なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

父北村雨垂とその作品(51)

 今日は「父北村雨垂とその作品」(51)を掲載します。以下の句の中には前にも掲載したものがあるように思われますが、そのまま掲載します。 
    
   父北村雨垂とその作品(51)

 燈台

燈台はまっかに陽を浴びる非情のまま

水平線に春が来た冬が来た燈台

燈台の獨語が青空に消へた

燈台は精神年齢が若いぞ眞ひる

死のロマンスを燈台は見たが言はぬ

燈台は孤獨を吹きとばせ吠へろ

潮騒に燈台の神經が冴えた静寂

燈台は赤い神經のない秋だった


  ちまた

ふるさとをみるまなざしで空虚(くう)をみる

生きろといふ友達の古い端書(はがき)

のしかかる絶壁と引きこまうとする絶壁

童ようがころり生まれたみかん畑

絶壁を血は厳に生存を希望した

女の寝息コギト・エルゴ・スム

父の涙は白い子の涙は赤い或る日

ひょうひょうと野犬だ横死の猫に鈴

ほたるはたる ほたるは私の大切ないのち

よるになる私のほたるは遊び行く

朝になると私のほたるが歸(かえ)って来る


(以下無題)

にんまりと笑うゲーテの書を好む

論説ページに見いるおもだちは白痴

遺書の結語に觸角のなかったこと

腹の底からこみあげる孤獨な笑い

舞台は悲劇だ哄笑したのは胃だよ

終車足々楽譜であるおんなの足

掌におどる髑髏の五粒ほど

おごるけだもの奴ユダヤとは何事ぞ

山が光る冬が消へてゆく證し

冬にそむき夏にそむく夢の中の女

音もなく死ぬをカルタのピシリ鳴る