なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

朝ドラのセリフから

昨日、NHKの朝ドラで大変重要なことがいくつか、ドラマの人物のセリフの中にありました。

ひとつは、自分の中にあるいやらしさ(キリスト教的には「罪」でしょうか?)ときちっと向かい合うことによって、人に優しくなれる。それがきちっとできたら、次に相手ときちっと向かい合うことだ、というセリフです。

これは私たちが生きていくときに、誰もが必ず直面する課題の三つの内の二つについて言及されているものではないかと思います。最初の「自分と向かい合う」ということは、私たちが個として生きる者として、誰も中にある自分の自分との関係という問題です(「自己幻想」と言われたりしています)。

若い時には、私の中にも自分との折り合いがつかないことが多多あり、自己嫌悪に陥ることがしばしばありました。自分が分からないというか、自分を持て余すというか、自分の中に別人が住んでいるようで居心地が悪いという感じをもっていました。

私にとっては、高校3年のクリスマスに洗礼を受けて、ずっと日曜日の礼拝を中心に教会との関わりをもってきましたから、聖書や教会で与えられたものとの出会いによって、時間をかけて自分の自分との関係の問題を考え続けてきました。

今はもう66歳になりましたので、若いときと比べたら、相当自分にこだわらないで生きられるようになったと思っています。それは、単なる加齢によるエネルギーの減退によるのかも知れませんが・・・・。

二つ目の「相手ときちっと向かい合う」ということも、私たちが生きていく上で欠かせない大切な課題です。相手は誰でもいいのですが、1対1の関係です(対幻想と言われたりしています)。恋人であったり、妻であったり、夫であったり、子どもであったり、父親であったり、母親であったり、友人であったり、同僚であったりしますが・・・・。

私にとって、これは今でも大きな課題であり、きちっと向かい合うことを避けて、やり過ごしていることが多いように思います。夫婦の関係については、若いときと比べたら、ずっと向かい合っていると思いますが・・・・。

向かい合うということは、依存関係とは違いますから、対等な関係を前提として、相手とどこまで理解し合える関係を築けるかということです。しばらく前の時代の儒教的な人間関係は、上下関係を前提にした和が大事にされていましたので、対等な人間関係による相互理解というよりも、目上の意見に不服があっても従うということではなかったかと思います。

この1対1の関係は、幼い子どもでも、老いた方でも、男でも女でも、マイノリティーの方でも、どこの国や民族に所属していても、個の尊厳が前提になりますから、まだまだ私たちの日本社会は封建的な遺制が残存しているところがありますので、その前提が保証されていないところがあり、課題の多い領域ではないかと思います。

親の子殺し、子の親殺しという事件は、この辺の問題からきているのではないでしょうか。

ドラマのセリフには出ていませんでしたが、三つ目は3人以上の関係の問題です(共同幻想と言われたりします)。政治や社会の問題はこの領域の問題が多いわけですが、今日はこれで終わりたいと思います。では又。