なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

2050年ごろの世界

私は橋爪大三郎が書いたものを好んで読んでいます。最近90年代半ばに単行本として出版された『橋爪大三郎社会学講義』が出版社の倒産で絶版となっていたのが、ちくま学芸文庫に形を変えて入っていることを知って、買い求めて読んでみました。橋爪のキリスト教を含めた諸宗教への理解は相当のものだと思っていますが、この本の中にも考えさせられる指摘がありました。少し引用してみます。
 
「宗教によって人は癒されか? それは宗教が、何を約束するかによる。先進国の気弱な若者たちが、気の迷いですがりつくタイプの宗教など、私にはどうでもよい。私が興味があるのは、人口爆発に苦しむ地球で、軽すぎる生命にまっとうな意味を与えるため、必死で編み出される宗教だ。想像するのさえむずかしい苛酷な状況で、なお人間の尊厳をかちえようとする行為。それを宗教が可能にするなら、宗教は人を癒すと言っていいのかもしれない」(253-254頁)。
 
キリスト教に限って言えば、確実にアフリカのキリスト教が盛んになっているようです。2050年頃には地球の人口が約100億人になり、食糧不足が深刻になる。市場経済はグローバルになったが、国民国家の枠組みが取り払われない限り、現在豊かな先進国に冨がますます集中し、人口の増加が激しい発展途上国はますます貧しくなっていくに違いない。そういう貧しい人々の中で宗教が力を発揮し、場合によっては宗教的信念に裏付けられたテロリストの活動が激化するかもしれない。
 
橋爪はそのように2050年頃の地球の姿を想像しているのです。地球という舟に乗り合っている私たちにとって、橋爪が想像する2,050年頃の、豊かな北の世界と貧困にあえぐ南の世界の格差の広がりではなく、南北問題の克服をどのように実現することができるかが、これからの大きな課題だと思います。