なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

マルコ福音書による説教ー2

「神の心に適う者」申命記6:4-9、マルコ1:9-13、
 
  今日はバプテスマのヨハネからイエスが洗礼を受けた記事から学びたいと思います。9節に「その頃イエスガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川ヨハネから洗礼を受けられた」とあります。
  これはイエスが公然と人々の中に自らを現わした最初の出来事です。それまでのイエスは、ナザレの村で家族と共にごく平凡なユダヤ人の貧しい民衆の一人として生活していたと思われます。なぜそういう生活を断ち切って、バプテスマのヨハネのもとにやってきたのでしょうか。
  バプテスマのヨハネの洗礼は「罪の赦しを得させる悔い改め」のバプテスマでありました。それは、神の到来への準備ということでした。神の到来によってこの世は終わり、神の国になる。神の国に入るためには心を入れ替えて「罪の赦しを得させる悔い改めのバプテスマ」が必要だ、とヨハネは人々に訴えたのでしょう。
  ユダヤの民衆は、神の到来というメッセージに敏感でした。預言者の時代から「主の日(神の到来)がいつやってくるかわからないが、その時に備えて生きよ」というメッセージが繰り返し語られていたからです。民衆の中にも自分たちは神との契約に生きる民であるという信仰が強くありました。王が神との契約を破って、強国の傀儡になって、異教の神々を受け入れ、イスラエルの神ヤハウェをないがしろにするようになると、必ず預言者が現れ、王を批判し民衆に悔い改めを迫りました。イスラエルの神ヤハウェとの契約、神のみを神とし、そのひとりの神ヤハウェのもとで己のごとく隣人を愛する民としてこの世を生きる、イスラエルの民はそのような神との契約を生きる民であることを想い起させてくれたのです。
  エスの時代のユダヤの国で、この古(いにしえ)の預言者の活動を彷彿とさせるバプテスマのヨハネの洗礼運動に、ローマ帝国支配下にあって疲弊していたユダヤの民衆は、ヨハネのもとに出て行って、バプテスマを受けたのでしょう。イエスもそのような一人として生まれ故郷のナザレの村を出て、ヨハネによって洗礼を受けたと思われます。マルコはそのことを簡潔に述べています。
  マタイの方を見ますと、ヨハネからバプテスマを受けようとされるイエスヨハネ自身が思い止まらせようとしています。「わたしこそあなたからバプテムマを受けるはずですのに、あなたがわたしのところにおいでになるのですか」と、マタイ福音書の著者はヨハネをして言わしめています(3:14)。マルコはそのような説明は一切しません。いずれにしろ、イエスは自ら進んでヨハネからバプテスマを受けました。
  ヨルダン川バプテスマを施していたヨハネの下に集まってきた民衆。彼ら彼女らはどのような人々だったのでしょうか。罪を告白し、罪の赦しを得させる悔い改めのバプテスマを受け、救い主のあらわれを待っていました。そのようなヨハネと彼の下に集まった民衆は、当時のユダヤ社会の中では世の片隅にその場を占めていました。王の宮廷でもなく、エルサレムの神殿でもありません。権力や金の集中している所ではなく、また聖人君子の集まっている所でもありません。そういう世の中心と言われる所からすれば、辺境と言える所です。しかし、そこで生きる民衆には、病、生活苦、人間関係の破れ、信頼の喪失、愛の欠如、差別偏見などが覆いかぶさり、闇が深かったと思われます。彼ら・彼女らが、特に罪深かったわけではないと思いますが、神を神とも思わぬ、隣人を隣人とも思わぬ、人間の自己中心性である的外れな生を生きる人々によって生みだされる罪の現実の闇を、彼ら・彼女らがより多く、重く背負って生きなければならなかったのです。
  「悔い改めよ」というバプテスマのヨハネの叫びは、一見「繁栄し平和に見える」社会に巣食うその闇を見逃しません。彼の下に集まった人々は、多かれ少なかれその暗闇を感じて、そこから解放されたいと望んでいました。なぜなら、神が到来する時には、暗闇にある人々は、その恵みに浴することができないと考えていたからです。「悔い改めよ、…」というヨハネの叫びに、人々は神の審判が間近に迫っていることを感じ、恐れたのです。神の赦しを願い、新しい霊による生活を求めて群がっていたのであります。ヨハネの下に集まって来た人々は、当時の社会では中流以下の比較的貧しい人々であったようです。「自分の父にはアブラハムがあるなどと心の中で思っても見るな」(マタイ3:9)と、ヨハネが批判したパリサイ人、サドカイ人等のように、過去の民族的栄光に自らの誇りを置くような人々ではありませんでした。それ故ヨハネから「罪の赦にいたる悔い改めのバプテスマ」を受けて、神の将来から生きることに賭けようとした人々でした。
  エスは生まれ故郷ナザレから出てきて、そのような群れの中に身を置かれました。そして彼ら彼女らと同じようにヨハネからバプテスマを受けました。つまりイエスは完全にご自身を、ヨハネの下に集まって来た民衆と一つにされたのです。この民衆が背負っている政治的圧迫、病い、さまざまな暗さ、そして彼ら彼女らの中にある歪みを、ご自身の身に引き受けられました。飼い葉桶のイエスがわたしたち人間の貧しさ、弱さの一切をご自身の身に引き受けられましたように、ヨハネからバプテスマを受けることにより、イエスはわたしたち罪ある人類と驚くべき深さにおいて結合されたのです。
  エスは何故バプテスマのヨヘネの下に集まった民衆(中流以下の比較的貧しい)の中に身を置かれたのでしょうか。「罪人や取税人の仲間」と見られたイエス。もっと一般的にすべての階層の人々に、ということだって考えられたのではないでしょうか。しかし、人々とのそのような抽象的な形での結びつきではなく、イエスは具体性をもって、そこに生きる人々と共に立たれたのであります。それと同時に、何故ヨルダン川であって、エルサレムではなかったのでしょうか。またそれぞれの家の中ででもよかったのではないでしょうか。人々はヨルダン川に住んでいません。エルサレムの町であり、あたたかな家もある人も多かったでしょう。まずそのような日常の人々のところにイエスが来てもよかったのではないでしょうか。そのように思われるかも知れません。しかし、イエスの最初の出現は、ヨルダン川バプテスマのヨハネのところでありました。それ故、イエスの活動のはじめに出会おうと思う人は、ヨルダン川へ行かなければなりません。
  すなわち自分がいま生活している場所、いま毎日暮らしている家から離れた場所であるヨルダン川。そこにイエスがまず現われたということは、イエスは、何か人の満たされない生活を補強してくれる存在とは根本的に異なっているように思われます。いまある人々の生活を確保することよりも、そこから一歩踏み出て、神の将来から生きることに賭けようとする人々と共に立つことが求められているのではないでしょうか。イエスの最初の出現の場所は、そのようなことをわたしたちに考えさせます。
  10-11節、「水の中から上がるとすぐに、天が裂けて、霊がはとのように御自分に降って来るのを、御覧になった。すると、『あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』という声が、天から聞こえた」。
 
