なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

自立ということ その2

確か、羽仁もと子さんの全国友の会のモットーは、「思想しつつ、生活しつつ、祈りつつ」ではなかったかと思います。友の会では、多分家庭という場での女性の自立ということで、因習にとらわれない合理的な家庭の設計ということがめざされているのだろうと思います。時々これで挫折したという方がいらっしゃいますが、「家計簿講習」などもその一環ではないかと思います。中には生活の合理性だけがきわだって、思想しつつ、祈りつつが欠けているのではないかと自省される友の会の会員もいらっしゃいます。

私は教会では「共生と自立」ということを、もう大分前(1983年ごろから)かた言ってきました。なかなか理解はされないのですが。
この考え方は私が考えたというよりも、名古屋の教会で働いていた時に仲間と教会をどう形成していくのかを考える中で、「自立と共生の場としての教会」として教会を聖書の使信による人間の共生と自立の場と捉えたのです。
というのは、その時の私たちが感じていたのは、教会には逆に人間の自立と共生を疎外するところがあって、信仰の自己満足が人間を呪縛し、結果的に現実の社会を補完しているのではないかという問題意識があったからです。
私がいう自立のイメージは、友の会のモットーに近いのですが、それぞれの私という個が自分の置かれた場で「思想しつつ、祈りつつ、生きる」というほどのものです。思想しつつということの中には、自分で聖書と格闘するというキリスト者としての基本的な課題があるでしょう。祈りつつということの中には、主の祈りを日々祈っている者として主の祈りを生きるという課題があるでしょう。

聖書と他者の言葉に耳を傾けつつ、自分で考え、祈り、神のみ心がなるようにと、その人に与えられた場で他者との関わりを大切にして生きることが、私の「自立」という言葉に込められた思いです。