なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(516)復刻版

 黙想と祈りの夕べ通信(516)復刻版を掲載します。2009年8月のものです。


        黙想と祈りの夕べ通信(516[-45]2009・8・16発行)復刻版


 8月は黙想と祈りの夕べはお休みです。

 8月9日(日)の午後から10日(月)の午後5時まで日曜学校の夏期キャンプが、今年は教会を会場にして行

われました。参加者は子ども17名、大人(お手伝いを含めて)18名でした。まず開会礼拝です。私が詩編24編

1節から、アメリカの先住民シアトル首長がアメリカの第14代大統領フランクリン・ピアスに宛てた手紙『父

は空、母は大地』を読み、人間も動物も草花や他の自然も神が造ったもので、人間の所有物ではないこと。人

間のエゴ(自分を中心に考え行動する人間の自我)が自然環境を破壊することをお話しました。開会礼拝のは

じめと終わりに、シュプレヒコールをしました。「夏期キャンプを始めるゾー」「楽しい夏期キャンプにする

ゾー」。その前日の教区社会委員会主催の平和集会終了後行われたデモ行進でのシュプレヒコールを思い出し

て、元気づけの意味で、突発的に私がしたのです。子供たちはキョトンとしながらも、シュプレヒコールをし

ていました。

 さて今年は「エゴからエコへ」という副題で「平和をつくりだす人、パートIV」がテーマでした。礼拝後の

作業では五つのグループに分かれて、スタッフが準備した山から海へと通じる川の流れが五つの部分になった

それぞれ模造紙3枚分に、各グループで動物や鳥や魚や昆虫、草木や風景をクレパスで描いた上に、川や海や

空は水色で、大地の部分は茶色の絵の具で薄く塗りました。各グループなかなかの傑作です。本日階下ホール

に展示されていますので、是非礼拝が終わりましたら、ご覧になってください。

 作業が終わって、恒例の手巻き寿司の準備をしてくださるスタッフ、保護者、教会員のサポーター以外は、

公衆浴場に行きました。さっぱりして夕食です。私と連れ合いで三崎港まで行って仕入れてきたマグロが手巻

き寿司のメインのネタです。みんな沢山食べて、ほとんど残りませんでした。一休みしてから、夜はキャンド

ルライトの礼拝です。スタッフのKさんが半円形につながったみんなの製作品によって、森の豊かな山に降っ

た雨が落ち葉の積まれた大地に吸い込まれて、フルボ酸と鉄が合体しでできたフルボ酸鉄を豊かに含んだ水と

なって川に流れて海までいき、その途中の生きものに豊かな命を与えていることを、また人間が住むようにな

って出来た工場や自動車の排気ガスが豊かな自然の破壊を引きこしていることも、子たちに分かりやすく話し

てくれました。続いてスタッフのIさんがお話をして、キャンドルタイトの礼拝を終えました。その後スイカ

を食べて、歯を磨き、各グループに分かれて就寝のお祈りをして、礼拝堂と小集会室に貸布団を敷いて休みま

した。

 2日目は朝の礼拝から始まりました。礼拝では、K・Kスタッフ代表が、息子のK君が大学院の研究室で取り組

んでいる植物の光合成を人工的にできないかという研究を紹介し、人間が一生懸命研究してもまだ解明されて

いない太陽の光と水を吸収して炭酸ガスを酸素に替える植物の光合成のすばらしさをお話されました。そのK

・Kさんのお話を聞きながら、「野の花を見よ」と言われたイエスさまの言葉を想い起こしました。私たちの

心身は野の花と同じように人間には造り出せない不思議な生命活動をしているのではないでしょうか。朝の礼

拝が終わって、今回の夏期キャンプのメインイベントとして予定していた葛西臨海公園に天候不順でしたが行

くことにして、雨の中を出かけました。途中の電車でも公園に着いてからも激しい豪雨が一時的に何回もあり

ましたが、移動のときは雨が上っていて、公園の水族館も十分楽しむことができました。ペンギンの沢山いる

外の池も楽しむことができました。大きなマグロが回遊する水槽は圧巻でした。子供たちには午後1時半から

のエイなどがさわれる場所が人気でした。午後4時過ぎに教会に帰って来て、閉会礼拝をして、今年の夏期キャ

ンプを終えました。毎年行われる夏期キャンプでは、何よりも確実に成長している子どもたちに出会うことが

出来、スタッフ一同いつも感動させられます。今年もその恵みを経験できました。神さまありがとう。 

  
          「孤独の中で神に寄り添う」     8月16日 


 ただ神とだけいるために孤独になると、自分がいかにいろいろなものに頼っているかということにすぐ気づ

きます。私たちは日常生活に多くある、気をそらせるものがなくなると、不安になって緊張してしまいます。

誰も話しかけてくれなかったり、訪ねてくれなかったり、誰も私たちの助けを必要としなかったりすると、自

分がとるに足りない人間であるかのように感じます。そして、自分は役に立つ人間だろうか、価値があるのだ

ろうか、重要な人間なのだろうか、と考え始めます。私たちは、このような不安に満ちた孤独から早く抜け出

し、自分が「ひとかどの人間だ」と安心出来るために再び忙しい生活に戻ろうとしがちです。けれども、それ

が誘惑なのです。というのも、私たちをひとかどの人間にするのは、人々がどう思うかではなく、神が私たち

を永遠の愛で愛してくださることによるからです。

 真の自分であり続けるためには、孤独の中で神から離れないことです。神は私たちを本当の自分にしてくだ

さる唯一の方だからです。


                      (ヘンリ・J・M・ナウエン『今日のパン、明日の糧』より)