  エスは一方で深く人々と結合していると共に、神とも深く結合しておられます。マルコによる福音書は、詩編2:7とイザヤ書42:1との混合した旧約聖書の言葉をもって、神がどれほど真実にその愛をイエスに注ぎ、彼と結びついておられるかを表現しています。「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」であると。このイエスの受洗の出来事は、イエスがどのような方として、わたしたちの中に立ちたもうかが示されています。
  そして、12-13節の、「荒野の試み」では、マルコは、イエスの試みがどのようなものであったのかについては、全く沈黙しています。ただ試みにあわれたという事実のみが記されています。そしてその試みの場所である荒野は、そこに獣もいたが、御使いたちはイエスに仕えていた。イエスを守り、荒野も平和な場所に変えてしまう方としてイエスが描かれています。
  マルコによる福音書では、イエスの受洗と荒野の誘惑の記事において、イエスが人々の中で活動される前に、すでにイエスという方がどのような方であるかを伝えています。すなわち、イエスは人々の中にあり、(貧しい)人々を超えて神との結合にある人、それと共に荒涼とした荒野をも平和なところに変えていく人なのです。
  エス聖霊によるバプテスマを授けます。ロ-マの信徒への手紙8:15によれば、聖霊は、「人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく」、「神の子とする霊」であり、その霊によってわたしたちは「アバ、父よ」と呼ぶのである、と言われています。 天上の祝福が地上に実現されている姿が、そこにはあらわされています。
  エスはまさにそのために活動をはじめるのであります。そのイエスの活動の出発点に私たちも招かれていることを覚えたいと思います。