昨日は船越教会のシャワーの会という、路上生活者のパトロールに朝から出かけました。このシャワー
の会は、会の名称からして、元来は路上生活者の方々を船越教会に来てもらって、シャワ―を使い、昼食
を共にする会として行っていましたが、ある時期から、路上生活者が教会まで足を運ぶことが難しくな
り、現在の様なパトロールを月一回行うようになっています。今回は横須賀の高校に通う高校生が社会経
験の一つとして参加したいというので、午前8時10分に京急田浦駅で彼と待ち合わせして、駅から少し歩
いた東芝の工場前で船越教会員のSさんが運転する軽自動車に分乗して、パトロールに向かいました。途
中でいつも一緒しているKさんを乗せて4人で、久里浜近辺から海側の公園を廻って、横須賀中央近辺を
パトロールしました。巡回する場所に行くと、誰かひとり自動車に残って、3人で回ります。今回出会え
た方は5人で、船越教会の方が朝作ってくれたお握りを渡して、体の具合などを伺って、パトロールを終
えました。12時半ごろ京急横須賀中央駅前で私と高校生は降りて、散会しました。
私はその後、京急日ノ出町駅で降りて、所用を済ませ、鶴巻に帰りました。8月18日の日曜日から、神
奈川教区福祉小委員会主催の「障がい者と教会の集い」(18日~19日)、フェミニスト神学の会(23日~
24日)、私の裁判支援会発送作業(25日、26日)そしてシャワーの会 (27日)と、集会や作業が連続して
いましたので、さすがに昨日は鶴巻に帰ったら、そのままぐったりしてしまいました。今日一日休んで、
また明日から船越教会に行きます。
さて、今日は「黙想と祈りの夕べ通信(247)」復刻版を掲載します。下記に記してあります川崎I
教会でのお話が、私の『自立と共生の場としての教会』の第2章「教会ってなあに?」の部分です。
黙想と祈りの夕べ通信(247[-38]2004・6.20発行)復刻版
去る日曜日は川崎I教会で礼拝説教と研修会の話を頼まれてその責任を果たしてきました。前以て研修
委員の方からは、「私達がめざすべき我が国の現代教会のあり方を聖書に聞きたい」という要望が寄せら
れていましたが、そんな大それた話は私には無理ですので、研修会では「福音(解放)の出来事としての
教会」という題で、紅葉坂教会で宣教方針として掲げています「共生(と自立)の場としての教会」を多
少アレンジしてお話させてもらいました。大体「教会とは」というテーマで話される内容は、神学的な教
会論ではないかと思います。キリスト教の信条では「一つなる、聖なる、公同の、使徒的教会」とい言い
方で教会を定義してきました。或いはカルヴァンは「神の言葉が説教されることとサクラメントが正しく
執行されること」を真の教会の標識としました。私は信仰による共生と自立を促す人間集団としての教会
という切り口から教会について考えたいと思っていますので、そのような話をしました。研修会では私の
話に対する率直な反応が返ってきました。まず若い方が、信徒が週2日働いて生活ができるようになれ
ば、現在の教会で教職が果たしている役割は信徒だけで果たすことができるようになるかも知れないの
で、教職は教会にとって絶対的な存在ではなく、過渡的な存在であるという私の発言に対して、感想とし
てああそうかと思えたという発言がありました。それとは対照的にやはり教職は信徒とは違う神に立てら
れた特別な存在だという意見もありました。また、教会についていろいろとお話を聞いたことがあるが、
今日のお話は身近に聞けたという発言もありました。また、私が神関係を人間関係に還元して話したこと
に対しては、神讃美に結実するのが教会ではないかという意見もありました。その他贖罪論や聖餐につい
ても活発な質問があり、私にとりましては楽しい時を与えられて感謝でした。
以上の私の発言に続いて、一人の方からの発言がありました。最近発行された当教会の教会だより写
真号に自分の顔写真が三つも載っている。見るに耐えない。婦人会、もみじの会、日曜学校スタッフに。
それぞれ役割を与えられて、自分としても受けた働きである。その他にも以前から関わっていた障害児支
援グループがNPO法人になり、その理事にも名を連ねている。神奈川教区では性差別問題特別委員会の委
員にもなった。大きなうねりを起こす会の一員でもある。急にいろいろな課題が自分に迫ってきて、自分
のエネルギーを分散せざるを得なくなり、そのこと自身いいことだとは思っていない。けれども、それぞ
れの働きの中で与えられる知恵があり、一つのところで与えられた知恵が別のところで生かされるという
経験をさせてもらっていることを実感させられている。このことは感謝である。ただ教会だよりにいくつ
も顔が出ることはよくない。みんなで分担できれば、よいに決まっている。それぞれの与えられた課題を
担い、それをプラスにしていけたらと願っている。