・ 今日テレビでお年寄りの虐待が報じられていた。その理由は、お年寄りの年金を当てにする子どもからの虐待だという。
・ 私は前々からこういうことが起こりえるのではないかと、密かに暗い予感を持っていた。良い悪いということであれば、子どもによる年老いた親の虐待は悪いに決まっている。だが、お年寄りの年金を当てにしなければ、生活できない子どもたちが多いという現実があることも事実であろう。単なる道徳的判断だけでは、このお年寄りの虐待という現実を変えることはできないのではないか。
私の3人の子どもたちもみな30代になっているが、安定した企業に勤めているのでもなく、公務員でもないので、一応自分で何とか生活はしているが、親のすねをかじっているところもあって、今後どうなっていくのか不安が無いわけではない。ただ自分の子どもたちが将来年取ったぼくら夫婦を虐待するとは思えないが・・・。
自給自足ができない都市生活者には、お金が何よりの頼りである。お金がなくなると、本当に生きていけなくなってします。それこそホームレスにならざるを得ない。ホームレスの問題に多少関わっている者として、今の日本社会では誰がホームレスになっても不思議でない不安定さが際立っているように思われる。
ホームレスは少しくたびれたおっちゃんという時代はもう過ぎて、今は女性や若者のホームレスもぼつぼつ出てきているのだ。
衣食住という生存の基本的な条件が誰にでも満たされる社会が理想だが、今日の日本社会のような豊かな社会の中に食べられない人が出てしまうのは、分配の公平さが欠けているからであろう。
今日から寿では毎週金曜日に炊き出しが行われる。炊き出しをしなくてもよい社会を願いながらの炊き出しだが、現実は至る所に炊き出しが必要な社会になっているのかも知れない。
こういう日本の格差社会が何故生まれるのかよく考え、分かち合いの社会をどうしたら創造できるか、想像力を働かせて、諦めないで生きていきたいものである。