黙想と祈りの夕べ通信(349)復刻版を掲載します。2006年6月のものです。
このブログを始めたのも、この時期でした。高校生の質問への回答のような文章を掲載しました。いつ
かまた、機会があれば、そのような文章を掲載するようにしたいと思っています。牧師を隠退したらと思
っていますが、なかなか隠退できそうな状況には、今のところなりません。
黙想と祈りの夕べ通信(349[-36]2006・6.4発行)復刻版
私は5月29日から31日までS女学校の高校2年生約170名、それに付き添いの先生方と共に、御殿場のS寮
で自然教室の講師として参加しました。「出会い~自由への道」という主題で4回話をしました。どこま
で聞いてもらえたか心配でしたが、ホームルームの時間に子どもたちの感想や質問をメモ用紙に書いても
らいましたところ、それなりに聞いてもらえているようで少し安心しました。特に最初の主題講演の時間
は一日目の昼食後でしたので、大分寝ている子どもたちもあり、心配でしたが、感想のメモを読むと、聞
いているところは聞いているようで、そういうものかなあーと思いました。僕たちの高校時代を思い出し
ても聖書の話や礼拝では寝ている時が多かったので、今の子もおなじだなーと納得しました。私が驚いた
のは、自然教室の3日間寮の門から一度も子どもたちは出ませんでした。私の4回の主題講演と合唱の発
表、キャンドルサーヴィス、午後3時から6時までは入浴・自由というプログラムでしたが、入浴していな
い子どもたちは、クラスに分かれて合唱の練習に励んでいました。6月に中学と高校に分かれてクラス単
位の合唱コンクールがあるそうで、そこに向けてみんな真剣なのです。私は話しっぱなしで、子どもたち
と話し合う時間がありませんでしたが、感想や質問を書いてもらいましたので、最後のまとめの講演で
は、子どもたちの質問に答える形で話をしました。2年生が帰る頃、3年生が寮に到着して、3年生が乗っ
てきたバスで横浜に帰ってきました。Sでは6年間この2泊3日の自然教室があるそうで、キリスト教主義
の学校としての姿勢がそこに表れているようで、うれしく思いました。現代の社会と子どもたちの未来を
考えますと、課題の重さに身が引き締まる思いです。講演では答えられなかった高校生の質問には、私の
ブログ(ヤフー、ブログ、「なんちゃって牧師の日記」)で答えていく約束を子どもたちにしました。
上記の私の発言に続いて、一人の方からの発言がありました。「福音と世界」のテープ朗読をしている
が、その中で「ニッサのグレゴリウス」について書いている論文を読んでいる。その中でグレゴリウスの
「高利貸駁論」について書かれている。高利貸は利益を取るなとグレゴリウスは言っている。たまたま5
月初めに東京芸大の美術館でバルハラの彫刻「物乞い」を観た。堂々とした体格の女が物乞いの器を差し
出している像である。物乞いというと、下を向いて弱々しいイメージに思えるが、バルハラのものは、出
しなさいと言っているかのように思わせる像で、迫力があり、背筋がぴんと伸びている。貧しいものが富
を持つ者に出しなさいと言っているかのようだ。最近F伝道所のI牧師から国会に出している「障がい者
差別禁止法案」の朗読を頼まれて読んだ。障がいをもつ人にバリアを取り外し、当たり前に生きていける
ための法案である。障がい者が家を借りるとき、貸主から嫌がられる場合が現在は多いが、そうしてはな
らないとか。現在車椅子の障がい者が電車に乗るとき、駅員が手を貸すことが当たり前になりつつある
が、道路などはまだ障がい者には歩きにくいので、障がい者にも自由に歩ける道路にするとか。知的障が
い者の結婚において、以前のような堕胎や断種を禁じ、人権を擁護するとか。虐待を受けた場合は、障が
いによっては受けた人が証明できない場合、虐待した人とされた側が虐待をしなかったことを100%証明す
る義務があるとか。障がい者差別禁止法が法制化され実践されたら、素晴らしい社会になると思う。私が
食事の手伝いに行っている障がい者の作業所では一日コツコツ働いても一ヶ月1万円前後位の収入にしか
ならない。しかも自立支援法の成立によって自己負担が増え、現在はほんの少しの収入しかならない。障
がい者差別禁止法が通れば、バリアを取り払う生活が可能となり、バルハラの物乞いの女のように出しな
さいと言える関係になれると思う。
続いて別の方の発言がありました。娼婦の映画を観て性について考えさせられた。また、この夏に予定
しているフェミニスト神学の準備会でも性労働について話がでた。(内容は本人に書いてもらうつもりで
したが、水疱瘡になり、しばらくお休みしますので割愛します)。