたがたは祈ることを学ばなければなりません。ひとりすわったままでいたり、横たわって、頭を振

ったり、うなだれたりしながら、いろんな思いをそだてあげ、どうすればのがれることができるかと思い

わずらい、自分自身と悲しみと痛みの状態だけを見つめていてはなりません。立ち上がりなさい、なまけ

ものよ。そしてひざまずき、目と手を天にむかってあげ、詩篇か主の祈りをとり上げ、涙をもって神のみ

まえにあなたの悩みを注ぎだし、神にむかって叫び呼ばわりなさい。詩篇142篇、「わたしはみまえにわ

が嘆きを注ぎだし、みまえにささげる薫香のようにみなしてください」。手を上げて祈り、悩みをうちあ

けることは、神のもっとも喜ばれるいけにえです。悩みをすべて主のみまえに注ぎ出すことは神のみ旨で

あり、望まれるところです。悩みを自分の上に背負って、それをいつも持ち歩き、それによっていらいら

したり、苦しめられたりし、ついにはひとつの悩みから、2倍、10倍、いや、100倍もの悩みをつくりだす

ことは、決して神のみこころではありません。主は、あなたがたがあまりにも弱くて、このような悩みに

打ち勝つことができず、負ってゆくこともできないことを望んでおられます。それは、あなたがたが主の

中に力を見いだすことを学び、あなたがたのうちに主の力がみたされることによって、主がたたえられる

ためです。このようにしてキリスト者がつくられていくことはなんとすばらしいことでしょうか。

                                 詩篇118篇の講解