なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(55、復刻版)

 今日は、紅葉坂教会で行われた葬儀式に出て帰ってきました。帰天された方はFさんで72年の生涯でした。性差別の問題を生涯の課題とされた方で、晩年の10年ほどは病との格闘でした。彼女についてはいろいろな思いがめぐります。静かに送りたいと思います。
 黙想と祈りの夕べ通信(55、復刻版)を掲載します。 
  
          黙想と祈りの夕べ (通信 55[-3] 2000・10・15発行)

 8日の礼拝後にはエイジグル-プの集会があり、私は三愛ホテルで会食した信和会に出席しました。会食の後一人ずつ近況報告をしました。最年長のO兄が、既に天上の人になっています諸兄姉の思い出を話されました。H兄のご両親ご夫妻のこと、O兄のお父さんのこと、そしてM兄のお祖母さんが、当時有名だった歌手の藤原よし江を連れてきて、関東大震災後の会堂建築のためのコンサ-トを弘明寺にあった横浜国大の講堂を借りて開いたときに、まだ小さかったO兄が人に連れられて行ったことなどです。教会の歴史は信徒の群れの歴史でもあります。そのことを、O兄のお話を聞きながら実感させられました。私も最後に話しました。このような機会は余りないので、私自身の紅葉坂教会との関わりの歴史を話しました。受洗、神学校時代、結婚、伝道師時代と紅葉坂教会から物心両面で多くのものを受けて、今日の自分があることを覚えて、その受けた恩恵にどう答えられるか、自分なりに追い求めて行きたいと。教会には癒しや慰めと共に灯台の光のように未来を照らす使命があると思いますが、その二つの教会の働きを担いながら、特に未来を切り拓くために自分なりに努力したいと。私たちは、教会の交わりという恩恵の中で光栄と責任を与えられている者であることを思わされているいうこと、などです。

 「分かち合い」では、続いて一人の姉妹が自然の命の豊かさについて、以下のような話をされました。昨夜眠れずにテレビをつけたら、ヨ-ロッパ紀行が放映されていた。石の建築のヨ-ロッパの都市の風景が映されていた。その時の自分のからだは、この映像を受けつけないようだったので、チャンネルを代えてみた。すると対照的に屋久島の杉が画面に映されていた。屋久島の杉は光を一杯吸わないと育たないので、密集することはない。老木が一本倒れると、そばに生えていた木もなぎ倒されて、その部分にポカリと空間ができる。光がいっぱい当たる倒れた老木から実生が出て、杉が育って行く。その雄大な自然にわくわくさせられた。ヨ-ロッパの石の建築物には感じなかった命のすばらしさを屋久島の杉から感じた。人工的なものではないありのままの自然に、目に見えない命が脈々と流れていることを思わされた。私たちは目に見えるものに心を奪われがちだが、目に見えない命から受けるものの大きさを感じさせられたと。

 また、一人の姉妹が近所の知人であるクリスチャンの姉妹の死と葬儀から感んじたことを話されました。彼女は、息子さんのことで大変苦労して来られ、自分の兄や姉からも交わりを断たれた形になっていたが、葬儀にはその兄や姉も来られて、彼女のことをはじめて理解されたようだった。彼女は死んでからも伝道しているかのようだった。葬儀には繰り返し賛美歌機檻械隠欧歌われた。彼女の所属していた教会の牧師が、彼女が亡くなる数日前に病院にいた彼女を見舞い、その病床でテサロニケの信徒への手紙5章16-18節を読み、祈ったそうだ。その聖書の言葉は亡くなった彼女の信仰生活そのものであった。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです」。牧師さんも姉妹によって教会は強められましたと語っていた。姉妹の葬儀に出席して、感謝についての深いお話を改めて心に刻むことができたと。