なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

高齢者の命の尊厳

命の尊厳ということが言われますが、命の尊厳ってどういうことなのでしょうか。

私が牧師をしている教会で一番の高齢者は106歳のKさんです。Kさんは、今は病院に入院していますが、しばらく前までは介護ホームで生活していました。100歳の誕生祝いの写真も介護ホームで写していますから、Kさんは確か98歳くらいに介護ホームに入居したように思います。
Kさんは今年の9月末ごろに食事が口からは取れなくなり、熱もあり、ホームの近くの病院に入院しました。Kさんをお世話しているのは甥と姪に当たる二人の方です。お二人は病院に入院した時に、イロウをすることをすすめられたそうですが、医師には延命処置はしないでくださいとお願いしたそうです。その直後、姪の方から私に電話があり、Kさんの状態を知らせてくれました。その時はもう長くはないかも知れないと言われました。
電話をいただいてから数日後に、私はKさんを入院している病院に見舞いました。予想していたよりも、顔もふっくらとしていて、つやも良く、声をかけても目を覚ましませんでしたが、「もう長くはないかも知れない」とは思えませんでした。

それからしばらくしてから、姪の方から電話をいただきました。Kさんに反応があるので、医師には延命はしないでと言ったが、兄(Kさんの甥)とも相談してイロウの処置をしてもらうことにしたというのです。
私は一昨日午後にKさんを病院に見舞ってきました。ベット脇の台の上には太いビニール管のメガホンのようなものがありました。面会者がそのメガホンの口から、Kさんの右耳に出口を当てて話すようになっていました。
やってみると、Kさんが目を開け、ニコニコして、私であることがわかったようです。そんなKさんの姿は久しぶりです。クリスマスの賛美歌を2,3曲歌って祈って帰ってきました。
甥や姪の方が、Kさんの反応を見て、イローの処置を医師にお願いしてくれたお蔭で、またKさんの笑顔を見ることができました。

みんながみんな同じようにというわけにはいきませんが、老いの方の尊厳とその命が大切にされるということはどういうことなのか、Kさんからいろいろ教えられています。
言葉で命の尊厳と言っても、具体的にどういう場合に命の尊厳が守られていると言えるのでしょうか。マニュアルのない答えを、私たちは自分で精一杯出していく以外にないのかもしれません。