今日はクリスマスイブで、教会では、キャンドル・サーヴィスが予定されています。私は午後早めに鶴
巻から船越に向かいます。
「黙想と祈りの夕べ通信(322)復刻版を掲載します。2005年11月のものです。
黙想と祈りの夕べ通信(322[-9]2005・11.27発行)復刻版
「福音と世界」12月号で沖縄特集が組まれています。その中に一色さんという方が論文を投稿していま
す。一言でいえば、一色さんの主張は中央の統制ではなく地方の個別の取り組みを大切にするということ
ではないかと思いました。日本基督教団という中央の思考にそれぞれの地域での取り組みがともすると取
り込まれて収奪されるのに対して、自分たちの場での取り組みを自主的に積み上げていくことの大切さで
す。そしてそれぞれの独自性を尊重し、その上でさまざまな違いをもった地域共同体の豊かさを分かち合
い、学び合って、自分たちの取り組みに生かすという方向性ではないかと思いました。多分これからは長
い目で見ればそうなっていくのではないかと思います。現在教団の執行部の姿勢はその方向とは逆行して
いますが、長期的に見ればこの流れはとどめられないと思います。同じ問題は全体と個、教会と個人とい
う形でも言えるのではないでしょうか。私はこれまでも今後も個(人)を大切にすることによって、教会の
在り様を模索しつづけたいと思っています。
上記の私の発言に続いて、次の発言がありました。全く個人的なことになるが、今日は叔父の葬儀があ
った。私の父は長男で牧師になったため、父の実家は商売をしていたので叔父が後を継いだ。父は戦死し
たので私は叔父の家で祖母などによって育てられた。昨年2月に叔父が倒れて以来病気入院、そして老健
での生活とずっと世話をしてきたが、21日に亡くなり、今日葬儀が終わった。葬儀も私が準備し仏式で行
った。祖父は長男が牧師になったので、教会にも来て、自分もクリスチャンになった方が長男のためにも
いいのではと思っていたが、クリスチャンになる前に亡くなった。叔父も教会に行っていたことはある人
だった。昼の聖研でも先日他宗教の祭儀、特に葬儀との関わりが問題になった。キリスト者の中にも他宗
教に対して不寛容な立場の人もいる。叔父はイースターには宗教の違いを越えてタマゴを届けてくれてい
た。私も今回檀家である真言宗のお寺にお願いして、叔父の葬儀をしていただいた。キリスト教だけが正
しいという人には、相手の宗教に迎合していると思われるかもしれないが、私は自分のしたことが間違っ
ているとは思わない。叔父は生来楽観的な人物で、ホームでもいろいろな人に声をかけて笑わせていた。
今はホットしている。
続いて一人の方から次のような発言がありました。二人の話を聞いて、それぞれ自分なりに思うところ
があるが、今日はそのことには触れない。別の機会にしたい。今日は祝日である。収穫感謝で、昔の神嘗
祭の非宗教化か? 祝日なのに黙想と祈りの夕べがあるということを週報で知って感激した。教会によっ
ては祝日は中止するところもある。また、クリスマスのキャンドル・サーヴィスを祝日休日ということで
12月23日にする教会もある。天皇の誕生日なのにキリストの誕生の祝いをするのか。自分には疑問であ
る。先ほど朗読した聖書マタイによる福音書21章1-9節に、ホサナ、ホナサと言ってイエス・キリストを
人々は歓迎した。自民党が改憲を進めようとしているが、その理由のひとつは現憲法は押し付けの憲法
で、国民が考えて選んだものではないと言う。60年前にできた現在の憲法も人々によって歓迎された。し
かし60年経って現在それを変えようとしている。キリストを歓迎した人々も十字架の時にはイエスを十字
架につけよと叫んでいる。私としては現憲法を守っていきたいと思っている。
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