なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(202)復刻版

 今日は、先ほどメールで弁護士から連絡があり、今日が期限となっていました控訴理由書を裁判所に提

出しました。いよいよ控訴審です。私の訴えが、裁判所にも教団にも通じるように最善を尽くしたいと思

っています。

 「黙想と祈りの夕べ通信(202)」復刻版を掲載します。「201」は私がまとめたものではありま

せんので割愛しました。        


       黙想と祈りの夕べ通信(202[-44]2003.8.19発行)復刻版

 先週の黙想と祈りの夕べは日曜学校の夏期キャンプのためにお休みにしました。そこで、今回は日曜学

校の夏期キャンプのことを報告がてら、私の目からみたことを一部書いてみたいと思います。

 昨年の夏期キャンプは一泊二日で会場は教会で行いました。教会ということもあって、分級に力を入

れ、マタイ福音書20章1-20節の日雇い労働者の物語を、クループに分かれてスタンツをしたり、階下の天

井に網を張ってぶどう棚を作り、制作の時間にそれぞれつくったぶどうをその網に吊るし、ぶどう園の雰

囲気を出しました。このときの夏期キャンプはなかなか充実していたように思います。今年は8月3日

(日)~5日(火)の二泊三日で群馬県片品村の民宿を会場として行いました。3日の日曜日の朝8時半

から教会で礼拝をして、9時にバスに乗って出かけました。私は主日礼拝と役員会がありましたので、Y

さんの自動車で役員会が終わってから駆けつけました。片品村の民宿に着いたのが、午後6時過ぎでし

た。ちょうど最初の夕食をいただくときでした。民宿には24時間自由に入れる温泉があります。先に着い

ていた人たちの中には一風呂浴びて汗を流し、さっぱりしていた子どもや大人もいました。夕食は盛り沢

山のおかずにびっくり。自分の勤めている幼稚園の子どもたちと何回もこの民宿に来ているスタッフのI

さんによれば、3,4日ここにいると、2キロくらい太って帰るとうことです。実際毎回の食事は豊かで

した。

 今年の夏期キャンプのテーマは「バラバラのいっしょ Part掘廚如∪蚕颯謄ストはルカ福音書15章1

1-32節の「失われた息子たち」(放蕩息子)の物語です。子どもたちを中心にしたグループが三つ、大人

だけのグループが一つ、合計四つのグループでこの物語のスタンツを作って、二日目の午後夕食前に発表

しました。昨年も傑作ができましたが、今年も昨年に劣らず、それぞれのグループのスタンツは素晴らし

いかったです。本当に是非見ていただきたいのですが、ビデオに撮ったと思いますので、機会がありまし

たらごらんください。大人のグループだけは父不在の物語になりましたが、子どもたちのグループは大体

聖書の物語に沿っていました。でもそれぞれのグループによって表現が異なり、楽しかったです。このテ

キストを選んだ私の中には、弟と兄(大人のグループは悪男と良男と命名していました)を悪い子・良い

子と見ることによってある種の差別が兄弟間に断絶をもたらすところを、父のまなざしを組み込むことに

よって、悪い子・良い子を超える弟と兄の関係が現前することを伝えられたらという思いがありました。

レギ-ネ・シントラーが「願わくは、この子どもたちが、大人になったとき、人間を『よい人』『わるい

人』に分けることをしないように。そうしないなら、彼ら(彼女ら)は世界の平和に貢献するものとなる

でしょう」(『希望への教育』51頁)と言っています。私はそのことを考えていました。閉会礼拝のお話

を私が担当しましたが、その中で実際の毎日の私たちの生活の中では不在かもしれないが、父のまなざし

を想像して、その父のまなざしのもとに自分も他の人も見ることができたらどうだろうか、ということを

お話ししました。子どもたちの心の中にこの「失われた息子たちの物語」が印象深く残ってくれたらと願

わずにはおれません。

 一日目の夜は「蛍狩り」(「狩り」という言葉がいやだという人もいました)。二日目はリフトに乗っ

てほたか牧場へ、白樺林、ブナ林を散策。午後は川遊び。夕食はバーベキュー(宿屋のご主人に私はバー

ベキューの焼き手としてのお墨付きをいただきました)。夜はキャンプファイアー。三日目の午前中は野

菜狩り、キュウリと大根をお土産にいただきました。そして作文を書き、お昼をいただいて、閉会礼拝。

午後1時半頃民宿を出発して、途中40分ほど道の駅に寄り、渋滞で教会に着いたのは午後7時半を過ぎてい

ました。疲れましたが、楽しい夏期キャンプでした。のびのびとした子どもたちの笑顔、泣き顔が忘れら

れません。



       「この世の権威」(『ルターによる日々のみことば』より)

 彼は、あなたに益を与えるための神の僕なのである。  ローマ13:4

 この世の権威は、キリストの権威の象徴であり、かたちであり、似姿です。みことばのつとめは永遠の

義と、永遠の平和と、永遠の生命をもたらし、この世の権威は一時的な平和と、義と、生命を維持するか

らです。しかし、これを制定し、定め、いつも必要なものとされたのは、神のすばらしいたまものであ

り、栄光にみちた神のさだめであります。もしこの世の権威がなければ、だれも隣人の手から自分を守る

ことができず、理性のない獣のように互いに食いつくすからです。世の権威はあなたがたのからだを守

り、だれにも殺されることがないようにします。また、だれも、あなたがたの妻を奪って、はずかしめる

ことがないように守ります。だれもあなたがたの息子や娘を誘拐して、奴隷にしないように守ります。ま

た、あなたがたの家や家庭を守り、それがこわされたり、奪われたりしないようにし、畑や、牛や、その

他すべての財産を守って、だれもそれにふれたり、奪ったり、持って逃げたり、傷つけたりしないように

します。

 鳥や獣がもし、ものを言うことができ、人間の政治を見たら、このように言うと思いませんか。「あ

あ、なんと偉大で高貴な人間よ。われわれにくらべれば、あなたがたは人間というよりもむしろ神々であ

る。わたしたちが一時間も、生命や、家庭や、食物の安全を保障されていない時にも、あなたがたは生命

と領土の安全を保障されて楽しんでいる。われわれ獣にくらべて、神があなたがたに与えられている実に

すばらしい栄光ある生活を、あなたがたが悟らず、感謝もしないのは、わざわいである」。


                        学校の子供たちを護ることについての説教